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私は可愛いですか?

自分は可愛いのだろうか。幾度となく問いかけてきたこの質問。知らないうちに自分に呪いをかけてしまっていることもある。

人は顔が全てなのだろうか。全てと言ってしまうのは言い過ぎかもしれない。

顔の話は、センシティブな話になるので避けるようにはしていたが、私も思うことが多いので、同じような人がいるかもしれないと思いつつ書く。なので、苦手だと思ったらどうぞすぐに読むのは止めにしてください。



私は可愛いか可愛くないかといったら、可愛いと思う。これは今だからそう思えているだけだ。それも、最近のお話。

私は過去に何回かいじめを経験している。

幼稚園、小学校、中学校、と人格形成において大事な時期は、私にとって人格否定された時期だった。

大学に入学してからはいじめもなく、周りが大人に成長していることに軽く衝撃と感動を覚えた。そして、大学の友人と話をする度に自分の置かれていた環境がいかに特殊だったのか、普通ではなかったのかを知った。

周りにいる多くの人たちはいじめもなければ、今までで特に思い出はないというような所謂平凡に生きてきた人たちばかりだった。彼女らが話しているのを聞く度に、環境って大事なんだなと思った。


さて、子どもの頃からブスだと言われ続けた私は、本当に自分はブサイクなんだと思っていた。鏡を見るのも嫌だった。もちろん可愛くなりたいと思う時もあったが、自分なんかが可愛いと思うのも馬鹿げていると思っていた。

子どもの洗脳は怖い。まだ世の中のことをよく知らないから、自分の経験したことが全てだと思ってしまっている。

自分のことをブスだと自分で思っている限りは一生ブスである。鏡を見て、写真を撮られても、そこに写っているのは全て醜い自分でしかない。

そうして笑うことをやめるようになる。笑わない子どもは可愛くはない。

もちろん両親は基本は私のことを可愛いと言ってくれた。だが、母は厳しかったので、少し丸くなってきただの容姿のことを容赦なく言ってきてそれが辛かった。

大学生になった頃に、「そうやって容姿のことを言うのはやめて欲しい。自分で分かっているから」と言ったらピタリとそれ以降は言わなくなった。代わりに妹が母に言われるようになったので人間って変わらないんだなと思った。

今では母に、ご飯食べなさい、と言われる毎日だ。痩せすぎじゃない、顔色が悪い、と。心配してくれているんだろうけど、どうしても容姿が気になるみたいです。それなら少し肉がついていた時も、丸くなったねと私を笑わないで欲しかった。



もしもあの頃、自分は可愛いと自分に自信を持つことができていたら、どんなに変わっていただろう、と思う。もう少し、青春を謳歌することができたんじゃないかと思う。

いじめに関していえば、言葉で色々悪く言われるのも悲しかったが、身体を触られるのもすごく嫌だったし、物理的ないじめも痛くて嫌だった。

本気で殴られるとかの暴力であれば、周りの大人が気づいてくれたかもしれないが、そこまで酷いものではなかった。今思うと周りの大人は気付いていただろう、といういじめもあったが、何も変わらないのが厳しいところだと思う。

今では誰か大人に「助けて」と相談するべきだったと思うが、その当時は男女それぞれの大人からもいじめを受けた経験があったので、大人も警戒すべき人に含まれていた。



そう思うと、私って相当いじめやすい人間だったんだなと思うが、それでも私はまだ運がいい方だと思う。

本当のブサイクではなかったから。もしもこれが本当のブサイクだったならば、誰も私に構いはしなかっただろうし、むしろもっと状況は過酷だったかもしれない。たかが顔くらいで、とも思うが。

いじめてくるのはほとんどが同級生の女子だった。

小・中・高と先輩たちには可愛がってもらった。先生も、私を贔屓にしてくれる人はいた。でも、私の警戒心がほどけず相談することは叶わなかったが。

小学生の頃から、私を可愛いと言ってくれる男子はいた。それでも、ブスだと言われ続けて私の心も汚くなっていたので、男子と仲は良いとはいえ、からかわれているのだとしか思えなかった。

女子に無視され、仲間外れにされても男子と帰れば良かった。だからこそ、男性に対して警戒心がなくなりレイプなど巻き込まれることになるんだと思うけど。

そして、特に小・中学生の頃はまだ人前に出るのが好きだったので、友達や知り合いは多かった。人付き合いが多くなれば、合わない人だって出てくる。

そういうわけで、いじめられる要因は揃っているようなものではあった。



学校を卒業するにつれ同級生の女子から離れるようになると、ブサイクだと言ってくる人がいなくなってきた。そして可愛いと言ってくれる人は変わらずいた。

そこで、私ってブスではなかったのではないかと思うようになった。

そうなればもっと可愛くなりたいので、メイクを研究したり、筋トレをしたりして努力をするようになる。可愛い女の子は皆努力しているのだ。

今では、知らない人に可愛いと声をかけられるし、彼氏と一緒にいるにも関わらず知らない人にすれ違い様に可愛いと言われ彼氏を怒らせることもある。昔と比べると周りの対応の差に驚いてしまうが、内心勝ったなと思う自分もいる。


可愛いと言われることはもちろん嬉しいけれど、ずっと言われているとそれに慣れている自分もいて、私をあがめているかのように可愛いと言ってくる友達に対しては不思議な感覚になる。

少し前、友達に「のんちゃんは美人だからいいよね」と言われた。彼女は私に対してそう思いながら接してきたのかと思ったら対等な関係ではないと思ってショックだった。


私が今痩せているのはほぼ病気になって痩せたようなものではあるので、だからか顔色が悪いのか、たまに「大丈夫?」と言われることもある。

それで、「顔の骨見えてるじゃん」と友達だと思っていた人に笑いながら言われたときに傷ついている自分がいて、その時にも思った。

なんでこんなに顔のことを気にしないといけないんだろう、と。


別に私だって自分の顔が完璧だとは思わないし、コンプレックスをすぐに3つ挙げることができるくらいには気に入らない部分もある。

それに、街ゆく人を見ては、あの顔好きだな、と目で追ってしまうこともある。


だけど、それにしてもこのもやもやは何だろうと思う。人に言われた事に対して真剣に向き合って受け止めるから振り回されているだけだとも思う。

どちらにせよ私は一生自分の顔を気にしながら生きていくのだと思う。

他人の言葉で私の顔は造られているみたいだと思うが、その言い方もあながち間違いではないと思う。



せめて自分の子どもには、自信をもって、周りの言葉を気にせずに生きて欲しいと思う。誰か一人だけでも自分を認めてくれる人がいるのは生きていく上での心の支えになるので、私がそのうちの一人になればいい、というよりそういう存在でありたい。

少しでも、一人一人が生きやすい世界になればいいなと思う。




今回はここまで。あくまでも世間一般ではなく、私個人の考えです。読んで下さりありがとうございます。スキ、コメント、フォロー励みになります。

この話題は何回も書きたいけど、、と迷っていたものなので、軽い気持ちで書いたわけではないし、ふざけているわけでもないので、そこだけご理解いただけたら幸いです。

では、また。
















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