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328.我儘ってね、自分の生きたいように生きるという意味なんだね!

1. いい人をやめる


 世の中には「いい人」と「悪い人」がいるけれど、本当はほとんどの人は「いい人」で、そんなに悪い人なんていないよね。

でも、「いい人」と「悪い人」とって、自分の心の中にあるけど、人間には誰にでも「良心」というものがあるんだ。

その「良心」が「いい人、悪い人」と、
自分の心の中を見分けてくれているんだと思う。

自分に我慢を強いて、多数派に合わせて生きている「いい人」たちは自分を抑圧し続けているために、とても不安になったり、恐怖心が大きくなったり、心配が膨らんでしまう恐れを持っている。

それって、本当はとても不安定で苦しい生き方だよね。
これでは他人に合わせて、空気に合わせているだけで、冷静な正しい判断などできなくなる恐れがあると思う。
そして、最終的に本当の自分の姿さえ見えなくなってしまうんだ。

「いい人」を続けると、
「それは違うと思う」
「私はこう思う」
「ここをこうした方が良くなると思う」
「もう一度最初から考え直してみるのはどうか」
「そもそもこれでいいのか」
なんて、言えなくなる恐れがあるね。

だから、ここで「空気を読まない」生き方を選択して、
我儘に生きるのも良い人生に変わる可能性があるかも。

でもね、そのためには少しばかりの勇気が必要になるかもしれない。
ただ、偽りの自分を捨て、本当の自分を信じて、振り回されず自由に行動することに勇気と覚悟が必要となる。

もしかすると、その瞬間から世界が変わるかもしれないよ。
「空気を読まなくていい」
「読みすぎなくていい」
「無理をしなくていい」
「いい人と思われなくていい」
「嫌われてもいい」
「好かれなくてもいい」
「愛されなくてもいい」
「おもうまま、我がままでいい」
 
さて、我儘で不機嫌で、その場の空気を読まない、人の気持ちは理解しない、自己本位に生きることが必要になった時代。

そんな「悪い人」になってませんか?


©NPО japan copyright association Hiroaki

2.   鏡の中へ

最近のcoucouさんはね、この矛盾な世界に対して自由に生きる決心をしたんだ。もっと、もっと我ままに、もっと、もっと自由に、好きなように生きて見ようと思い始めたんだ。

その大きな理由はあまりにも酷くでたらめな社会、567拡大によって目を覚まされた気がするんだ。
さらに、驚くべきことに人間はこれだけで、簡単に大きく変わってしまうという恐ろしさなんだ。
それは多数派の存在、右に習え、赤信号、みんな渡れば怖くない!という恐ろしい考え方だった。

ほとんどの人が恐怖に怯えている姿。

怯えるというのはいくつかの理由があるんだ。

一つは「自己への怯え」、もう一つは「他者への怯え」。
自己への怯えは仕方がない話かもしれないけど、それは自分への不安、怖れになる。不安って、不安になれば不安になるほど不安になり、その不安はさらに拡大するものだもの。

なかでも、お金の不安は無限なもので100万円でも、1000万円でも、1億円あっても留まることを知らない。
そして、誰もが生活の不安を抱えて生きている。

夫婦仲が良くてとても幸せな家庭であっても、夫が死んでしまったら、妻が死んでしまったら、どう生きていけばいいのかわからない。一人で死んでしまうのが寂しい、だから誰でもいいから人生の後半は二人で生涯を終えたい、という人がいる。

このまま独身でこの世を去るのは寂しすぎる。
でもね、その不安は、たとえどんな幸せな家庭であっても、恐れは恐れを呼び込み、まだ見ぬ未来に対して恐れ続け、やがてその恐れはさらにモンスター化して襲って来るんだよ。
 
そしてね、人間は一人で生まれ、一人で死んでゆくことは誰もが一緒であって共に心中でもしない限り、手を取り合ってこの世を去るなんて不可能なことなのさ。
 
また、死ぬ者は自分が死ぬのだと自覚して死ぬ人は、ほとんどいないといわれるように、誰も死ぬ瞬間のことなどわからない。だから、死ぬという概念は人間が勝手に創りだした妄想に過ぎないんだよ。

もしかすると、このすべての世界は妄想かも知れないけど、私たちに唯一残されている自覚というのは「生きているという実感」だけが残されている気がする。
この生きているという実感には妄想は通じないけれど、自分の人生を犠牲にし、我慢し続ければ現実がわからなくなり、実態や実感がなくなってしまうのは当然のことかもしれない。


©NPО japan copyright association Hiroaki


 
本来の人間はもっと我ままで、もっと優しかった気がする。
 
その優しさとは、
その人の背後にある姿を感じたり、
その人の言葉の奥底の本当の真意を感じたり、
この人は冷たいと思っても、
実は自分の冷たさが反射していたり、と。

人に振り回されない自由な考え方が、
その人の真実を導く方法だということを、人類は忘れ去ってしまったような気がする。
 
人は、「自己への怯え」で生きる事ではなく、
「他者への怯え」で生きることが大切だと思うんだ。


他者への怯えとは「いのちの怯え」。
いのちの怯えとは大切な人、
かけがえのない人との最後の時、
最後の時間を大切に過ごすことなのさ。

どっちにしても、私たちは自動的に大切な人、かけがえのない人とは別れる運命なのだからね。
(だって、今目の前にいる人たち(いのち)も、やがて、みんないなくなるのだから、そう考えると哀しいね!)

そして、その「他者への怯え」の必要なことは、
他者を通してでしか自分の姿、実体を見る事ができないからね。
(自分の姿や考え方ほど、見えにくいものはないもの)

ほとんどの人は自分を通してでしか、他者の姿を見ていないようだけど、人は鏡のように反射するものだから、本当の自分の姿はその鏡を通して知る以外にはないかもしれないよ。

ただ、他者を通して、自らを見つめる事によって不安や怖れ、恐怖心の姿がまるで変ることがわかるはずさ。

そしてね、その鏡の前でも自分を偽ったり、嘘をついたり、何かに合わせている自分がそこにいたとしたら、そのまま鏡は映し出してしまうのがわかると思う。(仮面を被れば、その仮面のまま映る)

でも、その映し出された姿は、
曇りガラスに映る自分の姿のように、心の曇りを撮らない限り、本当の姿がわからなくなんだ。
 
coucouさんはね、もっと、もっと我ままに、もっと、もっと自由に、好きなように生きて見ようと思う。
だってね、我ままって、自分の生きたいように生きるという意味だもの。

本当の我儘は、「我がまま」、
本当の自分という意味で、決して自己中心的なものではないよ。

我がままになると人を許せるようになる。
より、他人のことを考えるようになったり、反省したり、改めたり、人に対する思いやりができるようになるんだと思う。
(自己中心的な我儘は、良心が教えてくれているんだ)

人は我慢に我慢を重ねる人生では、
自分のことばかり考えて生きて来た結果だ、ということを認める人は少ないけれど、他人の目や言動を意識(鏡に反射している姿)していれば、それは結局自分のことばかり考えていた結果にすぎないということがわかるはず。

我がままに生きるってね、本当は人から愛される生き方に変わるのさ。
だって、素直で正直だからね。

我がままに生きるということは、
人に頼って生きていく、
人に甘えて生きていく、
人を信じて生きていくことになるからさ。

自分の欠点を見せて、
自分の弱みを見せて、
自分のいい加減さを見せて、
気が利かなくて、
空気が読めない、空気を読まない。
自分のやりたいことだけをやり続ける。

するとね、我がままな自分を、支えてくれる人たちの存在を感じるようになり、涙が零れそうになるほどの感謝の固まりに遭遇するはずだよ。
 
coucouさんは、我がままは悪い事だと長い間信じて来た。

こんなに人のことで頑張り、尽くしても、尽くしても感謝されない。
人に頼まれることを喜びとして生きて来た。

そのためには自分に厳しく、
自分を甘やかしてはならない、
人に頼らず、人に助けを求めてはならない、
我慢し、無理し続け、
一人で膨大な仕事を抱え続けた。
一切の無駄なことはしない、自分の誤りは自分の責任、人の誤りも自分の責任、すべては「原因と結果」を信じて来た。

でも、我がままに生きるってね、それらとすべて反対の生き方に変わるんだよ。
そして、coucouさんは人にものを頼むようになった、頑張ることをやめた、尽くさないことにした。自分を甘やかすようにした。人に頼り人に甘え、人に助けを求め、我慢せずに無理せずに、膨大な仕事は分散するようにした。
決して一人で抱え込まない。無駄な事も始めた。
すべての責任は自分だけではない、すべては「原因=結果」ではないと知るようになったんだ。

すると、毎日が感謝でいっぱいになる。
coucouさんの我がままを、代わりにしてくれる人たちがいるからだ。

まず、その人たちに申し訳なく、ありがたく、感謝に埋められていくんだ。
~ああ~申し訳ない、ありがとうという感謝の気持ちが生まれてきた。
 
そう、まったく逆の生き方となったのさ。
 
どうやら、我ままに生きると、他人に愛されるようになるような気がするようになった。
coucouさんは、coucouさんの我がままを受け入れてくれる人たちのために、役に立つ人間になろうと思う。

これがcoucouさんの、最後の人生の使命と目的のような気がしている。
 
coucouさんは、たくさんいる多数派と呼ばれる人たちの中で、
我がままな少数派で生きる決心をした。

©NPО japan copyright association Hiroaki
©NPО japan copyright association 

coucouさんです。みなさん、ごきげんよう!

世の中、いい人ほど我がままではない気がする。

それは、相手のことを考えたり、思いやりがあったり、優しさを持っているから、我がままって、ほど遠い気がする。

でもね、だからといって、いつまでもいい人を演じて生きていくのなら、寂しいと思うんだ。そのために、自分の意志や考え方を押し殺して多数派の意見に従うなんてね。

でもね、結果としてそのいい人によって、いい人が辛い思いをしたり、苦しめられてしまう世の中のような気がするcoucouさん。

最近のcopucouさんは変な遠慮は捨てよう、と心に誓った。

それはね、あまりにも理不尽な我儘な人たちもたくさん世の中にはいる。
どんな人が理不尽なのか、というと「人を傷つける人たち」「人のいのちを尊敬しない人たち」「脅かしたり」「威嚇したり」「威張ったり」「意味のない自慢をする人たち」。
別にその場の空気が読めないというのは悪いことではないけれど、そのために人を追い詰めるようなことをしてはいけないと思うんだ。

だから、最近は、coucouさんの前で理不尽な我儘をいう人には、あえて、理不尽な我儘をいうようにしている。だからといって、喧嘩しようとか争おうとは一切考えていない。

coucouさんが我儘を言うことで、その理不尽な我儘を言う人たちがどう、感じ、同考えるのか、観察しているんだ。
「人は鏡」、だからあえて、反射し合うことも必要なことで、当然、coucouさんもそのことで自省するけれど、相手も自省するようになると思っている。(現実はそれでも難しいとは思っているけれどね)


でもね、優しさと思いやりのない我儘は悪だと思う。


coucouさんはね、思いっきり、我がままになってやるのさ!




みんな~
ありがとう~
また、あしたから

みんな、今日も素敵な一日になりますように~



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