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まる
2022年2月27日 10:35
現代アートと現代哲学が引き合わされるとき、そこにはどのような意図が働いているのでしょうか。「何でもありの世界になった現代アートの世界を、さまざまな思想を用いて解明したい」という理解に対する欲求もあれば、「小難しい批評を書いてみたい」なんていう俗っぽい欲もあるでしょう。しかし実はアートに哲学が使われている裏では、莫大な金額をめぐる取引が、アートマーケット上で発生しているかもしれません…この記事で
ゆうゆう yu-yu
2024年6月22日 08:10
仕事で結果が目に見えてわかるととても嬉しい気持ちになるいい仕事ができたな!じんわりと感じて喜びが深い自分自身の働きのことだけでなくそれぞれが動き働きかけていたことコミュニケーションを図って動いていたことこれまでいくつも話し合ってきたこと一つの方向を皆で向いて 認識と理解を重ねそれぞれが考えるもの それぞれができることで働きかけてきた日々まで 思い馳せ皆のおかげ
山根あきら | 妄想哲学者
2023年12月25日 00:22
2022年10月28日 08:12
だんだんと紅葉がきれいになってきた。黄葉もきれいだ。 「こうよう」と聞くと「紅葉」。もみじ🍁をイメージすることが多いが、銀杏の黄葉🟡も、負けず劣らずいいものだなぁと思った。 晴れた日の夕焼け🌇は、季節にかかわらず綺麗だが、秋の夕焼けは何となくいい感じ。 葉の色や夕焼けを見ていると、一瞬時間を忘れるが、その後に時間の流れの不思議に心がとらわれる。 「時間」とはふしぎなものだ。
岸見一郎
2023年6月16日 17:29
「あの時僕には、若くして、僧籍に身を捧げることは、人生の様々な楽しみや発展の可能性を犠牲にするように思えたのだ」(森有正『バビロンの流れのほとりにて』) 森有正は、ノートルダム寺院でミサを聴いていた時、献金を集めにきた若い僧を見て「あの若いのに可哀想だね」といった。「発展の可能性を犠牲にするように思えた」というと、この若い僧が自分の才能を活かせるよりよい人生があったのに、それを選ばなかったという