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危ういコミュニティに参加してきた感想
ある映画の自主上映会を見に行った。
私はその映画が見てみたくて言ったが、他の多くの参加者は別のコミュニティで紹介されてやってきた40~60代位の方ばかりだった。
どうやら映画を見ることではなくて、コミュニティに集う人たちと会いに、コミュニティに参加している自分に会いに、やってきていたようだ。
そこで何が起きていたのかを記述して、その良さと危うさを考えてみたいと思う。
起きていたこと自主上映会
たぶん大丈夫な生き方をしている
久しぶりに会った人とお話しをした。
「最近何してるの?」
「これからどうしていくの?」
「どんなことを考えているの?」
基本的に大抵のことはかみ合っていた。
どこかズレることがあっても、結局そこの判断が難しいよねーっとなっていた。
でもお互い色々あってからの今。
お互いの進む道が、
いやわかるけど、、
私は明確な理由があって、そちらの道ではないようにした。
それは間違っていると思う。
的な感
在り方、考え、言葉、行動
茨城のりこの『言の葉さやげ』を読んでいる。
とてもとても面白い。
また、読書記録を書こうと思っているけど、まだ読み切れていないので、またあとで。
とはいえ、ついつい書きたくなってしまったことがあるので、書いてみたいと思う。
茨城のりこは言葉を起点にして、人の在り方、生き方について考えている詩人だと思った。
方言の今、ジェンダーと言葉、詩の朗読、いろんな言葉の使い方から、人の在り方について分
キャロル・ギリガン『抵抗への参加ーフェミニストのケアの倫理ー』|読書記録 07
この本はキャロル・ギリガン著『もうひとつの声で』が発表されてから、
正義対ケアという二項対立の議論など、ギリガンが意図しないような解釈、議論が巻き起こったことに対して、ギリガン自身のアンサー本である。
ここでは、本の概要と疑問、そして感想を書きたいと思う。
本書の概要本書は、ケアの倫理は家父長制のくびきから民主主義を解放するための闘争に不可欠であると展開する。私たちは家父長制によって何らかの抑
素直に伝えることって難しい
子どもがお母さんに必死に伝えようとしているが、あまりに不器用な伝え方故にお母さんが突っぱねてしまう、という現場を見た。
子どもは自分に構ってほしいだけだけど、「こうするな」「こっちに来るな」と言って、ベタベタと甘えている。
お母さんは当然嫌気が指す。嫌なら触ってこないでくれ、私はこっちで仕事をさせてくれ、と反射的に拒否をする。
お互いあなたのことが大切だから、自分のことを大切にしてほしい、と言
褒めることの暴力と立ち向かう
褒めることは暴力だと思う。
自分の中にある軸で相手をジャッジすること、それを勝手に押しつけること。
その軸は大抵”社会”の軸を勝手に自分が内面化していて、自分が有利な立場にあるときに、軸を相手に押しつけることで、自分が社会の中で相手よりも強い立場にあることを示しつつ、かつ、自分が正しいと考えている社会を広げたい、と行う行為が褒めることだと思っている。
だから、私は褒めることは基本的に何らかの役
『「言葉にできる」は武器になる』梅田悟司|読書記録 06
読書記録6冊目はこちら。
ー「言葉にできる」は武器になる
私がnoteを書き始めたのは、内向きな言葉を外向きの言葉に変えたいと思ったことがきっかけだ。
そんな私にとってはまさにドンピシャな本だった。
”内なる言葉”を知れコピーライターの著者は内なる言葉に目を向けて、思いを磨けと繰り返した。
世にはたくさんの言葉にする方法や伝え方のノウハウ本が溢れているが、そこで見落とされているのは、内なる言葉