373.想像ってね、すべての時間を戻してくれるのさ。
(26)人生に奇跡を呼ぶ方法
1. 想像は神さまからの贈り物
考えて見ると、想像力って人間に与えられた、
人間だけの特権かもしれないね。
どんなに嫌な事があっても、苦しく辛くとも、楽しいことを考えたり、楽しいことに没頭すると何もかも忘れてしまうことができるのだもの。
たとえ、経験や、体験がなくったって、想像する力でそれを補うことも可能にすることができるからね。
そしてね、想像は希望にも変わり、怖れや恐怖心さえも奪ってくれるからなんだ。
coucouさんはね、入院中に絵を描き続けた。
絵だけではないよ。
漢字がわからないけれど、文字や文章を書くことが好きになった。
病院内のベッドの下は、段ボールだらけとなって、そこはcoucouさんがが描いたものの置き場となった。
ただ、それは誰が見ても、それが何かなどとはわからないくらい下手な殴り書きメモのようなものだった。
紙はたくさんあるけれど、残念ながら消しゴムがないんだ。
そのため、すべての絵は下描きなしの一発勝負。
線が気に入らない、上手く描けなければその場で捨てていくののだから、まるで落書きのゴミ山となった。
その後、父は日本の本を持ってくるようになった。
今までは米軍の英語漫画ばかりだったけれど、日本の漫画わ見るようになった…。
漢字は読めないだけれど、雰囲気(想像)で読むようになった。
当時は貸本屋というものがあり、本屋には売られていない、置かれていない貸本だけの対象の本が出回っており、それを借りては返してくれる。
今でいうレンタルビデオ屋のようだった。
coucouさんは、そこで物語(ストーリー)というものに出会う。
今までは、絵だけだったけれど、文字を見る、読むという世界に広がった。病院内では昼間の検査以外がcoucouさんの自由時間だったけどけ、物語を読むようになると、夜が楽しくなった。
それは、眠る前に想像することができるからね。
その想像って、coucouさん自身がその物語の主役となって戦ったり、様々な場所に出向くことなんだ。
夜は自由に飛び回ることができるようになった。
もう、手に入らないものがない、と信じるくらいだった。
coucouさんはね、この頃から勝手に空想(妄想)して物語を考えるようになった。
2. 想像は存在しないものも生み出す
「夜と霧」の作者ビクトール・フランクルは意識を失いそうなくらい体力を消耗し奴隷のように働かされていた。
精神を崩壊する者、
自殺する者、
殺される者の中で、
誰もが死んで楽になりたいと考えていた。
彼らの幸せはそれでも目を瞑り横たわり、自分の身体を休ませることだっでた。この世を去ったらどれほどこの苦痛から解放されるのか、そう信じていた。
ある、夕方の休憩時間にフランクルは仲間たちと夕陽を見つめた。
昼間は空を眺める余裕などないが、この夕方の休憩は特別だった。
空は赤く陽に染まり、白い雲も赤くなり、辺り一面が赤色のグラデーションとなる。
フランクルは、この世を去った、愛する妻に語り掛けた。
「美しい夕焼けだよ…。なんてきれいな空なんだ…」
彼は、妻と二人だけで静かに時を見つめていた。
隣には美しく、愛する妻がいる。
彼の想像は想像を超えて、それが現実となっていたのかもしれない。
coucouさんの空想や想像も同じだった。
想像は存在しないものを生み出す。
coucouさんの身体はもはや限界を超えていた…。
絵や文字がまったく描けなくなった。
何よりも身体に力が入らない。
そして、すぐに疲れてしまうんだ。
もちろん食べることなどできない。
でもね、気持ちがいいんだ。
このまま別の世界に行けるような気がしていた。
coucuさんはね、別の世界にも旅をしていたから、早く行ければ楽しいと信じていた。
とても、おだやかな日々が続いた。
それでも想像することができた。
coucouさんは、もう少しばかり、幼い頃に過ごした父や母といる姿を思い出した。たしか、父が水彩画を教えてくれた時のことだった。
「下書きは線だけでできるだけ薄く描く、水彩画のポイントは最初に画用紙全体に筆で濡らす。すると、絵具が馴染みやすくなり、淡い色が出せる。そして、絵具が乾いたらもう一度色を重ね塗る。すると自分の望んだ色になる。最初に濃い色だと、後で直せないから…」
coucouさんは、父が絵を描いている姿を眺めていた。
目を瞑ればいつも父や母がいる。
話しかければ答えてくれる。
それは、今、現在も同じ。
想像ってね、すべての時間を戻してくれるのさ。
いつでも、どこでもその場所に出向くことができるのだから。
病院では打つ手がなくなった…。
何かを食べさせなければいけない。
父は、米軍の医師に相談し西瓜の缶詰を手に入れた。
それを病院に持ち込み私の口に入れる。
なんと甘く、ひんやりと、なんと美味しいのだろう…。
coucouさんは、西瓜の缶詰など未だに目にすることはないけれど、、米国から取り寄せたという不思議な缶詰だけで一命を取り留めた。
(適度な塩分が含まれていた)
父は、その後、coucouさんを医師に任せる事はできないと、強制退院させて自宅で治療をすることになった。父は独学で学び、その後、coucouさんを完治させた。(coucouさんは一切の塩分禁止の中での塩分療法だった)
(今でも、信じられない奇跡だと思っている)
この時代の父は、何を想像していたのかな?
coucouさんは、父が生きているときに聞き忘れていた…。
coucouさんです。
みなさん、ごきげんよう~
昨日、車の中でながらラジオを聴いていたらこんな言葉が耳に入り込んだ。coucouさんは慌てて車を止めてノートにメモした。
凄い言葉だった…。
「もし、世の中が喜びばかりだったら、
人は勇気と忍耐を学ばないだろう」
ヘレンケラーの言葉だという。
なんの番組かわからないけれど必死にメモった。
こうしないと、すぐメモしないと、
認知症の気のあるcoucouさんは何でも忘れてしまうからね。
いつもこんな調子。
新聞や本を読んでいるときも突然に言葉が耳に入り込む。
そう、確かに人生が楽しいことばかりだったり、幸せが続いていたら、それが当たり前になってしまい、嫌なことを避け、耐えることを嫌い、楽な道ばかり選んでしまうかもね。
だって、本当は、嫌なことがあるから嬉しさは倍増し、
少しばかり不幸なときは、ちょびりの幸せでも大きく感じるものね。
それに、頑張らなくなる。
だけれど、頑張ることは良いことでも悪いことでもないけれど、努力なしで喜びや、感動、充実感は起きないもの。
だから、あんまり頑張りすぎなくとも努力は必要だよね。
ヘレンケラーは、みんなもよく知っている通り、三重苦の奇跡の人と呼ばれているけど、彼女の奇跡はこれだけの不自由の中で、できる限りの努力を惜しまなかったことだと思うんだ。
だから、彼女は本当の喜びや、幸せを理解していたのだと思う。
努力するという勇気、
人から見れば、ちょっぴりだけど大きな冒険。
そのための辛さや苦しさ。
彼女は努力という奇跡によって、勇気と忍耐を学んだ。
目も見えず、耳も聞こえず、言葉も話せない。
でも、触れることはできる。
触れて感じることができる。
肌で空気や風がわかる。
匂いが感じる。
そして、何よりも人の心を感じ取ることができる。
でも、それは「勇気」と「忍耐」の賜物だもの。
ヘレン・ケラーは奇跡の人と呼ばれた理由が、なんとなくわかった気がするcoucouさん。
ああ、誰にでも奇跡は与えられているんだね。
だから、目の前に起きている奇跡を知ってあげる、知る必要があるような気がする。そうやって、奇跡は奇跡を教えてくれて、奇跡を見せつけてくれる。
そう、奇跡さん、ありがとう~
奇跡のノートクリエイターみんな~
奇跡をありがとう~
明日も、見てね~
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