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あの日、


『いわば、もうひとつの誕生日だ。自閉症スペクトラムと診断された。』

丁度一年前の日記には、それだけが記されていた。

大嫌いな自分以外の何者かになれなくて、皆と同じことが出来なくて、普通になれなくて。

精神科の診察室で診断名を告げられたその日から、今まで、永遠に苦しむものだと割り切っていた生きづらさを、認められたような気がした。

こわばっていた心が、瞬く間に溶けた。

「もう、無理しなくていいんだよ。」と、あれだけ厳しかった両親に涙ながら告げられた。

当時の自分の気持ちを上手く言語化することは難しかった。だが、目の前が真っ白になったことだけ覚えている。診察室の静けさ、鼻をすする音、涙を流す母。

ピンと張り詰めた糸が切れたかのように、私もいつの間にか涙が止まらなくなった。

人の輪に馴染めず、家でも学校でも叱られ、馬鹿にされ、一人で抱え込むことしか出来なかった自分の救いとは何だろうか。

この生きづらさと苦しさに名前が欲しかったのは確かだ。自分の中に棲みついた得体の知れない苦しみ、起きながらも悪夢をみている日々が、未だに心のどこかに残っている。果たして、発達障害や二次障害を抱えながら、一生治るものでは無い脳の欠陥を認めて生きることは救いなのだろうか。

「普通」とは何か、「悪」とは何か。教師や友人と禅問答のような対話を通して何とか生きた高校時代。

もう何が悲しくて泣いているのかも分からず、途方に暮れることしか出来なかった自分に高校卒業直前に告げられた発達障害というレッテル。

「これから、とても大変だと思うけれど、」

と医者に前置きされ、自死という選択が再び頭をよぎった。その後の医者の話は、ほとんど覚えていない。

もう既に、ずっと苦しんできたのに治ることは無いのかよ。これからも迷惑ばかりかけながら人生を歩むのかよ。上手な歩き方も分からない。こんな自分は要らない。

この文章を執筆しながら、今も泣いている。泣く程辛いなら、こんな文章書くの辞めちまえよ言われても、そんなこと自分でも分かっている。

だが、こうして本音を言語化することで得られる安心があるから、こんな拙い文章を綴るのだと思う。

精神科の閉鎖病棟に閉じ込められ、学校を辞め、真っ白な天井と点滴を眺めながら人生ドロップアウトしたなぁ、と全て諦めることを悟った昨年の私は、誰が救ってくれたんだろう。

自分を報えるのは自分だけだから、誰かのせいにはもうしたくない。

増えるばかりの薬に感情をコントロールされ、副作用に苦しむ日々は懲り懲りだ。しかし、私はこの世にやり残したことが沢山あるから、まだまだ。死にたいと喚きながら、死ねない。どうにか自分を肯定して生きようね。

何も出来ない私の部屋に今日も、残酷にも、静かに、朝日はやってくる。





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