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村田沙耶香 『丸の内魔法少女 ミラクリーナ』 : 〈新・社会派SF〉 作家による 傑作短編集

書評:村田沙耶香『丸の内魔法少女ミラクリーナ』(KADOKAWA)

著者の本を、初めて読んだ。非常にうまい作家である。これなら評判になるのもよくわかる。続けていくつか読んでみたい。

それにしても、なぜ今頃になってやっと読んだのか、と思う方も多かろう。それにはいくつかの理由がある。

(1)基本的に、読みやすそうな流行作家は読まない。
(2)基本的に、女性作家は肌に合わない。
(3)どうやら「社会派SF」系の作家のようだが、SFを読むのなら「ハードSF」か「メタ・フィクション系SF」を読みたい。

以上3つの、もっぱら「個人的な趣味」の問題である。

ただ今回は、書名が『丸の内魔法少女ミラクリーナ』というもので、「魔法少女ものアニメ」をネタにした「メタ・フィクション系」かと思われたのと、短編集なので、著者の作風を概観するのにちょうどいいと思ったから、試しに読んでみることにした。

そして結論から言えば、「社会派SF」系の作家という印象は、おおむね正しかった。ただ、いかにも今風に洗練されていて、問題提起が露骨ではなく、押しつけ感がないので、テーマについて何も考えなくても、楽しめる作品になっている。
また、女性作家というと、どうにも「感性」主義的な「繊細さ」を売り物にする印象があるのだが、著者の場合には、明晰な問題意識とロジックがあるので、その部分が私の好みにも合致した。
つまり「社会派SF」ではあるけれど、演説調になっていないところが、並外れて達者なストーリーテラーぶりだと感心させられたのである。

ただし、100点満点かと言えば、そんなことはない。
ただ「面白ければ良い」という読者には、ここまで書けていれば充分だろうが、「社会派」として「訴求力」という点では、いささか疑問が残ったのである。

つまり、あまりに達者なので「あるある、こういうのって!」とか「この気持ち、わかるー」とか「同意!」とか「村田先生、最高!」などといった具合に、読者の共感を得ることはできても、結局「考えさせる」ことまでは出来ないのではないか。そこまでの文学的な力を備えてはいないのではないか。
言い変えれば、きわめて面白い「社会派的テーマ」を上手に扱って小説化しているにも関わらず、結局のところは「娯楽商品」として消費されておしまい、なのではないかという、ほとんど確信にちかい危惧を抱かされたのだ。

これほどの力量のある作家なのだから、それではもったいないし、それは作者にとっても不本意だろう。
しかし、そういう「読者の思考を強いる筆力」というのは、残念ながら諸刃の剣であって、そういう方向に作風を変えていくと、作者の作品をエンタメとして享受している多くの読者が、離れてしまう怖れは十二分にある。「なんだか最近は、ずいぶん重くて説教臭くなってきたんじゃない? 歳とったせいかな?」などと言われ、敬遠されてしまう怖れが否定できないのだ。
しかし、それではまるで、本書収録短編「変容」の「エクスタシー五十川」さん扱いではないか。

だが、今後「世間の流行」が「重厚で思考を強いるSF」に傾くことはないだろう。現実の世の中は、そんなに甘くはないというのが、私の世界認識である。
多少の上下振幅はあっても、人間はもっともっと身体性や動物性を失う「軽量化」方向に変容するだろうし、その途上の、そう遠くない時期に、社会的持続性を失って破綻してしまうだろう、というのが私の予想だからである。

もちろん、評論家と呼ばれる人たちは、本書の「テーマ」について、あれこれ適切に論じてくれるだろう。それが彼らの「仕事」だからだが、そのことと作品自体に「思考を強いる力が十二分にある」ということは、同じではない。
評論家というのは、普通の読者には出来ない「ほとんど有るか無きかの表象に着目して、秘められた問題意識を剔抉し、それを読者に示す」というのを職業としている人たちであり、そういう「非凡な(ごく一部)読者」にしか、本気で問題にされることのないような「テーマ性の提示力」つまり「訴求力」であっては、社会派作家としては、やはり満足して良い状況だとは言い得ないからである。

ともあれ、村田沙耶香は面白い。それは認めた上で、もうすこし「凄み」が欲しいというのが、私個人の期待するところであり、本音を言えば「もっともっと嫌な小説を書け」と言いたいところなのだが、それで売れなくなっても責任は取れないので、あとは村田個人の志と目指すところに任せるしかないだろう。

しかし、「売れなくては話にならない」という、今の「日本の文学」出版をめぐる状況こそが、もっとも無視できない、「社会派」的に「重いテーマ」なのかもしれない。

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以下、収録作品について少しだけコメントしておく。

【丸の内魔法少女ミラクリーナ】
ネットバッシングなどに見られる「勘違いの正義」問題を扱った作品だが、魔法少女に憧れる幼心への憧憬が、読者の心をうつ作品。読者には、できれば「感動する」だけで済ませてほしくない。

【秘密の花園】
なぜ、性を「妄想」で止めておいてはならないのだろうか。たしかに「社会生活」上の不都合もあろうが、「妄想に欲情して生きる」ことが、それほど個人的に不都合なことだとは思わない。わたくし的には「変態OK」である。

【無性教室】
「性の自己決定と性愛」の問題を扱った作品。はたして「好き」という感情は、進化論的に形成された「脳のはたらき」から自由でありうるのか。

【変容】
人間は「社会的な動物」だが、誰しも自分が「時代と状況に流されているだけ」の(有象無象的その他の)存在だとは思いたくない。だが、間違いなく9割以上の人間は、そうした意味で「主体性を欠いた大衆」でしかない。「東京五輪」で大騒ぎしたような人や、タレントや人気作家のミーハーファンは、間違いなくそういう存在で、そこでは個別的な事情(言い訳)など通用しない。と、最後に「嫌なこと」を書いておきたい。

初出:2020年4月5日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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