コロナで忘れ去られた”令和”の精神
突然ですが、現在の元号である「令和」の引用元・元号に込められた意味を覚えていますか?いずれも2019年4月1日の元号発表の官房長官会見・内閣総理大臣談話会見で述べられています。
【引用元】
初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す
(万葉集 『梅の花の歌』 三十二首序文)
【元号に込められた意味】
「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められております。
(中略)
悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、
こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく。
厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、
一人一人の日本人が明日への希望とともに、
それぞれの花を大きく咲かせることができる、
そうした日本でありたいとの願いを込め、「令和」に決定いたしました。
文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和な日々に心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を国民の皆様と共に切り開いていく。新元号の決定に当たり、その決意を新たにしております。
(内閣総理大臣談話の一部を抜粋)
四季折々の自然の中で育まれた日本の文化の歴史を現在にまで受け継ぎ未来に向けて更なる発展させようという解釈を当時はしていました。
しかし、現状は残念ながらその逆、つまり「文化の発展を阻止・妨害しよう」という流れに社会が向かっているのではないかと感じています。その大きな要因は現在のコロナ禍が直接的にあると思いますが、それだけではない根本的な要因もあるのではないかと考えます。
コロナで表面化した日本人の民族性
2年目に突入したコロナ禍で日本人の民族性がいくつか表面化しました。
その1つに「0か100でしか物事を見ない」ことです。
①「Vtuber vs フェミニスト」性差別解消のつもりが多様性の否定に!?
千葉県警察とVTuber「戸定梨香」が連携して作成した交通安全啓発を目的とする動画が、「全国フェミニスト議員連盟」を中心とする苦情により削除したというニュースが話題となりました。
抗議の中身は「Vtuberの身に着けている服装が性的な刺激が強く、女性を性的描写にするのはよくない」というものです。
これには賛否両論あったが、どちらかというと抗議に対しても否定的な意見が強く「見た目だけで活動制限すること自体が逆に差別ではないか」などのコメントが目立ちました。
確かに性差別という点においては、日本は世界に比べて遅れているのは間違いありません。それは先日のTOKYO2020でも表れました。
しかし、上述の性差別とVtuberの件は別で見るべきだと考えます。抗議にある服装でいえば、日本はもちろん性差別への解消が進んでいる海外でもノースリーブやへそが出る丈の服装が販売されていますし、隣国の韓国のK-POPグループでも上記の連盟からすればかなり刺激の強い衣装を身に着けてパフォーマンスをしたりしています。
文化というのは「多様性を認めている前提」で育まれるものと考えます。それは性でも同様でLGBTQの認知や学校制服の自由選択も多様性が認められている例です。服装は多様性を表す最たるものの1つです。上記のVtuberキャラクターも自分の1つの信念を服装に表しているのでしょう。
一方、議員連盟の抗議内容は「多様性を認めない!画一性を重んじろ!」という、思想あってのものだと推察されますが、それが通用するのは女性全員モンペ姿で工場勤務していた戦時中だけです。現在は多様性を重んじる流れに世界が向かっています。性差別解消に向けて抗議したのだと思いますが、結果的に日本のアニメ文化を破壊に導くものでしかありません。
もう1つ表面化した民族性は、
「同調圧力を利用した統一性のある社会への相互誘導」です。
①でも少し述べましたが、この2年間のコロナ禍で、自分と違うことをしていることに対しての反応が敏感かつ過激になりました。「○○警察」がその例です。こうした社会は戦時中の日本やドイツで起きていました。つまり・・・
②「普通の強要」はファシズム(全体主義)への導火線
9/7の「星野源のオールナイトニッポン」で、オードリーの若林さんがご結婚された際にファンから「結局普通の人なんですね」と言われたことに対して、「俺は最初から普通な人間だよ」と仰っていました。同様に「なぜキューバ旅行へ行かれたのですか?」とすごく聞かれたそうですが、若林さんからすれば「ただ行きたかっただけ」という至極”普通”の理由でしかなく、でもそれも「普通な人間が行動したこと」に過ぎません。
2つの番組を見聞きしていた私は、これにすごく共鳴・感銘を受けました。そもそもほとんどの人は犯罪を犯すような異常行動を常に起こしているわけではありません。それにも関わらず、「それが普通」「常識として分かっておけ」といわんばかりに声をあげ、”出る杭を打つ”人がいます。(下記記事参照)
特に中高年層から言われることが多く「なんで結婚しないの?」「いつになったら子ども産むの?」がその例です。
若林さんが仰っていた「普通」は「それぞれ1人ひとりにとっての普通」であり、それを組み合わせると「多様性」が形成され新たな文化が生まれるきっかけにもなります。一方若林さんの周囲が言う「普通」は「『社会全体の普通』に包含させたトゲの無い普通」であり、一見何の見どころもないように見えますが、実は多様性を封じ込めた統一性のあるものでしかなく、その統一性のある”普通”も下手すると国全体を誤った方向に行きかねない概念になりかねません。
これはまさに1930年代のドイツのヒトラーが掲げたファシズム(全体主義)・日本の戦時統制(国家総動員法など)、そして現在の香港に似ています。
現在中国がまさにゲーム業界に規制をかけていますが、その規制を行っている国を見れば明らかです。社会全体の統一した思想を国民に埋め込む政策は周辺国からの孤立を生みます。
まさか日本も80年前のような統制社会に戻すつもりでしょうか・・・?
もし若林さんが周囲の言う言葉を信じてキューバ旅行へ行かなければ、あの素晴らしいエッセイは生まれませんでした。
気を遣って言ったのであろう「それが普通だよ」という言葉が実は文化の発展を妨げているのかもしれません。
Withコロナで”令和”の精神を育むには
冒頭の総理大臣談話で「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味」が込められている”令和”という元号。
しかし、現状は人々が分断された状況で文化が生まれない、生まれても妨害されてしまう世の中になっています。コロナ禍という状況で”令和”の精神を育んでいくにはTOKYO2020同様「多様性を認める」ことにあると思います。
・「0か100」⇒「メリット・デメリット両面を見てその都度判断」
・「それが普通」⇒「普通は1人ひとりが決めること。社会はそれを尊重」
そういった精神が令和にふさわしい日本の文化を築いていくことになることだと思います。
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