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なぜ?他人の評価を気にする親の心理

みなさまこんにちは。
こちらの記事は、子供の不登校解決のために私たち家族が行ったいくつものトライ&エラーをもとに、最終的にたどりついた解決法をシリーズでお伝えしています。

今回は「他人の評価を気にする心理」をテーマでお伝えしていきます。


「親こそ学校への執着を捨てよう」も参考に↓


他人の評価〜マクロとミクロ

一口に「他人の評価」といっても、その種類はさまざまです。

社会全体をおおう空気・価値観、のようなマクロ的なもの。
家族や祖父母、親戚からの心配や不安の声、のようなミクロ的なもの。
近所の顔見知り、同級生の保護者の視線、のような中間的なもの。

子どもになにかあったとき、親として気になる視線も人それぞれですが、親が子を育てる過程では、こんなにも多くの、目に見えない評価や視線を受けているのです。


親が背負う「社会の目」

そもそも親はみな、学校に通うことを前提に子育てします。
それは、社会がそのように作られているから。

子どもが産まれたら、親は迷いなくその道を歩かせます。
選択という概念がありません。

したがって、社会全体の価値観として、学校に通うことが「是」であるという大きな流れができます。
そして「不登校」は「否」と位置づけられます。

親はつねに、このような「社会全体の価値観」という評価基準のなかで子育てをしているのです。


親が背負う「身内の目」

親自身が、自分の子育ての評価基準として「祖父母の価値観」を背負っている場合があります。

幼少のころから親に評価され続けて育った人が、自身が子育てする立場になったとき「親の価値観」を評価基準に子育てしてしまうのです。

祖父母が不登校を「是」としない価値観をもっていれば、当然、子育てに失敗したダメな親として評価されます。

特に、主に子育てを担ってきた祖母が、同じく主に子育てを担っている母親側に悪評価を下すというパターンが多く考えられ、母親がますます追い込まれる原因になります。

また、親から評価されて育った人は、自己肯定感の低い人が多く、これには2つの悪影響が考えられます。

・親になっても、祖父母の顔色を気にした子育てをしてしまう
・子育てを自己肯定感を満たすための手段にしてしまう

どちらもいい結果を生まないことは歴然です。

同様に、夫婦で価値観が異なる場合もあります。
例えば、母親が「父親(夫)の価値観」を評価基準に子育てするケース。
これも問題です。

子どもの自己肯定感を最も育むべき家庭内で、両親ともにその機能を果たしていないわけですから、祖父母のケースより厄介な結果を生むのは必至です。


親が背負う「地域の目」

公立の小中学校に通う家庭は、学校と住まいが同じ地域の中にあります。

同じ学校に通う子どもたち同士、その保護者同士が、その地域に暮らしながら生活全体を把握できる距離感にあるわけです。

そのような環境で不登校になれば、状況はひとりでに地域全体に染み渡ります。

引っ越したり、子どもを家に監禁しない限り(笑)、学校に通わない自分の子どもがフラフラと近所を歩き、だらしない身なりでコンビニに行くわけです。
学校に行かなければ身なりに気を遣う必要もなく、ヒドい状態であることも多いです。

生活圏内で、親同士がバッタリ出くわすことも避けられません。
スーパーや郵便局、最寄り駅など、毎日普通に生活しながら、「地域の目」にさらされ続けるわけです

この「地域全体の価値観」という評価基準のなかで親は生活することになります。

誰かから直接攻撃されるわけではないけれど…
おそらくみんなに知れ渡っているという状況…
毎日の日常生活で頻繁にかつダイレクトに「否」を感じ続けるというのは、それはそれはシンドイことです。


他人の評価が気になるメカニズム

不登校と聞いた人は大抵…
【学校に行かない=将来が不安】という脳内イメージを持ちます。

そして、不登校初心者の親の脳内もまた、
同じイメージにより「不安」でいっぱいなのです。

何でもに対してそうなんですが、
不確かで、かつマイノリティに対し、人は警戒心をいだきます。

不安をもつもの同士、共鳴しあい、マイノリティ側が不安の発信源のような構図を作るのです。


不安はどこからくるの?

学校に通う子の未来は、親自身がすでに経験しています。
その世界の全体像も、何となく想像がつきます。

良し悪し関係なく「みんなと同じことをする」といった同調圧力のなかで「安心感」を得ているという側面もあります。

そういう意味で「安心」なのです。
(学校に通い続けていれば「将来が安心」とも限らないんですけどね)

「不安」とは、未知のもの、経験のないものに対して抱く感情。
そもそそも不登校の世界を知らない、不登校の子の未来を想像できないから、漠然と「不安」になるのです。


無知な不安に共鳴しないために

親が「不登校に無知な人達」といつまでも同レベルで無知だと、いつまでもムダな共鳴をしてしまいます。

それには親がまず「不登校を知る」ことが必須です。
誰もがいだく不安を、親の中から一つ一つ払拭していきましょう。

今は、ネットや本、あらゆる情報が容易に手に入ります。
少し大変かもしれませんが、ここ、頑張るところです!

不安が安心に変われば、
「無知な人の不確かな不安」に反応しなくなります。
子どもが違う道を歩むのですから、親同士の立場も変化して当然。
こんなときに、人間関係の本性があらわになったりもします(笑)

そして何より、親が安心して生き生きと過ごすことです。

「へっちゃら」そうな運行きで闊歩していれば、
「あれ?心配してたけど、なんか全然平気そうだなぁ…大丈夫なのかな?」
なんて、他人の視線は容易に変わります。

「非」や「不安」といった空気を寄せ付けない。
ご家庭全体が「是」や「安心」の空気をまとうことです。



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