マガジンのカバー画像

あさりさんについてのこと

26
自分の生まれてから今まで、体験したり感じてきたりしたことです。 生きづらさを気合いで凌いできた人の思い出話として捉えて頂ければ。
運営しているクリエイター

2020年6月の記事一覧

そばのない話

そばのない話

むつきはかごんまには蕎麦が無いという
ほんとの蕎麦が食べたいという
夫は驚いて丼を見る
出汁つゆの中に在るのは
切っても切れない
昔なじみのきれいな蕎麦だ
どんよりけむる湯気のぼかしは
きつね色の揚げのしめりだ

むつきは遠くを見ながらに言う
上野駅ホームの上に
毎日出ている立ち食い蕎麦が
むつきのほんとの蕎麦だという
高くない蕎麦の話である。

六月(むつき)が何者かを知りたい方へ

六月(むつき)が何者かを知りたい方へ

はじめまして、という方は少ないと思います。

Twitterでもおなじ名前を使っております、六月(むつき)です。

インターネット始めて23年経って、そのうち18年くらいは日記サイト・はてなダイアリー・mixi・Twitterでずーっと何かを書き続けていました。残り4年は長期的・短期の人狼に精を出していました。恐らくは私の自己主張や情報発信には文字媒体が向いているのでしょう。

ですが実際のコミュ

もっとみる
TRICKの上田山田をポリコレで語ってみろと神が2度囁いた

TRICKの上田山田をポリコレで語ってみろと神が2度囁いた

これを書いているのは

「TRICKの新作が出るようなことがあったら、貧乳とかナントカ人のコンプレックスを刺激するような描写はやめてほしい」

というTwitterでの呟きを読んで、今のTVというのはこういう意見を汲み取り続けた結果なんだろうな、というところから端を発している。

「TRICK」というのは、一番最初のシーズンが2000年に開始されたドラマで、売れないマジシャンでボロアパートの家賃さ

もっとみる
ヤブ医者と毒親と私

ヤブ医者と毒親と私

精神状態が本当に深刻だった時期に、無理矢理精神病院に連れていかれたことがある。
私の両親は離婚していて、実家が2軒ある状態で、当時の夫にDVを受けてメンタルがかなりマズイ状態だった私が最初に身を寄せたのが父方だったのだ。
自傷や妄想、退行が起こっていて、異常だという自覚はあれども、なんの刺激も受けなければ徐々に良くなるというのも経験からわかっていたから、自室からトイレの往復しかしていなかった。

もっとみる
Une femme est une femme(女は女である)

Une femme est une femme(女は女である)

誰かに嫌われるのは仕方ないことだ。
嫌う理由も色々あるし、その殆どはそうかそういうもんだよね、で済むけど、そりゃねえだろ!ってのが1つだけあった。

それは20代前半のフリーターもどきをしていた頃。
友達から彼氏を紹介され一緒にドライブをした数日後。
彼女から電話があり、もう会えないと告げられた。
なんで?私は友人や彼氏に失礼な振る舞いや話をしてしまったのか?と不安に陥ったのを友人は察し
「むつき

もっとみる
あの頃のわかめて鯖の常連は今何をしているのかな

あの頃のわかめて鯖の常連は今何をしているのかな

10年くらい前、2ちゃんねるのネトヲチ板でヲチ対象になった。
発端は人狼のわかめてというサーバーにて常連(というか廃人)になり、その中の一人と意気投合。リアルでもつるんどったら、相手は直結厨と呼ばれ、私はメンヘラ、いやメンヘラババアと呼ばれた。
ごくごく限られた人物しか知らん情報までスレに流れ、センセーションと個人特定のリスク管理がガバガバ状態。
そしてどう考えてもこいつしか知らないだろという話題

もっとみる
2000年問題の後始末

2000年問題の後始末

時は2000年の正月明け。
大学生の私は、お茶の水の割と大きめなビルで清掃のバイトをしていた。午後1時〜9時まで、4〜6時は休憩時間の、実労6時間で時給1200円。当時でも割のいい方だったと思う。

そして休憩時間のこと。
直属の上司である主任が神妙な顔つきで私に近寄り
「おい、お前さ、ゲームとか得意?」
と訊いてきた。
その頃の自分は中禅寺秋彦もびっくりな愛想なしで上司にタメ口だったから、ぶっき

もっとみる
あなたは私でなく私はあなたではない

あなたは私でなく私はあなたではない

「どうしてお母さんの気持ちをわかってくれないの!」
「どうして先生の気持ちがわからないんだッ!」
「どうしてお前は俺の気持ちをわかろうとしないんだ!」

そう謗られながら大人になりました。

わかる時もある、いや、感覚的にはわかる時の方が多かったんですけど。
ただ、冷静な自分があなたは私じゃないんだからわからんのは当然だろ、と、わかるのを拒否していました。

自分が大人になってみました。
大人どう

もっとみる
余命2年と宣告された父

余命2年と宣告された父

私の父は20才の時に、罹患したら2年以内に死ぬ病気にかかった。
主治医から渡された資料に、生存例は記載されていなかった。
入院治療にはなったが、助かる見込みの無い患者が入る大部屋での生活。
ベッドが空くということは…なので、特に子どもが病室から居なくなると大層こたえたそうだ。
当時、その病気を治療できる病院は日本に一か所、そもそも診られる先生が一人。
当時の医療で最善の様々な治療を施され、ありとあ

もっとみる