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村上 京
2024年8月11日 19:16
台風の風を浴びながら草刈りをした。波打つ稲が倒れずに頑張れますように。祈るというより稲を信じるような気持ち。たとえ倒れても稲を責めたりしないし台風を呪ったところで私達の生きている星は常に動いている。
2024年8月11日 18:52
雷雨の後まだ濡れている道を透けたシャツを着た学生達が笑いながら自転車で過ぎて行った。何にも思わない。そのことだけを見る。最近の私がやっていること。抑圧なのか怠惰なのか薄められた快楽なのか分からない。目と兆。
2024年8月3日 16:36
私を見て、が多すぎるから人を見るのは疲れちゃう光をつくる光らないものを讃えるように眺めて それでおしまい意識とか意思とかバタ臭く感じるほど疲れてる疲れるのも悪く無い消して消して消して気配を消して消して消していないことにしてしまおう
2024年7月29日 10:48
詩を書くより詩みたいに生きてるかどうか。そうあり続けるかどうかは努力でも意識でもない気がするのよね。なんともならないことだと思っている。
2024年7月29日 08:05
雨が上がった時間を狙ってきゅうりを収穫していると同じく貴重な時間を待っていた蜂たちが一斉に畑に集まった。邪魔しないでね、と言うような羽音にうんうん、と答えるように遠慮気味にきゅうりに手を伸ばす。メルヘンではない。一緒に生きていれば事実だと分かる。生きる時間が凝縮されているもの達の切実な生は間延びした私の生に輝きの元を見せてくれる。とはいえ、わたしも確実に老い
2024年7月22日 05:54
社会というと大きなものに感じるけれど社会ってのは目の前にいる他人との空間みたいなもので政治家が、福祉が、教育が、と大きなものに憤りを感じたり無力感を感じた時は目の前の空間において自ら出来る範囲でコツコツと行動していかない限りはその集合体である社会というものはもしくは世界というものはある日いきなり変わったり都合よく働いたりはしない、ということは仕組みとして当然
2024年7月20日 09:45
2024年7月20日 06:42
2024年7月14日 06:57
1981年7月31日。この日だと思う。
2024年7月13日 09:47
あまりこだわりのなさそうなお店で美味しいか美味しくないかを期待せず、コーヒーに300円前後、払うことはある。それでもその時間がとても充実していて楽しいことはいくらでもある。100円ちょっとのコンビニのコーヒーが一日の疲れをとってくれることもある。反対にやっぱり止めれば良かった、と後悔することもある。美味しいコーヒーに500円前後払うこともある。美味しいなあって思うけ
2024年6月30日 06:12
塗った畦の際からはみ出した草を撫でるように切る。わたし そのうち 消えていく。切っても切らなくてもわたし そのうち 消えていく。切っても切らなくてもいつかわたしが 消えたならこの草は伸び続け 誰かが切るかもしれないしもう誰も切らないかもしれない。虚しいことは常態だ。否定されるようなことでもない。恐れることでもない。常態なのだから忘れることもあ
2024年6月28日 11:18
鳥が巣を蛇に襲われたのかな、というような聞き慣れないけれど一大事、みたいな鳴き声が林から聞こえてきた。