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344.罪悪感なんて、吹き飛ばすくらい楽しめばいい、楽しく生きればいいのさ!


※前号339.の続き。読み切りですのでどちらからでも、お読みくださっても構いません。


1.罪悪感って必要なもの

確かに、「罪悪感」「罪意識」は人として必要なことだね。

そして、罪悪感って悪者じゃあなかったんだ。

罪悪感や罪意識って「自分を自省、制御、修復」するための〈良心〉というスイッチだった。そう、間違いを犯さないための大切なシグナルと共感性、共感する能力だったのさ。

例えば、coucouさんはいつもこんなことを思っていた…。

「あ~あ、coucouさんのせいで悪いことしちゃった~」
なんて、罪悪感を感じたら、もう同じ間違いを繰り返さないようにしようと思う、考える。場合によっては、ごめんなさいって謝る。

だけど、もしこの罪悪感がなかったら、
「あ、そう。coucouさんはそんな事、知らないよ!」というかも。
すると、繰り返し続けてしまう。

これでは、友人でも、彼女でも離れて当然だよね。
また、格好だけでいくら謝り続けても、
繰り返し同じことばかり続ければ信頼関係だって失ってしまうよね。

だから、お互いに適度な罪悪感って必要だと思うんだ。

「アゲラタム」©NPО japan copyright association Hiroaki

「アゲラタムの花言葉」は、「信頼」「安泰」「幸せを得る」といわれる。信頼は、アゲラタムの花が長い期間咲き続けることが由来と言われている。アゲラタムは花持ちが良く色褪せしにくいことから安泰や幸せを得るなどの花言葉が付けられたそう。coucouさんから信頼するあなたへ~

2.罪悪感の悪い部分


これで罪悪感、罪意識って悪者じゃあないことがわかったcoucouさん。
これからはね、大切にしよう、嫌うのをやめよう、と考えた。

でもね、coucouさんの場合は、度が過ぎた…。
度が過ぎると、一種のノイローゼ状態に陥るんだ。

coucouさんは子どもの頃に、体育館でみんなと遊んでいて女の子の後ろから体当たりして、その子は救急車で運ばれて入院した。
coucouさんの両親と担任の先生と一緒にお詫びをしに行った。

その女の子は笑っていたけれど、
coucouさんが初めて体験した生涯忘れられない罪悪感だった。

その女の子の背中には大きな痣が残り続け、もし、その子が結婚するときにその痣を見た旦那さんはきっと、驚くに違いない…。
小学校2年生になったばかりのcoucouさんのトラウマという罪悪感だった…。

それは還暦を迎えた同窓会まで引き続いていた。
そのときも、その子にcoucouさんはね、謝ったんだ…。
また、あのときと同じように彼女は笑い転げていた!

でもね、coucouさんは真剣だったんだ。

それは、何十年も引き続いた…。

こんな例もあるけれど、心理学の本の中には、coucouさんにあてはまる内容で「抑鬱への影響」「孤立につながる」と書かれていた。

(1)抗うつへの影響

ただ、罪悪感や罪意識って、共感性から起こるのだけれど、人によって違うということはわかる。

つまり、罪悪感は人によって違うんだ。

だって、同じようなことをしても、全然気にならない人もいれば、coucouさんのように異常に気にしすぎる人もいる。

そう、みんな違うよね。

同じような物事であっても人によって感じ方は千差万別。
罪悪感を長期間に渡って強く感じると次のような悪影響が起こると言われている。
それが、「強い抑うつ状態」とる恐れがある、いうことだった。

何度も、何度も、その状況を思い出してしまい、
「あ~、あの時にそんなことをしなければ良かった~」
と、永遠にループ状態となるんだ。
(専門用語では反芻(はんすう)思考というそうだ)

その状況から逃れたい、回避したい、すると食欲や睡眠にも問題が出てきる。

(2)孤立につながる

そうなんだよね、まさに一人ぼっち。

たとえ、友人に相談したとしても誰も聞いてはくれないし、何よりもcoucouさんの苦しみや悲しみなんて誰にもわからない、と思い込んでしまうんだ。

これじゃあ、一人ぼっち、孤立しても無理はないよね。

さて、それをさらに分析してみた!

1.罪意識、罪悪感がどうしても取れない
2.自分に罪がある、だから罰を受けねばならない
3.自分は楽しんだり、幸せになってはならない
4.許されない
5.頭の中は答えのない時間だけが過ぎ去っていく
6.一人ぼっち(孤独、孤立)


どう~

みんな~

coucouさんみたいな人って、あまりいないかも知れないけれど、coucouさんを通して、想像ができると思うし、こうなってはいけないよね。

だってね、罪悪感を持ち続けると何も嬉しくないし、楽しくはない。
自分は幸せになってはいけない、楽しんだら駄目、不幸のままでいるべきだ、と思い込んでしまう。

こんな、不幸な生き方はないよね。

「カスミソウ」©NPО japan copyright association Hiroaki

カスミソウの花言葉は「清らかな心」「無垢」という。「清らかな心」という花言葉は、カスミソウの花姿が控えめでありながらも、他の花を引き立てる美しさを持つことに由来しているそうです。カスミソウの英名「Baby’s breath(赤ちゃんの吐息)」から連想して「無垢」という花言葉もあるんだね。確かに、控えめで可愛らしい~


3.罪悪感の解消法


coucouさんは真剣に考え続けた、罪悪感から解放される方法をね。

 
私ってなんてダメなやつなんだろうねってね…。

罪悪感って、それ自体が悪い訳ではないけれど。
罪悪感の使い方や、その程度に問題であるということがわかった。

罪悪感をなくすには、次の方法があった。
それは、一点のみでなく、
1.物事にはいろんな側面があるってことを知る。
2.そして、謝罪する、お詫びする。

(1)物事にはいろんな側面があるってことを知る


coucouさんのように、罪悪感にさいなまれている人は沢山いるようだけれど、大概は、自尊心が低い傾向にあると言われている。
自尊心が低ければ低いほど、いつも自分をダメなやつと決めつけてしまうんだ。
だから、仕事で失敗などすれば、「あ~あ、私がダメなやつだから失敗したんだ」と過剰な罪悪感を抱いてしまう。

coucouさんはいつもそうだった。

でもね、何かで失敗したからといって、本当に自分のせいなのかな?

罪悪感を持つ人の共通点って「全て私のせいだ」と決めつける。
他の人があなたのせいじゃあないよ!と言ったって聞く耳はない。
だって、自分が悪いのだから、と。

でもね、ここでストップ!

もう一度考えてみるんだ。

本当にすべては自分のせいなのか?って。
もしかすると、coucouさんみたいに一方的に決めつけてはいない?

不思議なことだけれど、冷静になる。
冷静になるって、自分だけの考え方で決めつけるのではなくて、相手の立場に立ったり、第三者の立場に立ってもう一度見つめなおすと、原因が見えてくる場合もある。

心理学では同じ出来事に対して、多様な見方をできる人の方がメンタルは安定すると、言われている。つまり、自分だけの主観で判断せず、常に第三者の立場に立って物事わ観察することだと言われている。

世の中、善と悪、成功と失敗、正しさと誤りと、どんなものにも2つ以上の見方があると言われている。

それはね、
「自分から見た自分」
「相手から見た自分」
「さらに第三者として見た自分」
があり、その角度で見方が変わってしまう。

だから、自分だけで決めつけないで、必ず違う角度から自分を見つめる必要性があると思う。

そう、「すべてが自分のせい」なんてことはないのさ。
いつだって、「一方的に決めつけている」だけなんだよ!


2.そして、謝罪する、お詫びする。


手っ取り早い解決方法はね、謝罪する、お詫びすることなんだ。
coucouさんもそうだけれど、罪悪感を持つ人は謝るのが得意ではない。
もちろん、謝るのが得意な人なんて信用はされないけれどね。

でもね、間違えたら「ごめんなさい!」「申し訳ない!」「失礼しました!」という場合と、言えない場合があるけど、すぐさま言えない人は罪悪感が残る。

だって、謝っていない限り許されていないと解釈してしまうのだもの。
謝ることはとても簡単なことだけれど、現実はそう簡単には謝れない大人の世界だけれど、一言謝るだけでどれだけの曇りと霧が消えていくか試してもいい。

先日、coucouさんは大したことではないのだけれど、娘に「ごめんね!」と謝った。すると、娘が恐縮してcoucouさんに謝る。
お互いが自分があんな言い方してと謝り続けた。

これは、お互いを許し合うことになる。
(謝っても、当たり前だという顔をする人もいるのだけれどね)

coucouさんに謝る人がいた。
coucouさんは何も気にしていないことだったけど、人前で余計なことをいってしまった、と反省しながら謝った。
でも、coucouさんは、それは違うよ、と謝ったら、とても恐縮された。

そして、お互いが笑顔で終わった。

このように、謝るのは、相手を尊敬し、信頼しているから謝れるわけで、結果、謝罪は自分と相手双方のためになると思う。お互いが謝れる関係って素晴らしいとおもいませんか?

でもね、こんな人もいる。

こちらが誠意を込めて心から謝っているのに、当たり前、当然という人たちだ。さらに謝ったことで余計に攻撃する、せいにする人も多いよね。

こんな人は、要注意!

お互いが許し合える関係でなければ信頼関係など生まれないし、誰からも信用されなくなる。だから、素直に謝ってくれる、謝る場合、優しく、温かく、ごめんね、ありがとう、良かったね、という関係が罪悪感を失くす方法だとcoucouさんは思う。

それから、もう一つあるんだ。
それは、ただ謝ればいいということではないんだよ。
謝りかたって、とても大事なこと。

それはね、「誠実」「素直」、威張るような生意気な口の利き方で謝るのならやめた方がいい。

タイミングや場所もある、どこでも良いわけじゃあない。
そしてね、もっと大切なことは、相手の言い分をちゃんと聞く、そして、「感謝の気持ち」を伝えることなんだ。

あるとき、coucouさんは取り返しのつかない大きなミスを犯した…。
coucouさんは誠意を持って心から謝った…。
でも誰も許してはくれない。

それでも、謝り続けた。

すべて自分が悪いことだから全面的に非を認めお詫びした。
だけど、謝れば謝るほど、相手の怒りの炎は消えない。
むしろ、ガソリンを振りかけたように相手は怒り狂った…。
こんな場合だってある。

おそらく土下座しても許されない。
(土下座の人はほとんど許されない現実がある)

ある日、coucouさんは謝り疲れていた。
相手も怒鳴り疲れてきたのだろう…。

coucouさんは、今度はお詫びから、心から感謝するようにした。
「ありがとうございます…」と。
相手は一瞬、coucouさんに馬鹿にされたと思ったようだったけれど、coucouさんは素直に誠実に感謝の言葉を言い続けた。相手はそれでも許してはくれない。でも、感謝を言い続けた…。

その相手は、安堵した顔で、その顔から怒りが消えた。
そう、どうやら許してくれたようだ…。

彼は、coucouさんに、「あとは、頑張れよ…」といって去っていった。
coucouさんは感謝した。そのことは今でも感謝している。

©NPО japan copyright association 

coucouさんです。みなさん、ごきげんよう!
これはcoucouさんの体験的罪悪論、謝罪論でした。
この背景をお伝えするにはnote記事では限界。
とても長くなってしまうので、
小出しにエピソードとしてお伝えしますね。

みんなに、この失敗の達人coucouさんの言葉が何かに役に立てばうれしい~


でも、不可能なもの、こともあるんだよ!
それはね、この世を去った人たちさ。
友人や先輩、大切な人、かけがえのない人、好きだった人、愛した人、そして父や母。
謝りたくても、謝れない。
感謝したくとも、感謝できない。

こうなると、罪悪感や後悔が残る。

だって、もう、この世にはいないのだもの。

coucouさんは、罪悪感とともに、生き続けなければなりません。
それが辛い。

でも、最近になって「昇華」という言葉を知った。「昇華」の意味は、「負の感情である罪悪感をプラスへと転化する昇華」だという。

coucouさんは父や母のお墓や写真の前でいつも語りかけるんだ。「ごめんね」「ありがとう」「良かったよ」と言い続けている。そのたびに涙が止まらないときもあるけれど、きっと、許してくれていると信じるようになった。

みんな~
coucouさんみたいに罪悪感で苦しみ続けないでくださいね。

たった、一度の人生だもの。

罪悪感を吹き飛ばすくらい楽しめばいい、
それがcoucouさんの体験的結果論でした。


楽しく、生きればいいのさ。


では、また、あした~
みんな~
ありがとう~







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