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生と死を見つめて

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明日、死ぬことにした日

明日、死ぬことにした日

2022年3月3日。今日この記事が投稿されたということは、私の理性が、希望が、希死念慮に打ち勝って新しい夜明けを迎えた証拠だ。死ぬ話をしたいわけではない。

「今日死にたいなら明日死のう」を繰り返せば生きていける!と気付いて今日まで生きた。なかなか縁の切れない希死念慮との闘いに、白旗を揚げることにした。死にたいままでも、弱いままでも、生死を彷徨うことがあっても、またひとつ新しい年を迎えたよ。

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SOS

SOS

大人って、もっと強いと思っていた。泣かないものだと思っていた。

大人になればきっと強くなるから。涙は飲み込んで隠すことが出来るようになるから。叱責されることは無くなるから。これらの淡い期待が、子供の頃の消えたい私にとっての光だった。

子供の頃の私へ、ごめんね。
あなたの思う、強くて美しい大人にはなれないよ。自殺は何度も失敗するよ。醜形恐怖に苦しむよ。

昔はお金で何でも買えると思っていたけれど

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雪明かりが照らしたもの

雪明かりが照らしたもの

「思い出は美しい」とはよく言ったもので、時間の流れは恐ろしい程に過去を風化させてしまう。

思い出なんて全てが美しいわけでは決して無いけれど。

私が起こした出来事は風化すべきものかは分からないけれど、一生、この日を忘れることは無いだろう。生死を彷徨った2年前の1月16日の夜の雪明かりは、私が殺したかつての「私」を照らしていた。

この時期はどうも毎年体調を崩しがちなようだ。飛び降りを実行したり自

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こんな世界はぜんぶ嘘だから

こんな世界はぜんぶ嘘だから

「こんな世界、ぜんぶ嘘なんだよ、始めからぜんぶ無かったんだよ、きっとただの悪い夢なんだよ」

この言葉を自分に言い聞かせ、何度、この現実から逃れたい、あの雲の上に消えてしまいたいと思っただろう。何度、「自分に正直に生きたかった、でも正直に生きれませんでした」と後悔しただろう。

目を閉じても息が上がってしまって呼吸が苦しくて眠れない。薬を何錠飲んでも直ぐに寝付くことが出来ない。

布団の中で冷えた

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追憶と叫び

追憶と叫び

昨年6月。酷い悲しみに暮れる日々を送っていた。いっそ絵筆を折ろうか、と、抗うつ薬や精神薬の副作用でぼうとする頭で考えながら瞳を閉じた。創作しない自分は何の価値もないから。絵や文章を辞める、すなわちそれは死ぬことだから。

消えたい死にたい気持ちがいつのまにか日常化し、いつ自殺行為してもおかしくない精神状態だった。常に死と隣り合わせ。生きるってこんなにも辛いものなのだろうか。消えてしまえたら楽なのか

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生まれてしまったわたしへ

生まれてしまったわたしへ

「自分は子育てに失敗した。歪んだ子育てをしてしまった。」

ふとそんなことを口にした母の苦しみは、私には知る由もない。

きっと私の苦しさも母にとっては知る由もないことと同じように。

幼い頃から、漠然と、これから生きていくのがずっと怖くて仕方なかった。

それは確か小学生の頃だったと思う。

小学生の頃、誰にも内緒で遺書を書いたり、自宅の階段から落ちようと試みたことがあった。

大人は助けてくれ

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あの日、

あの日、

『いわば、もうひとつの誕生日だ。自閉症スペクトラムと診断された。』

丁度一年前の日記には、それだけが記されていた。

大嫌いな自分以外の何者かになれなくて、皆と同じことが出来なくて、普通になれなくて。

精神科の診察室で診断名を告げられたその日から、今まで、永遠に苦しむものだと割り切っていた生きづらさを、認められたような気がした。

こわばっていた心が、瞬く間に溶けた。

「もう、無理しなくてい

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1月16日の夜、雪明かり②

1月16日の夜、雪明かり②

あの日から、1年が経った。

先の見えない未来への不安を、眠れない夜を何度も過ごしてきたことを、心が壊れるまで努力してしまったことを、知って欲しかった。

何も理解を示さない両親に自身の苦しみを分かってもらいたかった気がする。そのための、最後の手段だったんだろう。

高校時代、登校するものの朝から嘔吐したり、過呼吸起こして倒れたりと授業をまともに受けられなくなった。見えない筈のものが見える。治まら

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呪いと祈り

呪いと祈り

今年1月から現在12月までを少し振り返る。

2020年12月、整形外科に入院していた。

飛び降り時の怪我で、治療のため入れた金属を抜釘する手術を受けるためだ。

そしてあと1ヶ月程で、飛び降り自殺未遂から1年が経つ。そもそも今回の入院、手術は、私が飛び降りなんて馬鹿馬鹿しいことをしなければある筈の無かった事だ。

今年の1月、私は空を飛んだ。

今でもその感覚を忘れられないままフラッシュバック

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精神科閉鎖病棟に入院した話

精神科閉鎖病棟に入院した話

このnoteでは、初めて精神科へ入院する方や、閉鎖病棟の実態が知りたい方のためにも記録しておく。あくまでわたしの入院した病院の経験上なので、注意してほしい。

きっかけ「死にたくなるの?じゃあ、入院して治療してみようか」という主治医の一言で、9月9日から1週間ほど精神科の閉鎖病棟に入院していた。

その数日前から希死念慮が増してきて、あぁ、このままじゃまた自分が駄目になる、自殺衝動を起こしかねない

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過去への憧憬

不意に、高校時代への懐古が止まらなくなるときがある。

前進していく彼(高校の同級生)とは対照的に、私だけが思い出の中に取り残されている。

今だに、心の中の奥底に、約半年前に卒業した高校時代への憧憬が残っている。

高校時代なんて、心身の辛さを理解してくれない家族、人格否定されて育ち、思い出したくもない程辛いことだらけだった。

しかし、暗い日常の中にも、大好きな友人との会話や、一筋の光のように

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「もう頑張らなくていいんだよ」と言われた日

「もう頑張らなくていいんだよ」と言われた日

お久しぶりです。今回は私の挫折と病気について書きます。

自殺未遂から生還し、退院し、発達障害自閉症スペクトラムが発覚し、2020年春。私は第一希望の大学へ入学した。

私は絵を描くこと、デザインすることが大好きだったのでデザイン系の学部へ入学した。

期待と不安に胸がいっぱいだった。入学式までは期待が上回っていたと思う。

だが、その期待は見事に打ち砕かれることとなる。

慣れない新生活初めて実

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もうひとつの誕生日

きっと今日は僕のもうひとつの誕生日だ

心理検査やwaisの結果、自閉症スペクトラム障害と診断された

言わば今日は発達障害が発覚した日だ

今まで対人関係、こだわりの強さ、苦しんだのは全部自分の脳の特性でしかなかったのだ、

自身の努力不足でも、親の躾が悪かったのでもなんでもなかった。

診断名を告げられたとき、視界が真っ白になった。けれど、不思議とどこか安堵していた

全部無駄でなかった。

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すごく生きててごめんなさいて気持ちと嬉しい気持ちがぐちゃぐちゃだ。空見て泣いた。きれいな雲が流れることだけ考える時間を得たことに泣いた。めんどくさい。混色に失敗したパレットみたいだ