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458.人って誰も「忘れたくない記憶」というものがあるはずだよね。

(19)人生を好転させる方法
how to turn your life around

1.わからないことは、わかんないんだよ。


 私たちって、当たり前のことだけれど、
どうしてもわからないことがあるよね。
 
それは、当然のことだよね。
 
簡単に何でもわかったら神さまだもんね。
 
だけどね、わからないことだらけで当たり前のはずなのに、わかろうと努力してしまう。このように、努力する、頑張るからわからないことが少しでもわかるようになるのだから、大事なこと?
 
でもね、どんなに頑張ってみても、どんなに努力しても、友人や先輩、経験者の人たちに相談してもわからないこともある。
ネットが普及して誰もが簡単に調べることができるのだけれど、それでもわからないものはわからない。
 
これも、当たり前のことだよね。
 
でも、どうして人間は、そのわからないことに対する欲望というものがあるのかな。(諦めきれない何かがあるのかな)
 
coucouさんはその欲望って、「執着」にも似ている気がするんだ。
 
問題は、わからないことをどうしてもわかろうとすることに無理があるような気もする。Coucouさんは最近、わからないことに対して必要なもの、こと以外は諦めることにした。

もちろん、能力的、キャパ(iQ)も足りない。
 
なぜって、わからないんだもの。
 
でもね、どうして執着してしまうのかというと「不安」だから、「怖い」「恐れ」「心配」だから?
まだ見ぬ未来に対して不安が「知りたい」「わかりたい」「わからないと困る」と脳が命令しているのかもね。
 
でもね、専門家でない限り、未来なんて誰も予測できないし、専門家だって、100パーセントの予測は不可能。

預言者だってよくわからない。
 
最終的には易者のいう、「当たるも八卦当たらぬも八卦」というしかない。

これが一番正しいような気がする。
 
ただね、目の前にある不安は気を付ける必要はある気がする。
まだ見ぬ遠い未来は別だけど、数分後、数時間後、数十時間後、今日や明日のことぐらいは、その「不安」って、良きメッセージとなる。「注意」や「警告」となるのだからこれって、とても大事かもね。
 
また、今ある不安に全力で取り組むことによって、まだ見ぬ未来が変わる場合だってある。
だから、目の前が優先。
まだ見ぬ未来など後回しでかまわない、とcoucouさんはね、勝手に信じているんだ。
 
そう、そう考えて生きていかないと、人生なんて何も変わらないのだもの。

©NPО japan copyright association Hiroaki


2. 人が忘れることは一種の自己防衛本能


coucouさんはね、とっても忘れっぽい。
 
良いことは「嫌なこと」「嫌だったこと」を簡単に忘れることができるんだ。
 
もともと私は記憶力が悪い。
暗記することも苦手。
三歩、歩けば鶏のように三歩前のことを忘れる。
何かをしていて、次の動作をするだけで前のことを忘れる。
人と話していたら前のことが思い出せなくなる。
人の名前や話したことも簡単に忘れてしまう。
 
まさに、子どもの頃から認知症。
そして、今も変わらない。
 
これって、coucouさんの子どもの頃からの大欠陥だけど、今では大長所となった。(嫌なことはすぐ忘れる特技となったんだけれど…)
 
ただ、残念、困ることもある。
 
それは良いこと、忘れたくないことまで簡単に忘れてしまうからだ。
これは困ったことだと思う。
 
ある心理学者は、「人が忘れることは一種の自己防衛本能」だという。
 
そう、なんでもかんでも覚えていたら人間の脳は破壊してしまうかもしれない。よくいう、「頭がいっぱい」状態。
 
「忘却とは忘れ去ることなり」なんて名言もあるけれど、なんでも忘れることができない、なんでも忘れても困る気がするよ。
 
こんな言葉もあった。
「のど元過ぎれば熱さ忘れる」って言うように、人は時が過ぎればやがて忘れることができるようにセットされていることがわかる気がする。
 
でもね、人には誰も「忘れたくない記憶」というものがあるはずだよね。


©NPО japan copyright association Hiroaki



どうしても、
記憶に留めておきたい。
絶対に忘れたくない。
 
それは初恋の人?
友だち?
別れた人?
父や母?
かけがえのない人たち?
 
何だろうね?
 
私たちが生きていれば「記憶」として残されている数々の想い出がある。その想い出は自分がこの世を去るときに一緒にこの世から去る。
 
また、どんなに忘れてしまったものでも写真を見れば幼い時のことを鮮明に想い出す場合もあるよね。
「記憶」って、一度引き出しにしまったとしても、金庫に保管してあったとしても、カギをあければ誰でも中身を見ることができるんだよ。
 
その「カギ」のスイッチが写真だったり、音声、音楽、言葉などがその役目を果たしてくれる気がする。
 
そう、一見消滅してしまったかのような「記憶」だけど、脳内にはしっかりと記録保存されているんだね。
 
だから、どんどんと忘れてかまわない。
 
忘れたからと言ってあわてる必要はない。
 
良いことも、悪いこともちゃんと保存されているのだからね。


©NPО japan copyright association Hiroaki

3.父や母を失った人へ、
子どもや友だちを失った人へ。

父や母、子どもたち。
そして、かけがえのない人を失ってしまった人たちへ。

これはね、全部実話。coucouさんの前に起こったリアル・ストーリー。いつまでも忘れないでいたい。何でも忘れてしまうoucouさんが自分のために綴ったものなんだけれど、coucouさんみたいにまだ胸の穴が開きっぱなしの人たちに送るメッセージなんだ。

この4作品はね、coucouさんが泣きながら書いたもの。
何度も何度も途中で止まり、詰まり、それでも何とか残したい、という親子のお話。

人には、みんなドラマがある。
人には、それぞれに悲しみがある。
人には、様々な愛の形があって、みんな違う。

でもね、人を愛する気持ちは、誰もがおんなじなんだね、きっと。
お時間があるときにお読みくださいね。全部、coucouさんのデビューしたころの作品なんだよ。

※coucouさんと同じ。いつも笑顔でいた。だってね、何にもできなし、笑顔でしか愛のお返しができないのだもの、違いは父に命を救われたこと。カールの気持ちがわかりすぎる…。

※突然、たった一人の娘に余命宣告された…。自分だってそんな宣告されたらパニックとなる。でもね、自分以外のかけがえのない、愛する娘だったらねどうするの?愛で人を救うことなんてできやしない。神さまだっていやしない。じゃあ、どうすればいいの…。

※子どもが、狂ったように親を怒鳴りつける、思いっきり我儘になる。だけれど、それは、親に対する精一杯のお別れと、愛情だったんだ。こんなにも辛く素晴らしいお別れもあるんだね。

※coucouさんが、はじめて会った女性に「もう、死なないでください…」と言われた。coucouさんは涙腺が崩壊してしまった…


©NPО japan copyright association 

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

久しぶりに古いアルバムを開いてみたんだ。
そしたらね、coucouさんは驚いた。

そう、こんなにも幼い頃のcoucouさんがいたんだ。
父も母も若い。抱かれているcoucouさんには当時、何もわからなかったかもしれないけれど、今ならわかる気がする。

父や母に抱かれているcoucouさんはね、とても機嫌がいい。
理由はわからないけれど、とてもうれしいんだ。
父の太い腕、母の柔らかな胸の中。

全部、全部、想い出せるんだよ。

父や母が写真の前で緊張している、笑い顔が無理している。
でも、coucouさんは遠慮なしに笑っているんだ。
そう、嬉しくて嬉しくて、幸せいっぱい。

ああ、coucouさんにも、こんな幸せのときがあったんだね。

記憶って不思議なもの、いざ想い出そうとしてもなかなか想い出せないけれど、写真や映像ってその背景まで蘇らせることができる。
coucouさんの当時は、写真なんてあんまりないし、貴重なもの。

今はいいよね。誰もが簡単に美しく、キレイに写真を撮って、現像する必要もないし、スマホには何千枚、何万枚って保存できるし、アルバムなんていらない。場所も必要ない。凄い時代だと思う。

でもね、あまりにも鮮明に想い出すと、coucouさんはね、すぐに泣いてしまう。別に悲しいからじゃあないよ。何もわからない幼きcoucouさんだけれど、その自分の笑顔を見ていたら、とても幸せな時があったんだとうれし泣きしてしまうんだ。

そこには、確かに自分の姿なんだけれど、もう一人の自分に思えてしまい、つい、良かったねって、言葉が出てしまう。

今は亡き、若い父や母の姿もそう。
戦中を生きて、戦後の復興と同時に何もない時代だったけれど、小さな家には確かに光があることがわかる。

その光はcoucouさんだったかもしれないけれど、coucouさんにしてみれば、父や母があたたかな光を放っているように見えるんだ。

家族がみんな一緒に暮らせるなんて、こんな贅沢なことはないし、これ以上の幸せなんてないような気がする。

やがて、coucouさんに弟が生まれた。

すると、その当時の白黒写真なんだけれど、さらに眩しい光を放ち、父や母の笑顔はもう、緊張感などなくて、自然の笑顔の中にcoucouさんと弟は包まれていた。

父は家族が欲しかった。

戦争中に父や母も別々となり、兄弟姉妹が離れ離れとなり、ただ、家族の安否だけを願いながら生き続けてきた。

家族は絶対にそばにいなければならない。
兄弟姉妹は離れ離れになってはいけない。

今となってはその父の言葉が遺言になってしまったけれど、現実はそうならない。もうもそんな時代は戦争がなくとも同じかも知れない。
子どもたちだって自分の責任として生きている。

そして新しい家族ができる。
そうすると、相手方のご両親もいるわけだから、そう簡単ではない。
あまりにも時代と、環境が違いすぎるんだからね。

でも、父は天から言い続けているかもしれない。

家族は絶対にそばにいなければならない。
兄弟姉妹は離れ離れになってはいけない。

今は、とても便利な時代。
父や母の時代とは大きく違う。
みんなスマホで簡単に会ったり、話したりできる。
そう、いつでも、どこでもね。

でも、それでもいつでも、どこでも連絡を取り会うわけじゃあない。
便利すぎて、その必要がなくなったのかもしれない。

そう、coucouさんはね、子どもたちには任せることにしたんだよ。
だってね、みんなの人生なんだもの。


嵐のお彼岸の17日に父と母にそんな報告をした…。

きっと、coucou、それは違うよ、
そんなもんじゃあないんだよ、

みんないずれはお別れするのだから…。

そんな声が聞こえた気がした…。



Connie Francis "Where The Boys Are" on The Ed Sullivan Show


 
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru







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