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「アスペルガー症候群」について

もはや最後まで読まなくても、いいです。ただ、此処を見つけてくださって折角をクリックしていただいたので、ちょっとした手土産にでも、これだけは憶えて戻って頂ければ嬉しいです、ありがたいです。

「普通になりたい、誰かみたいになりたい。ならなくてもいいです、というより、なっちゃ駄目です。貴方が貴方で、その個性であると受け入れて、自分を生きることを決める方が何億倍も尊いです。」

では。







こんにちは。
いつも読んでいただいて、ありがとうございます。スクロールして頂いて、此処をご覧になっているということは読まれているということなのですね。善良な読者の皆様に、感謝感激雨嵐です。ありがとうございます。
悪い勧誘でもなんでもなく、本当にそう想って貰えたら、それが一番だと想っています。此処から先は結構長くなります。

タイトルにもあるように今回の内容はアスペルガー症候群です。ASDとも略して呼ばれます。手帳の有無で判別されることもありますが、無い場合は「傾向がある」という呼ばれ方をします。
私もその重度傾向があるとされました。診断されたというよりも知人の知人がぱっと見ただけで、それに気づいたそうです。みる人は一発で見抜くので、凄いと感じました。
大きく驚くというよりは、やっぱりかという納得に似た気持ちに落ち着きました。
いろいろと順序を立てながら書いていこうと思いますので、最後までお付き合いいただければ幸いです。どうぞ、宜しくお願いします。


アスペルガー症候群とは

まず、ASDとはというと、自閉症連続体(広汎性発達障害とも呼ばれる)ものです。これは書こうと思った気持ちは「アストリッドとラファエル」の感想を書いたときから、ありました。ですが、充分に自分が受け入れられておらず、ASDや発達障害と聞くだけで、蔑まれているんだ邪魔なんだと認知してしまいました。だからこそ、アスペルガーのせいで自分はダメなんだと自分を恨みました。それに纏わる書籍も私はあんな風に(アストリッド)優秀で賢くないから、きっと無理だ書けないと卑下して取り組めませんでした。しようとしても、本と内容を直面する度、ASDの特徴と周囲を読む度、厭な事が何度も思い出されました。誰にも打ち明けられなくて、泣いていることもありました。でも、書き切るというのは決めていたので、それが受け入れられた今になっただけなのかもしれません。

これも、こだわりと言うのかわかりませんが、この「発達障害」という言葉がとても嫌いでした。広義では発達の妨げになる、というらしいですが。本人だけに対してというか、「あいつ発達障害だからー」など、発言した人から邪魔の対象と言われている悪意の意図があるようなこともあり、個人的にも複雑な想いです。
ここで、相手はそう思う考えを持っている人なのだと、ここで区切るだけでもストレス緩和になります。意図的に実験的に一人やってみると、それだけでも練習になります。

たまに「アスペルガーには心がない」と揶揄されるのも、見かけることがあります。本当に理解した上でそれを言っているの?調べた上?誰かの言っていたのを鵜呑みにしてそう言っているの?と疑いたくなります。ましてや良く調べられてもいないまま、書籍として出ていた時は心底がっかりします。これの答えはノーと断っておきたいです。心がないのではなく、使っている脳の箇所が少し違うからであるため得られる答えが少し変わってくるという具合です。それも詳しく書籍に記載されています。

話が逸れてしまいました。アスペルガー症候群という名前は後から名付けられた症候群の名称です。最初にハンス・アスペルガーという小児科医が特異な子どもたちに出逢ったことがきっかけです、この時は「自閉的精神病質」と呼ばれでいました。アスペルガー博士の意図としては「視野が病的に狭くて、こうでなくてはならないと思い込んでいる状態の病気」と言った感じでしょうか。なるほど、こだわりが強い傾向にあるというのは、納得という気がします。
英米の地域でもこの状態が知られるようになりました。今の名称になったのは社会精神医学者のローナ・ウイングがアスペルガー博士の論文を読み「アスペルガー症候群」という名前になったこと、自閉症とは思っていたよりも頻度の高いもので軽度から重度までの連続体(スペクトラム)であるという事から、自閉症スペクトラムと呼ばれるようになりました。

自分の経験

私は幼少期、国内外で転勤があったり、新しい環境に不安しかなくて気分の浮き沈みが激しい方でした。そして、どこに行っても馬が合わずにはぶけやいじめにも遭いました。不登校になりたいくらいでしたが、それも叶わずに行きたくなくてずるずると学校にも通っていました。

人が嫌いでした。会うのが億劫でした。物凄い陰キャで、攻撃的な思考を持っていました。これから紹介する書籍で言う所の「冷蔵庫」状態でした。というか、そういう環境下に居たのだ理解できるようになりました。その大きな要因は父親からの影響だったのだともわかってきました。
良く「完璧でいろ」「なんでそんなこともできないんだ、わからないんだ」「人を信じるな」「そんなんだからお前はだめなんだ」とまあ思いつく限りにありとあらゆる排他的で完璧あること、冷徹になることを言われてきました。
内気で怖がりだった時はその言うことを聞かないとここに居ちゃダメなんだってずっと気を張っていたんだと思います。ずっと認めて貰えないんだ、完璧で居なくては好かれないんだ、ずっと独りなのだ、たとえ精一杯の結果が一歩及ばなくても、求められた物以外はアウトで今の結果は結果として受け取って貰えないのだと思い続けていました。母はそんな父に「厳しすぎる、そんなに言わなくてもいいじゃないか」と立ち向かってくれていました。が、庇ってくれた母さえ「そうやって言うと、こいつは何もしない、甘える。」とばっさりでした。おまけに説明も碌にうまくなかったので、「何言ってるかわからない」と見向きもされませんでした。
今はそんなことなかった、自分で自分を磨くことも考えなくてはなりませんが「」とは逆のことをしてもいいんだと考えるようになっています。
父もまたASDの恐らく孤立型で、自分を大事にできなくて今に至っているのだと感じています。離れている、今でこそです。

傷の浅い時、周りと馴染めないのってなんかあるのかなと思って、当時パソコンいじりで調べるのが好きだった子ノルは精神病診断という無料診断を見つけてやりました。そこで初めて「アスペルガー」という言葉を知りました。その中身も自分に当てはまっていたので、私はこれなんだと思いました。当時、基本頼りが親だったので、「私、アスペルガーっていうのに当てはまった」となんの悪びれもなく言いました。思った事を率直に愚直に言うのもASDの傾向だったのだと感じます。
そしたら、めちゃめちゃ怒られました。そうだと思うからそういう病気だと思い込むんだ、そう思わなければ誰もが「普通」だ、そんな無駄な物調べるな、もう今でもよく覚えているファーストインプレッションでした。

そして、ついぞ一昨年くらいに改めて母親にもう一回伝えました。「友人の友人が専門としてて、診てくれてやっぱり私はアスペルガーだった。私はその症状に併せてちゃんと生きるように考えたい。」と。心のどこかで信じてほしいと思ったんだと思います。でも、これも信じて貰えず、剰えその友人になんでそんな事を言うのかを問い質そうと連絡して電話寄越せと揉めました。
ASDのこを話すと若干ヒステリックに構えられるのですが、先日その事で母親と話に決着させました。「だいたい症状があればそういう風に名前がついて、病気になるからそう思っているだけではないのか。これまでの環境がそういう風に考えさせたんじゃないか。」と改めて言われました。私は「そうじゃなくて、大きくは遺伝の所が大きいんだって本でも研究が出ている。遺伝だからこれは、変えられない部分。そしてお父さんはその傾向を持っていてそれを私が受け継いだ。環境も心もそこからダイレクトに関与したから、得られる情報も行動も表情も狭い範囲しか学習しなかったし、できなかった。挑戦するのもずっと怖かった。なんならこうしてもう一回伝えるのだって怖く思っていた。でも、もう信じて貰えなくてもいいから、言う事は言っておこうって決めたでもう一回言いに来たん。」と言いました。その後、根負けしたのか本当に納得したのかわかりませんが「そうかぁ。」と、「言われてみれば、あんた、お父さんと離れて明るくなったよな、行動も前向きになったもんな」と言われました。

一番長く居るから、一番信じてほしかったんだとは思いました。でも、そうはなりませんでした。ただ、ただ、おかげで本当に信じるべきは誰かじゃなくて「私」だと気づけました。アスペルガーも私で、そうでないときの私も私。ちゃんとフラットにそれ以上でもそれ以下でもないのだと少し受け入れられるようになりました。そして、喩え評価がよかったとしても、私は人並みのこころの基準になるまでに至れていなかったのだと再確認しました。
ここに辿り着くまでに、時間は掛かりました。一朝一夕では私は無理でした。そして孤立型になったらこの考えからは更に遠のいていたと言っても差し支えないと感じます。ずっと冷蔵庫人形になってました。
だからこそ、今ASDやADHDと言った個の名称で区別されて認知されて、拓かれ浸透し、表向きからも改善が試みられつつある現状が素晴らしい事だと思っています。

たまにやらかして、頭の中「ひゃーーーー!どうしよう!」「いや、落ち着け。リカバリーしよう、いやどうする??」ってパニックになりますが、前ほどの苦しさは随分減りました。なくなったわけではないです。職場でどうしようってなった時は、上司にその「どうしましょう」を相談するようになりました。今の方々は、適切な行動を教えてくださったり、不安のし過ぎだったら「大丈夫!」と笑ってくださって、それだけで「私、ちゃんと言えた!」「親切があったかい!」と受け取れるようになってきました。
以下の紹介する本にもあったので、ちらっと触れますとアスペルガー症候群は遺伝が大きいのです。

分かり易い書籍

中でも私は「アスペルガー症候群」岡田尊司さん/幻冬舎新書がおすすめです。こちらの方の本は、各チャプターごとに綺麗に分けてあること、その時に合ったケーススタディが載っていること、アスペルガーと呼ばれるようになったその経緯などが書かれています。他にもこれも良さそうかなと思うものは後にご紹介させていただきます。症状や対処に関しては、多くは言い方が違えど、だいたい似ています。ですが、本人の為も、その周りの為もを示してくれているのはこの方の本かなと私は感じます。まだ、知識として知るにも実践や心構えとしてにもとても助かります。

各チャプター

各章は以下のようにして書かれています。

はじめに
第一章 アスペルガー症候群とはどんなものか
第二章 アスペルガー症候群の症状とはどのようなものか
第三章 アスペルガー症候群を診断する
第四章 アスペルガー症候群の脳で何が起こっているのか
第五章 アスペルガー症候群の増えている原因は何か
第六章 アスペルガー症候群と七つのパーソナリティ・タイプ
第七章 アスペルガー症候群とうまく付き合う
第八章 学校や家庭で、学力と自立能力を伸ばすには
第九章 進路や職業、恋愛でどのように特性が活かせるのか
第十章 アスペルガー症候群を改善する
おわりに

これが更に節に分けてあるので、読みやすいし、最初から読んでも必要なとこだけ切り取って読んでも役に立つと思います。それぞれのASDのタイプも細分化されているので、私も見た事のないタイプもあって発見になりました。
この方の他の書籍にはADHDや境界性パーソナリティー障害などもあるので、関心のあるものもお手に取ってみていただくのもいいかもしれません。先に断っておきたい事があります。「貴方が貴方でいい」というのを「このままでいい、何もしなくていい」と受け取らないで頂きたいのです。それはツァラトゥストラでも申し上げたなってはいけない「末人」になる第一歩です。ちなみにそのニーチェもASDだった可能性があるとされております。
ASDであれADHDであれ、個性という点でメリットもデメリットもあります。だから、デメリットを軽減してダメージを軽くしていくのは大事な事です。自分の特性をちらっとでも知っておくだけで、自分はそうだったというちょっとしたブレーキになれます。
薬での療法も一応はありますが、これはこれでご注意いただきたいことがあります。薬は体にとっての異物であることと、薬は症状を一時的に抑えるだけであって、症状自体は治っていないことです。薬によって症状が出てない嬉しい!という感動の気持ちになるのは、とても分かります。これは間違えないでほしいです。長期連用によって薬の効果が薄れたり、効き目0になることもあるからです。
これらの特性を自分「○○だから」と言うのに引け目を感じられるなら、尚の事、その特性って読んでみたらどんなものかを記憶に留めておくだけで相手にこうさせたい、なんでやってくれないのという依存・強制力が落ち着いてくると思います。

上記以外の書籍

ではこちらでは、他に(私が見つけて、よかったと思うものにはなりますが)こんなのもあるよという紹介をタイトルとチャプターに触れながらご紹介します。

ASD・ADHD・LD女性の発達障害/河出書房新社
第1章:周囲との「違和感」や「生きづらさ」を感じていませんか?
第2章:女性のASD(アスペルガー症候群)、代表的な行動パターン
第3章:女性のADHD、代表的な行動パターン
第4章:成長とともに大きくなる、人間関係の悩みと対策
第5章:就職・仕事の悩み―どんな仕事が向いているのかわからない
第6章:診察室で診た発達障害の女性たち―宮尾益知の診察カルテ

この本のいいなと思ったのは、症状を持っている特に最近の当事者の方々の意見がインタビューとして掲載されていることです。あと、簡潔ではありますが、他の症状はどういう行動が起きるのか、どんな思考になるのかが見比べられます。良し悪しという点ではなく、こういう発想や傾向を持っているというのが読めます。少なくともASDとADHDってこう違うのだというのが分かり易いのが特徴に感じます。

図解よくわかる大人のアスペルガー症候群/ナツメ社 上野一彦・市川宏伸
はじめに
Chapter1 アスペルガーの特性
大人になってから気づく自閉症の仲間(似てはいるけど別物)

三つの特徴の一致
社会性の障害
言語コミュニケーションの障害
想像の障害(予定外に弱いが興味関心に強い)

アスペルガーの長所
・高い記憶力と集中力
・単純作業や地道な作業が得意
・独特のイマジネーションや感性で独自の世界を創る

反面、周囲から誤解されやすい
・話が通じない
・率直すぎるために誤解を生む
・会話についていけずに脱線する
・マイペースなために非常識に映ってしまう
・距離感が判らない
・ルールに対して厳格(これは良くも悪くもという部分があります)

Chapter2 アスペルガー症候群は発達障害に分類される
*分類されますが、診断と特定が難しいので早期発見だと対応しやすいとされています。発達障害というワードに過敏になって、後を聴いていないケースもある。
・脳の経由先が一般とASDでは異なる
・育て方だけで起こるものではない

Chapter3 自分はアスペルガーかもしれないと思ったときは

Chapter4 サバイバルヒント
・自分を知って、人にはない力を活かす
・「人と違う」を受け入れる、「普通は目指さない」(岡田さんの書籍に出てくるエジソンのケースエピソードがこれに相当すると思われます)
・人付き合いは無理しない、焦らないこと
自分のキャパシティがどこまでのものかを少しでも知っておくこと
・ASDは孤独に強い、友だちは少なくてもわかり合う人で居れば構わない
・異性と付き合う時ここに注意
Chapter5 スキルを身に着けて、仕事に就くには
・トラブルケースを知っておく
・自分のできること
・メモする(書くのが苦手である場合、その行為もトレーニングになる)
・感謝する
・ASDの受けられる制度かも見ておく

Chapter6 まわりの支援
・ASDを正しく理解する、受け入れる
・適正を見極めて、良い面と課題の面を評価する
・コミュニケーションのために
1.その子の得意な方法で
2.具体的に
3.文字や図、などで
4.シンプルに
5.複数の事を一度に伝えない
6.予定や見通しの全体を伝える
7.ミスしたことを注意するより正しい方法
8.仕事がしやすい環境下(物が少ない、清潔である、必要な物がすぐわかるなど)
Chapter7 ASDの当事者

図解もあって特性やルールなども解説されていて、文字ばかりではストレスになりやすい方はこの一冊だと分かり易いのではと思います。上野一彦さんがLDのディスレクシアについての見解が深いことから、図解という形になっているようです。文字を見るのが辛い方にもありがたい一冊じゃないかなと感じます。

比較してみて

3つ挙げさせて頂きましたが、いかがでしょうか。行動や対処の面の詳細はどの本も近しいものがあるように思われます。どの書籍もその特性であることを絶望しなさいなんてこと一言も出ていないし、知って変える事から貴方を貴方で傷つけて不幸にしないために出ている書籍だと思っています。
その中で、私が最初の一冊を薦めたのは、先ほどのに加えて、当時と現在のアスペルガー症候群を持つ人とその周りが知ることができて、ASDの構造、原因、過程を説明してくれているからです。

まとめ

一気に全部を受け入れるのは、本当に難しい事です。
また、言っても信じて貰えずに隠してしまわないといけないこともあったりすれば、それもまた非常に窮屈で怖いだろうなと思います。「隠していなきゃ」ってなるのも相当にストレスな事だと思います。
本だけで知識を得てもって察しのついた読者様、ご明察です。
これは、知識もあって、実体験も伴って初めて一歩進めることです。その連続になっていくと思います。たくさん嫌な想いをしたのに、またやらなきゃいけないのかって思うの、辛いと感じますね。ただ、安穏と過ごしたかったのにって思いますよね。
対面してみるといかがでしょうか。本当は悲しかったのか、寂しかったのか、苦しかったのか、こんなに自分は無意識に耐えていたのかと思って泣きたくなるかもしれません。これでもかと泣いていいと思います。自分に向き合った勇気なんですから、強いことなんだと思います。解消はされていません、でも不思議と周りにこうしてほしいんだが減っているのではないでしょうか
だから、段々でいいから自分のアスペルガー症候群のタイプはどれなのか、向き合うにはどうしたらいいのか、何が得意で何に関心があるのか、自分を生きていくってなんなのかを知るこれからの一端になれば書き手冥利に尽きます。
前述しましたが、全部じゃなくていい、ひとつひとつ正しい情報を入手して、そうかなと思って見聞を含めた行動して「こうだった」「こうじゃなかった」を自分から掴みに行って初めて「努力」として経験になるんだと感じます。それが「貴方」の答えとして積み重ねられていくと考えています。生まれ持った特性を無理矢理変えるのは、一層真綿で自分の首を締めることに等しいです。
ASDでメインで書きましたが、この症状に限らずその人自身の抱えている生きづらさが解消されることを願っています。

私は私である。貴方は貴方なのが大事なのです。
長かったと思います。ここまで、読んでくださってありがとうございます。

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