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喜びは人と人を結びつける

2024年3月13日
「僕の若い日の熱情は、学問と音楽と、そして、美しい人と一緒にいて話をしたり信頼し合うことだった」(森有正『バビロンの流れのほとりにて』)
 この熱情はもちろん若い日だけでなく、歳を重ねてからも持ちたいし、実際持つことができる。
「灰色の陰鬱な日々に耐えることが出来なくてはならない。というのは、価値ある事が発酵し、結晶するのは、こういう単調な時間を忍耐強く辛抱することを通してなのだから」(森有正『砂漠に向かって』)
 森有正のこの言葉は何度も引いているが、学問も音楽もそれを究めようと思ったら苦しい。それでも、喜びを感じられなければ続かないだろう。
 そこに身を置けばあれやこれを失っても惜しくないと思えるものがなぜあればいいのかといえば、現実から逃避するためではもちろんない。
 辻邦生が次のようにいっている。人生は一度きりである。だから、
「あしたもあればあさってもあれば、きのうもあったし、きょうなんてどうでもいいや、ではダメなんです」(『言葉の箱 小説を書くということ』)
 何かに夢中になっている時、たしかに今を生きており、今以外の人生を生きることだけに意味があると思える。
 森は「美しい人」と話す時、いつも笑っていたのだろう。辻は森有正の『バビロンの流れのほとりにて』の中には誤植があって、「すべての余事を忘れて」というところが、「すべての食事を忘れて」になっていたと書いている(『森有正』)。
 森は、「いくら何でもこれはひどいですね。これは食事じゃなくて、余事ですよ」と憤慨した。しかし、そういう時の森は声を出して笑っていた。生きることを大切にし、それを愛した森は、大食で、何でもおいしそうに食べたという。
 辻も森と一緒にいる時は笑ってばかりいた。
「いつか先生は「辻さんは不機嫌になったことがありませんね?」と言われたことがある。
 もちろん私だっていつも上機嫌というわけにゆかない。しかし先生のそばにいると、どんなときにも、楽しかった。私は心底先生のなかにあるこの子供っぽさが好きだった。私は笑ってばかりいたのだ」(前掲書)
 認知症を患っていた私の父がある日、「どう考えてもこれからの人生の方が短い」といった。たしかに父のいう通りなのに、私はその通りともいえず黙ってしまった。しかし、これからのことなどはまったく考えない時があった。
 父は起きている時にはいつも同じ椅子に腰掛けていた。その父がすわっている場所からは庭の木々が見えた。そこには春には、時折、ヒヨドリが椿の花の蜜を求めてやってきた。父はヒヨドリがやってくるたびに大きな声をあげて笑った。
 その父の声を聞くと、その場に居合わせた家族にも父の喜びが伝わってきた。この父の喜びを共有する瞬間には過去も未来もなかった。
 アドラーは、喜びは「人と人とを結びつける情動」であり、笑いはその喜びの要石だといっている(『性格の心理学』)。誰かが笑うと喜びはまわりの人に伝染し、笑った人と一つになる。

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