2024年5月9日 瞬く間に四月は終り、五月。本の原稿の締切が迫り、毎日書かない日はないが、はたして書き上げられるか心配になってきた。 過日、孫が遊んでいる時に転倒し、口の中を三針縫う怪我をした。こんなことがあるとしばらく心配で何も手に着かなくなる。痛かったであろうが、処置の間泣かなかったと聞いて安堵したのだが。 8日は日赤受診。採血したところ、結果がよくなくて、来月受診することになった。2006年以来ずっと二カ月毎に受診してきたが、一ヶ月後にくるようにといわれたのは初
2024年4月20日 先の日記に、 「もしもわれわれが彼の自尊心を増せば、勇気は自ずとやってくるだろう」(『子どものライフスタイル』) というアドラーの言葉を引用したが、子どもは課題に取り組まないためにあえて自分には価値がないと思おうとして自尊心を増すことは簡単ではない。あなたってイヤな人ねと、実際には面と向かっていわれることはないかもしれないが、人からそういわれたら落ち込むだろう。でも、やはりそうなのだと、そのようにいわれたことに納得し、自分についての評価を低くする根拠に
2024年4月15日 週末は桜を求めて遠出した。歩けない距離ではないのだが。締切の原稿が山ほどあるのにカメラを持って歩いている場合かとふと思う。『悩める時の百冊百話』でもこんなことを書いた。 「ふと合理的に考え、計算してしまうと、こんなことをしていていいのかと思ってしまうと、生きる喜びは失せてしまう」 『悩める時の百冊百話』をめぐってインタビューに答えた番組の完全版はこちら。 本の読み方は人によって違うが、私の場合は今は知識や情報を求めてではなく、人生について考える時に
2024年4月12日 孫たちが幼稚園、小学校に通い始めた。小学校では初日に何やら悪さをしていた子どもたちが教室から追い出されたと聞いた。今もそんなことをする教師がいることに驚く。私が悪かったと泣く泣く許しを求めるような、教室から追い出されたら廊下に佇んでいる従順な子どもばかりではないだろうに。罰や脅しを使わないで子どもと接してほしい。 叱られたらどうなるか。いつも引いている言葉だが、アドラーは次のようにいっている。 「自分に価値があると思える時にだけ、勇気を持てる」(Ad
2024年4月8日 週末は好天に恵まれたが、今日は生憎の雨で肌寒く感じる。明日は小学校の入学式だが天気はどうなるか。喜ばしい門出だが、子どもも親もこれから起きることを予想することは難しい。順風満帆だと思っていた子どもの人生の行く手を遮るような出来事に遭遇することがある。その困難な解決するのは子ども自身だが、親に何ができるか、あるいはできないかを書いてきた。 アドラーが次のようにいっている。 「母親が自分のことで絶望していると感じれば、子どもは大いに勇気をくじかれる」(『子
2024年4月6日 子どもが自分の課題を解決する援助をしてはいけないわけはないし、むしろしなければならないが、その前にしなければならないことがあることを親に理解してもらうのが容易でないことはあった。その一つが問題を問題にしないことである。 アドラーが子どものことでカウンセリングにやってきた親に次のようにいっている。 「今は勇気づけるしかない。彼の問題について語ることは勇気づけにならない」(『個人心理学の技術II』) 正確にいえば問題ではなく、親が問題だと思っていることだ
2024年4月5日 今日は日経トップリーダーの原稿を書いていた。半年という約束で始めた連載が次号で75回目になる。 アドラーは、「常に共同体と結びついていたいと思うこと」(『性格の心理学』)、「所属感」(a feeling of belonging)について論じている。次号のエッセイでは、共同体の中に所属していると感じられるためには、共同体(家庭、学校、職場など)における自分の役割を見出し、それを果たさなければならないと書いた。 役割を果たすといっても、何かの行為によ
2024年3月30日 28日はNHK文化センターの講義の最終回。これで毎月一回四年続けたことになる。講義をもとに二冊本を出した。 アドラーが次のようにいっている。 「勇気があり、自信があり、リラックスしている人だけが、例外なく対人関係の問題である人生のあらゆる問題に対して準備ができている」(『個人心理学講義』) ここでアドラーが、「例外なく対人関係の問題である人生のあらゆる問題」といっていることには注意が必要である。アドラーは、この人生でわれわれが直面する問題はすべて対
2024年3月28日 先週は孫たちの父親がインフルエンザに罹患、孫たちを夜も預かることになった。二人で寝てくれるのだが、親から離れて眠る日が続くと夜中に起きて泣くこともあった。無事、また元の生活に戻れた今、無事に過ごせることがいかにありがたいことかがわかる。 一度、孫が講義中に部屋に入ってきた。大きな声を出すかもしれないと一瞬身構えてしまったが、その日使っていた鉛筆を返しにきたのだった。彼はそっと入ってきて画面をちらっと見て、声に出さないで「ありがとう」といって、またすぐ
2024年3月18日 『悩める時の百冊百話』で引用した本には古いものもあって今では手に入らないものもある。手に入らない翻訳は別のものに差し替えてもいいかと編集者に問われが断った。翻訳書ならどれでもいいと思われたのだろうが、翻訳書は誰が訳したかは重要である。新しい翻訳が必ずいいとは限らない。好みは多分に主観的だが、『カラマーゾフの兄弟』であれば原卓也訳がいいというようなこだわりがある。高校生の時に初めて手にしたのが原卓也訳であり、母の病床で母に読み聞かせたのもこの翻訳だったから
2024年3月16日 木曜日、三歳の孫が一人で泊まりにやってきた。一人で過ごしても平気なようだ。笑い始めると止まらない。生きていることが楽しくて仕方ないように見える。 私の息子も子どもの頃よく笑った。 「君は人から嫌われることがそんなに怖いか」 いつかこんなことをいっていたことをふと思い出した。大学生の時だったと思う。私のどんなところを見てこんなことをいったのかは思い出せない。この話を原稿に書くのであれば、その後に「ふっふ」とか「ふふっ」と付け加えるかもしれない。 椎
2024年3月13日 「僕の若い日の熱情は、学問と音楽と、そして、美しい人と一緒にいて話をしたり信頼し合うことだった」(森有正『バビロンの流れのほとりにて』) この熱情はもちろん若い日だけでなく、歳を重ねてからも持ちたいし、実際持つことができる。 「灰色の陰鬱な日々に耐えることが出来なくてはならない。というのは、価値ある事が発酵し、結晶するのは、こういう単調な時間を忍耐強く辛抱することを通してなのだから」(森有正『砂漠に向かって』) 森有正のこの言葉は何度も引いているが、
2024年3月11日 時折雪が舞う日があったり、暖かい日があったりして身体がついていかない気がする。 池田晶子が藤澤令夫の追悼文の中で、 「学問と人格とが、その覚悟において完全に合致した氏の姿は、本当に美しかった」(「哲学者 藤澤令夫さんを悼む 善く生きる」覚悟の美しさ」) と書いていることを紹介したが(3月5日日記)森有正が次のようにいっていることを思い出した。 「僕の若い日の熱情は、学問と音楽と、そして、美しい人と一緒にいて話をしたり信頼し合うことだった」(『バビロンの
2024年3月6日 昨日、『悩める時の百冊百話』が届いた。これはじいじなのかと孫にたずねられた。今はこんなふうにカウンセリングをしていない。孫娘とは時々書斎で話すことはあるが。 池田晶子は「哲学者 藤澤令夫さんを悼む 「善く生きる」覚悟の美しさ」の中で、プラトンを読まない人にも届く、正しい言葉を語りなさいとずっと藤澤令夫に励まされたと書いている。私もそんなふうでありたいと思って生きてきた。 「正統的アカデミズムから、およそ縁遠い場所にいる」池田が『帰ってきたソクラテス』
2024年3月5日 孫たちはすっかり元気になって、毎日きてくれる。オセロはもう勝てなくなった。「考えないで打ってるな」とよくいわれる。 もうすぐ『悩める時の百冊百話』という新しい本が出る。たくさんの本から引用したが、読書案内や書評ではなく、若い頃から読んできた本の中から心に残った言葉を引きながら人生の意味について考察した。取り上げた本は哲学書もあるが、小説やエッセイ、絵本、コミックからも引いた。外国語の本は自分で訳したり、翻訳から引用した。最近読んだ本もあるが、若い頃から
2024年2月18日 その後、喘息発作は出なかったが、風邪を引いたと電話をかけてきたと電話をかけてきた孫がその後コロナ陽性であることが判明した。もう長く会えていない。 今日は講演会。毎月一回、今年は九年目になる。その時々で考えている古都を話したり、アドラー心理学の基礎理論について話したりしている。その後の質疑応答がメインなので短く切り上げようと思うが、話し始めたらいろいろと話したくなる。 今日は課題の分離について。人と人はつながっているというのがアドラーの考えだが、その