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「アストリッドとラファエル」について

こんにちは、Nollです。
最近「アストリッドとラファエル」というフランスのミステリードラマを見て、感動しました。何故かというとこのアストリッドという登場人物が自閉症という特性を持っているからです。登場するキャラクターの中にはアスペルガーをはじめいろいろなものがあります。自閉症スペクトラムには様々な名称がありますが、大衆、もしくは世間体を気にする側からすれば恥であったり、弱点であったり、変人、理解不能の対象であったりという風に見られることが多いように思います。ドラマの中でアストリッドはそれを理解していました。

アストリッドは自閉症で、頭の中で想像するのが早く、パズルがものすごく好きです。一部ネタバレになりますが、頭の中の父親と会話をしながらバッハの曲はパズルのようになっているという会話をします。はたから見れば一人で話しているようにです。でも、自分は自分であると確固とした自分は持っていました。自閉症という特徴を持ちながら、社会と向き合って前を向いていこうという彼女がとても眩しく思われました。
パズルを解くのが好きですが、好きすぎて中断できないという特性もストレートに表現されていました。幼少期のシーンでずっと立体パズルを解こうにも解けず、ずっとそればかりしていたのを父親が見兼ねてパズルを取り上げた瞬間パニックを起こし、精神不安定が激しくなりました。もう一度、パズルを返すと治まっていきました。こういう点もありありと放映されているのは凄いなとそのシーンをよく覚えています。取り上げて言う事を聞かせようとすると、こうなるというのが本当によく表されていました。

タッグを組むラファエルは、アストリッドが自閉症と知っても、公平に接し、理解しようとし、歩み寄りながら、友だちとなっていきます。親友やパートナーというほどの仲になって活きます。アストリッドのいい所、頭の回転が速い、自分では見つけられなかった点を発見するなどという点などはとても尊重します。良くない事は良くない、わからない事に対しては、ちょっと短気です。それでも相手を理解しながら、自分を理解し、対等な話し合いの術を獲得していく姿も素晴らしいです。もちろん事件の解決もしていきます。ラファエルはポジションとして一般の感覚の持ち主に近い側ではあるので、世間一般の見方もわかります。自閉症と一般の特徴の両方がわかるめちゃくちゃ大事な存在です。でも、彼女もまた多くの見方から成長しています。
後見人になるガイヤールもアストリッドの決定と自身の主張をきちんと判別しながら接して大事にしています。アストリッド個人をとても尊重しています。既に亡くなっている彼女の父はイマジネーションや記憶の側から、娘をとても想っています。時折、アストリッドが供述を読んでいる時にその空間の想像しているシーンなど見ていると安定の一部に父が根付いているのが分かります。
話し合いの「社会活動向上クラブ」のサークルの発足もいいなと感じました。自閉症や発達の遅延、精神的に社会で過ごすのが難しい感覚というものも発見できます、すごく興味深いです。椅子を円の形に並べて、その日に相談したい事や話したい事を自主的に発する談話会のようなものです。登場人物の設定だけで拍手喝采が沸き上がります。
最近のエピソードでは新しい「マスキング」というのが、出てきました。「マスク」つまり何かを自分の上に覆う行為を指します。社会で言うなれば、「肩書」であったり「普通」という状態であったりを、「身に纏って(本来の)自分を隠す」のです。そうすることで、誰かに嫌われたり攻撃されたりを避けるという手段の一つの話だねというのです。この談話で発言した子は「それで自分が自分で、居られないならそれを辞めてもいいって思ったの」と言いました。発言を聞いて、ありとあらゆる賞をプレゼントされてしかるべきだと断じるほどに歓喜しました。拍手では足りないくらいです。

日本で自分は自閉症スペクトラムだというと、どうなるか。例えば近しい人に言ったとしましょう。おそらく、まず、誰に言われたのかを確認されます。医者に診断を受けたとすると、今度は向こう(医者)はお金を儲けるために病名をつけたがるに決まっていると言われます。他でもそういう診断があったとすると、今度は何で赤の他人にそんなこと言われなくてはならないのかと怒るでしょう。次に言われるのは、それを明言しない方がいい、黙っておいた方がいいということでしょう。実際に聞いたことがある意見ですが、「自閉症=弱み」に取る人多かったです。その「弱み」でいう事を聞かせて自分の評判を上げて、相手のを落そうという魂胆を持っていたりもするそうです。言っても信じてもらえなかったという話も聞きました。他にも、違和感や合わないズレを、本人がそういったスペクトラム持ちだと本人が気づいているが、相手がそれを知らないで「おい、お前このテスト知ってるか?」とにやにやしながら聞いてきて、その結果で本人を馬鹿にしたり、からかいをするのに使われることです。アンとサリー、アイスクリームって聞いてぴんと来る人は来るかもしれません。ただ、本人がそれを自覚していた場合、だいたい相手のその態度を一瞬でそれを見抜きます。馬鹿にしようとしていたとか、本当に知ろうとしていたのか。

アストリッドや他の自閉症会のメンバーのように自分はそのままでいいと言ってくれる人は一体傍にどれだけいるだろうか。ラファエルのように自閉症を理解した上で、その特性を活かし、でも、良くないことは良くないと正す関係性がどれだけ稀だろうか。二人はお互いの事をきちんと理解しながら成長していく。こういうお話が私は大好きです。他にもアストリッドの苦手なことが自分と被っていると「解る」と思う事がありますが、これを書きだすと節操がなくなってしまうので辞めておきます。

多分、日本ではあまり馴染みのない事かもしれません。海の向こうでは案外、受け入れられてこういうドラマになっているのかもしれません。むろん、全ての人にというわけではないとも思います。

AXNミステリーで新しいシーズンが更に放送されるそうで気になります。

新シーズンでアストリッドは「自閉症や発達遅延は病気ではありません。個人のアイデンティティーの一部です。」と「私の一部です」とずばり言ってくれました。どんな気持であったか、お分かりいただけるでしょうか。

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