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自分の顔にコンプレックスがあるすべての人へ。

私は、自分の顔は客観的に見て、かなり不細工だと思っている。
もしもこの世の人間を、一般的に見て「顔が整っている」順番に並べたのなら、確実に下位20%以内には入っている。



しかし私は、自分の顔が大好きだ。
もし自分がまた生まれ変われるのなら、今と同じこの顔で生まれたい、と思っている。






私は、これよりも鼻が低い人は見たことがない!というくらい鼻が低いし、
唇(特に上唇)はとにかく分厚い。
横から見ると、鼻よりも口の方が前に出ている。
しかも、顎も全くないので、
鼻が低い・口が出ている・顎がない で、Eラインは壊滅的だ。

顔の形は丸顔で、横や斜め前から見た時の顔の余白がとにかく広い。

目は、二重ノリで二重にしてはいるものの、化粧を落とすと完全な一重だ。
高校の頃から8年間も毎朝二重にし続けているというのに、化粧を落とすと、目の上に線一本すら残らない。

しかも、一重が似合う顔なら良かったものの、
鼻が低い・唇が分厚い・顔が丸い からもわかる通り、目以外のパーツすべてが「the・一重が似合わない顔」といった感じだ。
朝時間がない時でも、下地と二重とリップと眉毛だけは必ずやる!というくらい、私にとって二重にすることは必要不可欠である。

こんな感じで、すっぴんはどこからどう見ても底辺のブスだし、
メイク後も、だいぶマシにはなるものの、やっぱり一般的に見て「可愛い」と言える顔ではない。



私が初めて「自分はブスなのかもしれない」と気がついたのは、中学の頃だった。

その頃はメイクをしたこともなかったし、
眼鏡をかけていたので、
鼻が低く見える
・近視用のレンズにより目が小さく見える
・眼鏡のままメイクをしたところで全然盛れないのでメイクに興味すら湧かない
といった感じで、かなり最悪だった。

中学生とかって、ちょうど顔がかわいい・かわいくない、かっこいい・かっこよくない、とかがわかってくる時期だと思う。
クラスの男子とかの「可愛い子」と「ブスな私」に対する対応や扱い方は明らかに違っていたし、時々、私の見た目について馬鹿にしている人の声が聞こえてくることもあった。

こんな感じで、中学生の頃は、私は自分の見た目が好きではなかったし、コンプレックスだらけだった。



そんな私が、自分の顔を好きになれたのは、
①メイクを始めたこと
②内面も含め「自分の好きな自分」になる努力をしたこと
③可愛いよりもブスな方がメリットが大きい、と気がついたこと

の3つが主な理由だ。

これらについて、1つ1つ解説していこうと思う。






①メイクを始めたこと
私は、高校1年生の終わり頃、眼鏡からコンタクトに変えた。
それを機に、メイクに挑戦するようになった。

眼鏡をかけている時は、二重にしてもブスなまま。リップを塗ってもブスなまま。どんなメイクを試しても顔面がマシになることはなくて、メイクを楽しいと感じたことは一度もなかった。

しかし、コンタクトに変えてからは、なぜか眼鏡の時とは違ってメイクをすればするほど顔面が盛れる
メイクで顔が変わることの楽しさに気がつき、そこからどんどん“メイク”というものへの興味が湧いていった。

大学生になってからは、美容系YouTuberメイク動画を見漁るようになったし
友達と複数人で「メイク交換会」という、お互いにメイクをし合う会を開いたりもした。
そのくらい、メイクが大好きになった。

また、メイクをすることで、自分の顔をどんどん好きになることができた

私は私の、メイクをする前の元の顔ではなく、メイク後の顔が好き
メイク後の顔も、“自分の顔である”ということに間違いはないので、“自分の顔を好きになれた”と言っても過言ではない。と思う。




②「自分の好きな自分」になる努力
私はこれまでの人生で、ずっと「自分を好きになる」努力をしてきた。

(「自分を好きになる」については、以下の記事で述べた。)

ある時に、幸せになるための1番の近道は「自分を好きになること」だと気がつき、
それ以降は“自分を好きになる”を軸として生きてきた。

2つ以上の選択肢で迷った際は必ず「自分を好きになれる方」を選択するようにしたり、
憧れの人がいたら、その人の要素を自分に取り入れて、自分を“理想像”に近づけるようにしたり。

そんな感じで生きてきたので、昔と比べると、どんどん自分自身を好きになることができた。

“自分”という存在自体を好きになった結果、も含め、大好きな“自分”の一部ではあるので、愛することができるようになった。
(恋愛とかで、見た目が好みじゃない相手でも、中身で好きになったら見た目も可愛く見えてくる!みたいなのと同じ。)





③可愛いよりもブスな方がメリットが明らかに大きい
これは、自分のことを「可愛くない」と思っている女の子に、声を大にして伝えたい。

誰もが見惚れるような美人や、とびきり可愛い女の子は、一見幸せに見えるが、
私は、私のようにブスな見た目の方が、“幸せ”になれる要素が沢山詰まっているように思える。


たとえば、元々美人だったり可愛かったりすると、周りに沢山の男の人が寄ってくるようになる。

その中から、「見た目だけで自分のことを好きになった人=人を見た目で判断する人」と、
「中身も見た上で自分のことを好きになってくれた人=人をちゃんと中身で見てくれる人」とを見分けるのは、ものすごく難しいと思う。

対照的に、ブスな私は、必然的に「見た目だけで人を判断する人」は周りに寄ってこないので、
自分の嫌いな人一緒にいても幸せになれない人に好かれずに済む。
②良い人なのか悪い人なのかを自分で見極める必要がない

これは、ものすごく楽だし、幸せな人生だと思う。


中学生の頃とかは特に、
見た目が可愛い子にだけはグイグイ行くし話しかけまくるし“良い人”のフリをする
見た目が可愛くない人(私とか)に対しては、そもそも話しかけてくることはないが、もしどうしても話さないといけなくなった場合にはめちゃくちゃ態度が悪いし、裏で見た目について悪口を言いまくっている
みたいな男子がいたりする。

そういう人は、可愛い子に対しては“良い人”のフリをするから、
可愛い子はそういう人に騙されて、良い人だと思い込んでしまうこともあるだろうし
グイグイ来られて、自分のことを本気で好いてくれているのかなと思ったら、結局遊ばれて終わる、みたいなこともよく聞く話だ。

私は見た目がブスだったおかげで、そういう人と関わらずに済んだので、本当に幸せだったなと思う。


また、私は、
・見た目だけで自分を好きになってくれる人
・自分のことを恋愛対象や、性的な目で見る人
があまり好きではないし、嬉しいとも全く思わない。

逆に、
・性格や人間性、考え方、感性などの内面で自分を好きになってくれる人
が本当に好きで、ものすごく嬉しいと思う。

これは、恋愛に限らず、友達であっても知り合いであっても、先輩後輩であっても、どんな関係性であってもだ。

私は、見た目が特別可愛かったり美人だったりしないおかげで、周りには、内面で自分を好きになってくれる人が沢山いて、そういう人たちと沢山関わったり価値観の共有をし合ったりすることができている。
本当に幸せな人生だなと思う。


だから私は、生まれ変わっても、誰もが見惚れるような美人やとびきり可愛い女の子には絶対に生まれたくない。
美人でも可愛くもない、どちらかというとブスな見た目で、かつ、自分で自分のことを可愛いと思える、今の私が一番幸せなんだと思う。




今回述べてきた、私自身の“見た目”に対する考え方は、かなり極端だし、賛否両論になってしまうとは思う。

しかし、この考えを共有することが、自分の見た目にコンプレックスがある人や、自己肯定感が低い人にとって、少しでも心の支えになれたら良いな、とも思っている。




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