もっと「気楽」に言葉を紡ぐことについて考える。 気楽じゃない言葉は、文法的に合ってるかとか文章がおかしくないかとか過剰に気にすることだが、逆に「何も紡げない」ことを恐れるべきなのかもしれない。 バッティングだと思って、日々言葉を紡いでいこう。
待っている時間は、とてつもなく暇でたまらなくなる。 そんな時間でも、未来のために「何か」をすれば、不安が消えていく。 きっと、何もしないのが一番暇に良くないのだと、ぼんやりと気付いたのだ。今からでも、取り返そう。時間を。
桜流しの大雨、いよいよ講義が始まって、ふつふつと静かに燃えている感じ。新しい知識にも、誰かの思想を浴びせられるのにも、わくわくする。そうして自分の脳があれこれと思考を始めるのもいい。できれば、脳がぐるんとなるような、そういう目からウロコな思考をたくさん経験したい。リミット1年。
なんにもない4月1日の過ごし方がわからない。いつもどおりなら今頃、新年度の奇妙なアンバランスさの上に成り立つ職場で、「今年度も結局、何にも変わらないな」って軽めの絶望と想定内の諦めを味わっているはずだ。実際は「学生」という身分の贅沢さを噛み締めている。控え目に言って、最高。
「可視化」すること。言外に含ませたり、背景に滲ませたり、遠回しに表現したりなどして(あるいは無意識的に含ませたり滲ませたり婉曲してしまったりなどして)形成されたヒドゥンメッセージが、時として明確な表出よりもはっきりとみえるようにしてしまう。隠したってみえる。みえないものもみえる。
テレビからニュースを流しながら、膝の上で丸くなる猫を撫でる左手、スマホをいじる右手。花見日和のお天気のなか、この1週間のうちにほとほと人に疲れてしまって、出かける気なんかおきない。片割れみたいなひとと、可愛いねこと、うららかなサンルームでのんびりすると決めてる。極上の土曜日。
人見知りである。関係構築が苦手である。1人は平気である。だから随分前に「友人をつくろう!」という意志をもって振る舞うことをやめた。そんなことをしたら空回って1人反省会を繰り返すだけだと嫌というほど学んだから。無理のない範囲で、必要最低限で、いざというときは頑張れる自分でよかった。
チョコチップスコーンておいしいよなあ、と思いながらそれを食べるランチどき。今日のお昼はあんドーナツとチョコチップスコーン。エネルギー補給のために、好きなものだけ食べる。栄養だのなんだのを気にしないわけではないけれど、こうも緊張の連続だと食べる行為そのものを避けてしまいがちなので。