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こんな世界はぜんぶ嘘だから

「こんな世界、ぜんぶ嘘なんだよ、始めからぜんぶ無かったんだよ、きっとただの悪い夢なんだよ」

この言葉を自分に言い聞かせ、何度、この現実から逃れたい、あの雲の上に消えてしまいたいと思っただろう。何度、「自分に正直に生きたかった、でも正直に生きれませんでした」と後悔しただろう。

目を閉じても息が上がってしまって呼吸が苦しくて眠れない。薬を何錠飲んでも直ぐに寝付くことが出来ない。

布団の中で冷えた両足を擦りあわせながら、どうか朝日がやってきませんようにと、無駄だと分かっていながら、もがいて咽び泣いた。それでもやはり、残酷にも朝日は私の部屋にもやってきて、容赦なく1日の始まりを告げる。

「わたしなんかより辛い人だって沢山いる。あの子のほうがよっぽど苦しい筈だ」「こんな苦しみは大したことじゃない」と自分に嘘をつくうちに、この世界すべてが嘘のような、浮遊感というかふわふわした気持ちになった。ぜんぶ嘘、ぜんぶ悪い夢だと言い聞かせて過ごした。

頭の中で何度も何度も反響する悪口、呪いの声は「幻聴」という名前を付けられた。やがて「鬱」「統合失調症」という病名が加わり、薬が増えた。さらには、一生治らない脳機能の障害の発覚が重くのしかかった。

人生で無駄なことは何も無いだなんて言葉は綺麗事にしか思えなかったのだけれど、自殺未遂だって意味のあることだったのかなと、ふと思う。

自殺出来なかった、死に損ないだと思い込み、動かない体を恨んだ入院生活。家族に金銭面でも精神面でも沢山の負担をかけて、申し訳なさと自分の愚かさに苛まれた。

けれども。長年悩み苦しんだ理由が診断書という紙切れ1枚で判明し、家族が劇的に変わった。障害を受け入れ、療養できる環境に置いてくれた。

「今まで沢山悩んで辛い思いをしてきた分、人より沢山の幸せが待っているよ」

という母の言葉は、初めはただの綺麗事にしか聞こえなかった、筈だった。しかし、自分の部屋で1人きりになった瞬間泣き崩れた。堤防が決壊したかのように、涙が溢れて止まらなかった。嬉し泣きというか安堵というか、何故か感極まってしまった。その晩だけは、「この母の言葉は決して嘘であってほしくない、夢であって欲しくない、この世界は嘘じゃなくて本当であって欲しい」と願った。

かつて、「この辛い世界はすべて嘘だから、目が覚めたら病気も障害もない元気なただの女の子だから」と何度も願っていた。

そんなもの、もう無理な事くらい分かっている。

それでも、自分自身が生きているこの世界を少しは愛せるようになりたい。

自殺未遂後の一番の大きな変化は、周りの人の愛を素直に受けることができるようになった事だ。

季節で表情を変えるさまざまや木々が植えられていて、バラや沈丁花などの美しい花がたくさん咲く庭のある綺麗な家に住めて、これ美味しいね、素敵だねと言い合える家族や恋人がいて、没頭できる趣味もあって。今までは辛いことも、文字通り死ぬほど沢山あったけれど、わたしは自分のことかなり恵まれていると思っている。どれも当たり前の日常のように思えて決して当たり前なんかじゃないこと。病気になって沢山気づけた。

しかし現実は甘くない。幸い酷い後遺症も残らず、強く生きると宣言したにも関わらず、すぐに再び希死念慮に苦しめられることになり入院することになってしまった。が、色んな生き方があることを知ったし、出来るだけ前向きに闘病することを決意したきっかけにもなった。

飛び降り時の怪我による軽い後遺症の、背中と腰が痛む度に、死ねなかったけれどもやっぱり生きようとしたあの日の自分がフラッシュバックする。ふとした瞬間、消えたくなる希死念慮だって完全に消えたわけではない。それでも、生きていたいと思う瞬間は以前より少し増えたように感じる。

高校時代にカウンセラーの方が言っていた、「あなたはきっと、大人になれば生きやすくなるよ。」という言葉もあながち間違っていなかったのかもしれない。

悩んでもがき苦しんだ「今までの君」、生き延びてくれて本当にありがとう。

いつ崩れるか分からないけれど「今」というこっちの世界で、わたしはもう少し頑張ってみることにするよ。こんな世界にも嘘偽りの無い、本当の希望がきっとあると信じたいから。

今を生きるためには、「過去」を眠りにつかせなければ。

光溢れる未来は黙っていても来やしないから。自分自身が迎えにいかないと。

これからも幸せな事だけでなく、もっと辛い事が待ち受けているかもしれない。わたしの人生、平坦な道では無かったから。そんな時は「こんな世界はぜんぶ嘘だから」「でもね、嘘だと思いたく無いほどに素敵な事だって沢山あるからね」と笑い飛ばせるその日まで、

「今までの君」に、おやすみなさい。

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