405.(前編)やっと娑婆に手で来たcoucouさん獄中手記~
coucouさんです~
みんな~
ごきげんよう~
7月26日(火)に入院して、27日(水)の朝一番での手術となった。
そもそも、今回で3度目の手術。
そもそもこの病気との付き合いは、4年前に下半身からの出血が起こり大学病院で検査となったことから始まった。
もともとこの病院で、腎臓病で入院したことがあったため、最初に腎臓内科で検査して異常なし。
そこから紹介状をもらって大腸、泌尿科での検査、異常なし~
出血は炎症から来ているのかも、というので抗生物質?を飲まされる…。
でも出血があるときとない日々が続く。
病院の検査の時には出血が止まる、という珍現象。
そのまま約3か月が過ぎた。
(その間、怪物は成長し続けたようだ)
だけど、だんだん酷くなる。酷いっていうのはね、出血が激しく、やがて大きな血の固まりが噴出しだして、トイレに入るのが苦しくなる。
汚い話だけれど、スマホでその血だまりを撮影して、医師に証明する必要が出てきた。(だって、結論がないからね…)
もう一度、この写真を持ってその大学病院に行こうと思ったら、coucouさんの弟がいい先生がいるよ、と紹介してくれた。
(大学病院はあてにならないからと言われた)
そこは、とても小さな泌尿科だった。
泌尿科なんて初めて~
coucouさんは恐る恐る出向いた…。
あれ~ここは産婦人科なのか?
恥ずかしい~ほとんどが女性じゃあないか…。
(coucouさんは恥じらう乙女のように、大きな体を小さくして静かに片隅にいた…)
やっと、順番が来て、レントゲン検査。
その場で「coucouさん、膀胱がんです!」といわれた…。
えっ~
「すぐに手術が必要ですので、もう少し大きい病院を紹介します!」
えっ~なんと!
ショック~
がんだって~
すぐ手術する必要があるって?
何だよ~
今までのたらい回しの大学病院は、何だったの?
ここは小さな町医者だよ…。
すぐさま、その日に紹介状をもらった病院に出向き、血液検査、尿検査、再度レントゲン検査、МRI検査、内視鏡検査と続く~
間違いであってほしい~
「はい、膀胱がんです。約3センチ。ほらこんなに大きいでしょう!この根元から出血しているのがわかる。すでにかなりの出血量だと思う。すぐに入院の手続きをしてください!」
おいおい、待ってよ~
coucouさんは抱えている仕事と、年老いた母、弟、家族たちのことが思い浮かんだ。今、入院などしたら、すべてが止まってしまう~
(4年前は母の介護を弟と二人でしていた)
何よりも自分の心の整理(覚悟)と家族やみんなに話をしなければならない。
「先生、数日、返事を俟てますか?」とお願いした…。
下半身、腹部の痛みも出始めてきたが、トイレに入るのが恐ろしい~
入るたびに便器が赤く染まる。
そのたびにトイレの拭き掃除~
coucouさんはね、眩暈(めまい)なんて、経験したことがないのでわからなかったんだけれど、天井がぐるぐると回るようになった。
これが眩暈なんだね~
coucouさんは手術は怖かったけれど、このときの先生はcoucouさんに安心を与えてくれる先生だった。
大概は、患者や患者家族を心配させ、恐れさせる医者ばかりなのだが、この先生は優しい~
(人相は悪いが)
「わかりました。coucouさんの都合(手術日)に合わせます。ただ、お腹の痛み、さらに出血が酷ければいつでも入院できる体制を作りますから、心配しないでください…」
なんと、凄い言葉なんだ、心強い~
coucouさんが女性ならこの人に着いていってしまう~
何よりも家族にきちんと説明して、安心させてくれる、
この人なら何が起こっても本望だと思った~
そして、手術は、完全麻酔、約3時間。
無事に終了~
「coucouさん、悪性でなかった、良かったですよ!周辺の細胞も少し取って見ました」と画像を見せられた~
まるで567ウイルスの立体型で宇宙人のような真っ赤なとげとげの怪物だった~
あれから4年~
そして、昨年の11月にさらに2回目の大量出血となった。
12月に入院して病院内でクリスマスと年末を迎えた~2022年は年が変わったけれど、そのまんま、ずうっと過ぎてしまい、年の変わり目やけじめのない新年となった。(567で一切の面会禁止)
cucouさんは、現在もまだ、年が明けていない…。
前回との大きな違いは、尊敬する先生は違う病院に行ってしまい、その病院の副医院長となりこれから医院長を任されるという。
(それだけの能力者だった)
今度の先生は、プライドの高そうな先生だった。
妙に上から目線。
そして盛んに脅かす~
会うたびに恐怖心を与える~
「う~ん。今回は完全に転移再発だね。それに悪性なようだ…」
えっ~
悪性~
「それに大腸がんの疑いもある。ほら、このレントゲンにはしっかりと影があるのがわかる。さらに前立腺肥大~」
ぎゃ~
何を基準に悪性だというのか?
確かにその怪物は大きい…。
画像を拡大して見せられるためモンスターにしか見えない~
だが、已む得ない…。
切る以外、道はない。
医者嫌い、自然治癒力だけを信じて来たcoucouさんはこの怪物にはどうしても戦えないと悟った。だけど、先生が気に食わない、何よりも信頼ができない。何よりも脅し、威嚇、パワハラのように優しさがない…。
あ~この人に切られるのか~
人間力って大切だと思うね。
たとえ、技術力がなくとも、やっぱり医師も人間力だと思う。
この人なら失敗しても本望だと思える人か、どうか?
でも、思えない~
嘘でもいいから、優しくしてほしい…。
嘘でもいいから、安心させてほしい…。
嘘でもいいから脅かさないでほしい…。
せめて、身内の者には安心させてほしい…。
あ~
嘘も言えない先生~
coucouさんは思った~
もう、好きにしなさい~
もう、任せたよ~
あんたに~
そう、心の底で言い聞かせた…。
そして、約3時間から4時間(長すぎる…)かけて怪物を摘出した。
そしてね3日間、全身を固定され身動きできない。
動きたくとも身体中管だらけ。
何だよ、人造人間かよ~
それに大腸がんと前立腺肥大はどこに行ったの?
話にも出ない…。
(その後、話に出ない…)
こんなものかな~
(大腸も内視鏡で検査したのに…)
4日目、案の定。ベッドから起き上がれない。全身が固まってしまったようだ。人間はね、寝返りできなければ身体が固くなり、筋肉だって動かなくなるもの。トイレに一人で行けない。便座に座らせてもらい、立ち上がるときは手を借りる。自分の身体なのに、自分ではない…。
ああ、早く管を全部抜いてほしい…。自分で取ろうとしたが無理。管が長すぎる。鎖につながれたキングコングか、フランケンシュタインなのか~
こうして、年が明けるとともに娑婆に戻れた…。
そして、あれから約5か月目。
手術後から初めての嫌な内視鏡の検査となった。
「あ~見てください!前回手術した反対側にがんがある。転移ですね、これは!」随分と簡単におっしゃる先生。
「う~ん~かなり悪性だね!」
「…」
coucouさんはショック状態というよりも少しばかり呆れていたんだ。
今回の内視鏡の画像では出血はないけれど、棘もなく膨らんでいる小さな卵型。これが膨らみ続けると破けて出血する。それはわかる。だけど、この大きさって急に大きくなるものではないよね。他のお医者さんもそういう。
ならば、ならばだよ~
再発とか転移ではなくて、5か月前の手術をしていた時もこの怪物は存在していたのかも。前回取った場所の反対側に在ったんじゃあないの?
coucouさんはそんな質問をした。
「…」なぜか返答がない。
そうか…。
でもそんなことは責めないよ~
我儘を言うつもりはない。
また、切ってもらうだけのことだもの。
何ったって、3度目~
coucouさんの知識の方が詳しくなった。
この先生には体験がないけれど、coucouさんには体験がある。
それはね、前の先生からも随分と学ばせてもらったからさ。
できるならもう一度あの先生にお願いしたいけれど、そんなことは無理な注文だよね。
coucouさんは、5月にわかってから7月26日に入院と手術日をお願いした。
その理由は、オンラインだけれど講演会3本、coucouさんの会、3回分、商店街の夏企画、11月に開催する大イベントのための会議が15回以上待ち受けている。
それ以外の集まりも目白押し。
だから、入院前に全部終わらせて、留守中の対応のすべてを想定した段取りにかかることにした。
約2か月間はとてもハードな凝縮した人生となった。
最後はこのnote記事の前倒し14日分と日々のnoteと同時作業。
(今までの経験から想像で入院状況を話し続けた…)
本も書いている。
さて、27日朝一番の手術となった…。
未来がよく見える~
あとはお任せした手術にミスがないことだけを祈る~
25日(月)にPCR検査、尿、血液も心電図検査、麻酔科より全身麻酔の説明及び同意書(家族同伴)。そして、この病院が567クラスターの真っ最中。他の病院では手術は延期だけれどこの病院は予定通り。
ただ、病室がいつもと違う(一部病棟閉鎖)。なんと凄い日を選んだものだ~だけど早く復帰したい…。
26日(火)入院。早く明日になーれ~早く終われ~3度目なのに眠れない。
なまじ、経験があるために自分がどうなるかが想像できちゃう~
嫌だ~嫌だ~と、coucouさんは心の中が勝手に叫んでいる。
27日(水)朝一番の手術~せめて二番か三番にしたかった。どうしてって?
だって、もし自分が医師だったら、朝一番の仕事ってあまり気が乗らないもの。眠いし、だるいし、真夏だし、メスだって嫌がっているかも…。
手術台に寝かされた~
男性医師2名、女性看護師さん3人、誰か見学者がいるので6人。
身体中に管が繋がれる。胸の周りは心電図のためのコードだらけ。
さあ、全身麻酔だ。
これで完全に意識はシャットダウン~
口の中には酸素呼吸器が無理やり押し込められ、下半身は内視鏡カメラと塩素水と排水。
そして、両手、両足はバンドで暴れないよう、逃げられないように完全固定。さらに、なんと狭い入口に3本のホース(管)が入れられる~
でも、そんなことは意識がないからわからないcoucouさん。
前回は3時間。今回は1時間だったが、前回は1か所。
今回は3か所に転移しているというので、3回採ったのだろうね、きっと。
何時間かかろうが本人にはわからない~
シャットダウン寸前にcoucouさんは思った。
これは12月の前回の見逃し手術、また見逃さなければいいけどなあ~
あっという間に意識が戻った~
でも、声が出せない~
全身麻酔をする場合、心臓が停止する可能性があるため、酸素呼吸器を喉から深く入れるため、多少傷がつく。そのためにしばらく声が出せない~
医師と看護師さんは、取り除いた怪物を小瓶に入れて見せつける~
本来であれば家族に見せるものだろうけれど、言葉を話せない患者に直接見せつけるが、そんなもの見たくない~
問題は、過去の経験から術後の苦しさが3日から4日間続く。
27日、28日、29日、30日の我慢の子だが、今回は今まで以上に激しい激痛に襲われた…。
そうだよね、膀胱内3か所を採ったんだものね、痛いよね~
麻酔が切れた後の激痛は今までより想像を超えた。
痛み止めなんて効かない…。
だから猫さんのようにただひたすら激痛の嵐が過ぎ去るのを待つのみ…。
coucouさんは一晩中声を出し続けていたようだ~
まるで、妊婦さんの陣痛のように痛み、美しく、優しい白衣の天使さんたちが手を握ってくれているけれど、その手を砕いてしまうかのようなcoucouさんの力は両手のそばにベッドの手すりを近づけてもらい、その鉄パイプを握り続けることにした。(今回は術後の出血量が多すぎる)
翌朝まで、この状態が続いた~
正直に告白しょう~
もう、今度こそ駄目かな~と思った~
(3度目の正直…)
人間には「心の痛み」し「身体の痛み」の二つあるけど、身体の痛みはいのちに直結する危機感が生まれる。
何としてでもこの痛みから逃れたい、一時でもいいから止めてもらいたい…。全身に力が入り続け、足はつる、手に力が入らなくなる、全身汗まみれ(冷や汗なの?)。もっと効く薬が欲しくなる…。
(だから末期がんの人はモルヒネを打つのだろう…)
なんと苦しい環境にいるのだろう?
すい臓がんでこの世を去った親友が、「先生、もっとモルヒネを打ってくれよ~」と言っていたことを想い出す。
28日、手術後の翌日を迎えたが、まだまだ痛みが治まらないため、痛み止めの座薬を入れられた。確かに少しは収まるが、全身は管だらけ。頭の横には心電図。尿が出るたびに痛みは復活する。
スマホからnoteを見ようとしたが、そんな気が起こらない。
とにかく痛いんだ。
29日、少しばかり痛みは引いたようだが、3日間、上を向いて固定されている状態のためさらに苦しい。
coucouさんは脊柱管狭窄症(背中1か所、腰2か所)と変形性股関節症(左)の4か所を抱えてる。そのため身体を固定してしまうと全身が固まり、元に戻るまでに数週間から1か月ぐらいかかる。それでも完全ではない。
こうなると、背中、腰、股関節、膝、踵まで痛みが走る。
(自分では歩いてトイレに行けない)
この病院の整形外科では手術を勧められたが、coucouさんはその気がない。その理由は自然治癒力を信じてトレーニングを続けていることと、noteにも書いたが、尊敬する手わざ師菅原先生から学んだ独自の筋力トレーニングでカバーし続けているからだ。
(coucouさんの知る限り、脊柱管狭窄症の手術をした人は繰り返し手術を繰り返しいてることと、やがて元に戻ってしまっている)
そして30日、31日を迎え退院となる。退院が早まっている理由は、クラスターが収まらない。医師、看護師さんたちが自宅待機となり看護できなくなったからだ。
こうして、coucouさんは病院を脱出できたのだが、術後の後遺症がしばらく残る。その姿はcoucouさんのキャラクターのように「オムツ」がないと動けないからだ。
退院と同時にオムツを大量買い。内視鏡手術、治療に伴い、尿が勝手に出てしまう。いつでもどこでも、場所を問わず…。
なんとも情けない猫おやじだ…。
人間は生れたときにオムツのお世話になり、やがて去るときもお世話になるが、coucouさんはしばらくお世話になるようだ。
さて、8月からオムツ復帰だ~
さあ、大好きなnoteが約7日間、できなかった。みんなの記事も読めない、コメントもスキもできない、なんと悲しいことだ。
事務所でパソコンを開いたらなんとメールが500近い~
ああ~どうしょう~
スキもコメントも7日間できなかったけれど、みんなから、スキや励ましのコメント、新しい人たちからのフォローまでたくさんいただいていた。
わあ~
これでは返答ができない…。
スキも無理…。
こんなに見てくれて~
coucouさんにしてみれば30~50のスキなんて多い方だけれど、この7日間でスキやコメントをくれた人たちはやっぱり、noteの励ましの神さまたちだった。
これって、やはり奇跡だね~
もう、感謝しかありません…。
でも、入院期間分を先取りして作り、時間はいつも道理にはならないけれど、coucouさんのstaff、Hikaruさんが毎日coucouさんのnoteを出し続けてくれた。
改めて感謝しますね~
とても、うれしい~
(前編)やっと娑婆に手で来たcoucouさん獄中手記より
この記録がみんなに役立ちますように~
後編は楽しい?ことも、面白いことも?あった~
収まり切れませんでした~
さて、noteが書けるぞ~
後編に続く~
(1374) スマイル(チャップリン) /ナット・キング・コール(訳詞付き) - YouTubeより
歌詞の意味・和訳(意訳)
『Smile』(スマイル)
作詞:ジョン・ターナー(John Turner)/ジェフリー・パーソンズ(Geoffrey Parsons)
笑顔を 心が痛むときも
笑顔を 心が折れそうなときも
空が曇りの時だって
なんとかなるさ
怖くて悲しくても 笑顔なら
笑顔なら きっと明日は
太陽は昇り 君のために輝く
喜びで表情を明るく
悲しみの跡を隠して
涙がこぼれそうでも
さあ続けてみよう
笑顔さ 泣いたって仕方がない
きっと分かるさ
人生まだ捨てたもんじゃない
ただ笑顔でいれば
coucouさんのホームページ登場~
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Character design©NPО japan copyright association Hikaru
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