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にがうりの人 #42 (覚悟の過去)

 もしかしたら私は初めからどこかで高峰を疑っていたのかもしれない。そもそも私のような猥雑で卑小な人生を送ってきた人間が高峰のような清廉潔白で使命感溢れる人格を容易に受け入れることができるのだろうか。そのような卑屈な考察も私の荒んだ人格を一滴でも掬い取ってくれるような人間は見たことが無かったからくるものだった。

 高峰に不審な影が見つからなかった事で私は安堵の反面、記者の言葉を忘れる事が出来なかった。
 信じるしかない。
 そう言い聞かせる事しか出来ない自分が猜疑心の固まりのようで空しかった。

✴︎

 日々は淡々と過ぎていった。高峰はあれ以来取材の事は口に出さない。だが、なによりも作り笑顔が多くなった気がした。私にはそれがより私の中の疑念を膨らませ、彼との関係が白々しく思えるのであった。
 私のそんな気持ちを察したのか、高峰は笑顔の後に今までに無い悲しい表情を見せるが、私はその表情すらも受け入れることができなかった。

 大きな渦に巻き込まれていく。そんな漠とした恐怖がまるで嵐におびえる小動物さながらに私を襲っていた。そして、それは的中した。

 取材から一ヶ月が経った。太陽が相変わらず照りつけ、弱まりを見せない夏の暑さにも関わらず世間では既に残暑と呼ばれていた。いつものように私は満員となった電車に乗り込み、事務所へ出勤する最中であった。背後から親の敵のように押してくるサラリーマンに苛立ちながらも何とか手すりにつかまり、身体の奥から滲み出るような汗を制御できないまま当ても無く視線を泳がせていると、中吊り広告が目に入った。政治家の汚職事件が大々的にスクープと書かれ、その脇の有名タレント熱愛妊娠に続いた記事に思わず声を上げそうになり、我が目を疑った。

「自称・人権派弁護士T氏 知られざる過去」「凶悪殺人犯の弁護 自ら志願」
「信頼した依頼人を平然と裏切るしたたかな男」

 私は事務所へと急いだ。中へ入ると高峰は窓の外をぼんやりと眺めていた。私の存在に気がつき、振り返ると寂しそうに笑った。

「大変な騒ぎに、なってしまったよ」

 彼はそう言って静かに視線を落とした。そこには彼の毅然とした姿勢やその力強さは感じられなかった。

 その日は一日大騒ぎであった。あらゆる雑誌社や新聞社の記者が詰め掛け、電話は鳴りっ放しであることないことを取材してきた。高峰は酷い言葉を浴びせられても一件一件丁寧に取材を断った。その様子を見続けた私はようやく悟った。
 彼の沈黙、つまり抗弁をしない理由には訳があったのだ。

 私だ。

 私の父親を弁護した過去だ。私の為にその事を隠し続けるため、再び事件が世に出る事を恐れて彼はひたすらに沈黙を守っていたのだ。

続く

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