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萩原朔太郎 ・ 金井田英津子 『猫町』 : 大正デモクラシーの〈幻影〉

書評:萩原朔太郎(文)、金井田英津子(絵)『猫町』(パロル舎・平凡社)

本稿は、萩原朔太郎の短編小説「猫町」そのものを評することが目的ではなく、朔太郎の小説と、金井田英津子の絵が、どの程度マッチしており、合作「絵本」としての効果を上げているか、という点について論じるものである。

まず、朔太郎の「猫町」が、とても面白い「幻想小説」であるというのは、論を待たないだろう。
朔太郎は『1913年(大正2年)に北原白秋の雑誌『朱欒』に初めて「みちゆき」ほか五編の詩を発表、詩人として出発』(Wikipedia)した、詩人であり歌人だが、戦前の1921年(大正10年)に本作「猫町」を発表している。

「大正10年」と言えば、おおむね「大正デモクラシー」の最期の時期である。
ちなみに「大正デモクラシー」とは、

『何をもって「大正デモクラシー」とするかについては諸説ある。政治面においては普通選挙制度を求める普選運動や言論・集会・結社の自由に関しての運動、外交面においては国民への負担が大きい海外派兵の停止を求めた運動、社会面においては男女平等、部落差別解放運動、団結権、ストライキ権などの獲得運動、文化面においては自由教育の獲得、大学の自治権獲得運動、美術団体の文部省支配からの独立など、様々な方面から様々な自主的集団による運動が展開された。』(Wikipedia「大正デモクラシー」)

ということになる。
つまり、すでに『1918年(大正7年)7月12日にシベリア出兵宣言が出されると、需要拡大を見込んだ商人による米の買占め、売惜しみが発生し米価格が急騰』(Wikipedia)して「米騒動」が勃発するなど、内外ともにキナ臭くなってきてはいたものの、まだ国内の文化的側面では自由が謳歌されていた時代であり、それを象徴するのが、この時期に始まる「モボ・モガ」(モダンボーイ・モダンガール)の文化だと言えるだろう。

萩原朔太郎の「猫町」にも、そんな「大正デモクラシーの光と影」が滲んでいるし、これは「モボ・モガ」的なセンスがあってこそ、書かれえた作品だと言えるだろう。
つまり、オシャレな作品だが、どこかに「不穏さ」を抱えた作品、だということである。

さて、私は詩歌には興味がないので、おのずと朔太郎にもほとんど興味はなく、本書ももっぱら「金井田英津子の作品」として手に取ったので、問題は、朔太郎の「猫町」そのものよりも、「猫町」が金井田英津子の個性に合った作品か、彼女の魅力を充分に引き出し得る原作であったか、という点にある。

そして、そうした点から言うなら、たしかに金井田英津子は達者な絵描き(版画家)なので、朔太郎のモダンで不穏な世界をうまくビジュアル化しており、十二分に及第点を超える「絵本」に仕上げているのだが、ただ、欲を言えば、金井田特有の「古き日本の原像=幻像」的なものを十二分に発揮する余地のなかったところや、そうした風景の中に生きる「ユーモラスな庶民」を描く余地のなかったところが、やや不満であった。
つまり、金井田英津子の魅力が十二分に発揮されるには、萩原朔太郎は「バタ臭すぎた」のである。

とは言え、幻想の猫町の洋風な町並みは、宮沢賢治のそれを思わせるほど、オシャレで魅力的なものに仕上がっていた。
しかしまた、私がいちばん気に入った絵は、76~77ページの「床屋の風景」だったのも、否定できない事実であった。こっちの方が、やっぱり金井田英津子らしいと思うのだが、さていかがだろうか?

初出:2020年8月7日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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