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井伏鱒二・ 金井田英津子 『画本・ 厄除け詩集』 : しみじみと枯れたる 人生の詩

書評:井伏鱒二(作)、金井田英津子(絵)『画本・厄除け詩集』(長崎出版)

ご多分意漏れず、私も本書を、金井田英津子が挿絵を描いた「画本」として購入した。
猫町』『夢十夜』『冥途』『絵本の春』と、文豪の手になる、いずれおとらぬ幻想小説に見事なビジュアルを与えてみせた金井田だが、本書の場合は、少々趣きが違う。井伏による本作は、小説ではなく、詩だからだ。

小説に絵を付ける場合、いやでも説明的なものにならざるを得ない部分があるのだが、詩の場合は、どう解釈するかの余地が大きく、挿絵を描くにしても自由度が高くて、画家の個性が出しやすい。その結果、本書は、金井田英津子の画本として、最も充実した「作品集」となったのではないだろうか(ちなみに、コラボ作品としては『冥途』を推すが)。

さて、井伏鱒二『厄除け詩集』である。

私はこれまで、井伏鱒二とはあまり縁がなかった。あまり「読もう」と思わなかったのだ。なぜだろうかと考えてみるに、小学校の教科書で読んだ短編「山椒魚」が、それなりに面白くはあったものの、感動するというほどのこともなかったからではないか。ではなぜ、あまり感動しなかったのかと、今回「Wikipedia」であらすじを確認して思ったのは、結局「いい話」になっているのと、「寓話」的にすぎて、ある種の「お説教」くささを感じたからかも知れない。
その後、井伏の作品で「読もう」と思ったのは『黒い雨』だけだった。これは「原爆文学」として名高い作品だから、その意味で「読んでおいた方がいい作品」だという「お勉強」意識だったのだが、その前に「戦争と原爆」の問題については、歴史的現実の方を先に勉強しておいた方がいいだろう等と考えているうちに、いまだ読めないままとなっている。
また、これらとは別に、井伏の小説の多くには、いかにも「古い大衆小説」という印象があって、その点でも触手が動かなかった。

一方『厄除け詩集』だが、昔、神戸元町高架下の古本屋の常連客どおしとして知り合った年上の友人が、『厄除け詩集』の初版本を手に入れたというような話をしていたので、その個性的な書名だけは耳に残っていた。けれども、私は詩歌オンチを自負する男なので、今回の『画本』までは、まったく興味を持てないでいた。

しかし今回、噂の『厄除け詩集』を読んでみて、意外にも楽しめた。
これはたぶん、井伏の詩が、あまり抽象的なものではなく、物語性のつよい作品なので、私にも馴染めたということが大きいのだろう。
だがまた、それだけでもない。
この詩集が楽しめたのは、私が歳をとったからなのだと思う。すでに厄年など遥かに過ぎて、還暦も数年後に迫ったからこそ、やっとこの詩集の魅力の片鱗が窺えるようになったのではないだろうか。

『厄除け詩集』の魅力を、私は「しみじみと枯れたる人生の詩」と呼んでみた。
実際のところ、「しみじみ」というのは多分に「ウエット」な感情であり、「枯れ」とは反対概念なのだろうが、両者の適度な混交が、本書に古色を帯びた落ち着いた魅力を与えているように思う。つまり、尖ってはいないのだ。

私は、どちらかと言うと、尖った人間であり、過去をふりかえることには興味がなく、ひたすら「この先」を睨んで、前のめりに生きているタイプなのだが、しかし、それでも自分の「死期」というものは、10年以上も前から意識はしているので、他者の作品を鑑賞し、それを通してなら、過去を顧みて「ああ、そうだよな」という共感くらいは湧いてくる年齢ともなっているのである。

それにしても、すでに井伏鱒二が「厄除け詩集」を書いた年齢を遥かに超えた私でも、今のこの時代に「しみじみと枯れたる人生」なんてものが、まだ存在しているのか、という疑問を感じないではない。
自分がいっこうに枯れない人間だからそう思うのか、と思わないでもないが、やはりこの時代は、特に今の日本は、人間を上手に枯れさせてくれないし、ましてや「しみじみと枯れ」させてなどくれない。だからこそ、真偽のほどは別にして、「キレやすい高齢者」が増えているなんて話が、巷間かまびすしいのではないだろうか。
いや、寿命が延びすぎてしまい、今とくらべると昔の「老人」はまだ若くて、脳みそにも潤いと柔軟性が残っていたが、昔の老人より二十も年上の今の「老人」は、脳みそまでカラカラに枯れてしまっているのではないか。一一そんなことまで考えてしまう。

ともあれ、そんな具合だから、「しみじみと枯れたる人生の詩」には、今の風景は似合わない。すでにノスタルジーの対象となった「失われた風景と人間」こそが、本作にはぴったりなのではないか。

だからこそ本作には、金井田英津子の絵なのではないだろうか。

初出:2020年9月22日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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