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泉鏡花 ・ 金井田英津子 『絵本の春』 : 似て非なるそれぞれの〈異界〉

書評:泉鏡花(作)・金井田英津子(画)『絵本の春』(朝日出版社)

私は、金井田英津子のファンだ。特に、彼女の手になる、内田百閒『冥途』と夏目漱石『夢十夜』は、私の大切な宝物である。だから、今回も大変期待して、思わず2冊買ってしまったのだが、今はいささか後悔している。

金井田の絵は、あいかわらず素晴らしい。しかし、『冥途』や『夢十夜』のそれに比べると、いまひとつ輝きに欠ける。
その理由としては、そもそも鏡花の「絵本の春」が、『冥途』や『夢十夜』所収の作品に比べると、ずいぶん落ちるからであろう。

こう書くと、鏡花ファンのお叱りを受けるかもしれないが、たとえば私がその昔読んだ『夜叉ケ池・天主物語』(角川文庫)、『高野聖・眉かくしの霊』(岩波文庫)などの代表作にくらべると、「絵本の春」は、ずいぶん「おとなしい」印象で、けっして悪いとは思わないが、際立って良い作品だとも思わないのだ。
したがって、小説がイマイチなら、挿絵との相乗効果が弱まるのも当然で、泉鏡花と金井田英津子の合作であるこの「絵本」は、いまひとつ輝きに欠けると感じられたのであろう。

そして、より肝心なことは、泉鏡花の作風と金井田英津子の画風のミスマッチである。

この作品でもそうだが、鏡花の作品にはしばしば「無垢な少年と母性を感じさせる魔性との(近親相姦的な)交流」が描かれる。端的に言って、これは鏡花の願望の投影だったのであろうし、だからこそ鏡花の描く「魔性の女」は魅力的だ。

しかし、金井田英津子の描く女性は、そういう特別なタイプではない。と言うか、正確には、金井田の描く女性はごく控え目で目立たず、むしろ活き活きとしているのは男性の方である。

鏡花の描く女性を具象化する場合、「この世のものならぬ妖艶さ」を漂わせた女性として描かれることが多いのだが、金井田の描く男女は、むしろそうした「耽美さ」とは対極にある「市井の男女」である。
そんな「市井の男女」をリアルに描きながら、それが「この世のものではない」と感じさせる画に仕上げるところが、他に類を見ない、金井田英津子の魅力であり個性なのだ。

だから、この組み合わせは、残念ながらミスマッチであったのだろう。
両者がそれぞれに描く「異界」は、「似て非なるもの」だったのではないだろうか。

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【補記】
なお、本書のレビューとして、金井田の絵がつかない、鏡花の「絵本の春」(青空文庫POD版、2016刊)のレビューが、自動転載されているようだが、これは不適切であろう。

初出:2020年6月14日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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