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室生犀星 『動物詩集』 : 生き物が苦手で、 詩オンチで

書評:室生犀星『動物詩集』(龜鳴屋版)

金沢の小出版社である「龜鳴屋」が刊行した、室生犀星『動物詩集』の新字新仮名の新版文庫本を、友人がプレゼントしてくれた。だが私は、生き物は苦手で、本は大好きだが、詩は全くダメである。

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子供の頃は、人並みに虫捕りをして遊んだのだが、私にとっての虫は、どこか「動くオブジェ」のような魅力を持っていたように思う。だからこそ、死んでしまうのは、とても残念だった。
拾った子犬を病気で死なせてしまったことや、飼っていたセキセイインコや金魚やあれやこれを死なせてしまったことが、なんだか後をひいたようで、いつからか生き物は飼わないことにしたし、あまり積極的かかわろうとしなくなった。「ペット」という言葉には、悪印象さえある。

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(初版は1943年。写真は、2006年の復刻版)

そんなわけでというわけでもなく、せっかくプレゼントされた詩集だけれど、いまいちピンと来なかった。
ピンと来なかった主たる原因は、私の詩オンチのせいであろう。

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龜鳴屋版・装丁挿絵は、グレゴリ青山

私は、『虚無への供物』の中井英夫のファンなので、中井の短歌や詩集『眠る人への哀歌』を読んだり、中井が元は『短歌研究』誌の編集者で、かの寺山修司や中城ふみ子、春日井健、葛原妙子といった歌人を見出したというので、そのあたりの短歌についても、代表歌集くらいは読んでみたが、ピンと来なかった。
また、洋モノも『惡の華』や『マルドロールの歌』といったものを読んでみたが、いまいちピンと来なかった。ましては、ホイットマンとかもいまいちだし、宮沢賢治の詩も、詩というよりは掌編小説やエッセイ的に読んでしまった。例えば「雨ニモマケズ」なども、たぶん詩として味わったわけではないだろう。

そんなわけで、この「童詩」とでも呼ぶべき『動物詩集』所収の七十数篇についても、ほとんどピンと来なかったのだが、唯一よくわかったのは、下の「ふなのうた」だった。やはり、私と「動物」の関わり方が関係しているからに相違ない。

  ふなのうた

 ふなはさかなやの店さきの

 こおりついたおけの中で

 じっとかがんでいる。

 ふなはさむいのであろう、

 ふなはしんぱいがあるのだろう

 ふなはかなしいのにちがいない、

 ふなは川にかえりたいのであろう、

 ふなはけさからうごかない。

 きのうもうごかない、

 あすもうごかないのであろう、

 さかなやさん

 ふなをたすけてやって下さい。

           (P108~109)

初出:2021年5月19日「Amazonれビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年5月28日「アレクセイの花園」
  (2022年8月1日、閉鎖により閲覧不能)

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