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私の人生、なかなかに幸せだ。
私はなんて幸せな人生を送っているのだろう。
20歳を超えてからそう思うようになった。
私はなんて幸せな人生を送っているのだろう。ひょんなことから、とか、何か決定的な出来事があって、とかじゃなく、
20歳頃から何となくそういう結論に至ることが多くなった。
というのが、正しい表現かもしれない。
私は今、卒業まで残り僅かというところまで来た大学4年生だ。
生まれてからたかだか22年くらいしか
そんな生き方可哀想だから変えてあげる、と言われた。
私は食事を楽しむ心が死んで味覚が機能しないので、あまり食べ物の味がしません。
食べ物よりも飲み物の方が好きで、いろんな種類のお茶を取り揃えておくと安心します。
私は家族という概念を肯定できないので、家族らしい肩書きを持った個々人に特別な思いを抱く勇気がありません。
血の繋がりが無い他人と同じようにそれぞれを見て、どういう人か日々分析し、相手に合わせて面倒でない関係性が築ければ良いと思います。
理想はじゃむむさんのようなnoteですが、あいにくあれほどのものを書ける知識・文章力がなく、また好きなものを目の前にすると語彙を失うタイプなので、実現できずにいます。
とはいえ、自分が時間をかけて作り上げたnoteをよむと、「これに需要なんてあるわけなかろうもん」となってしまい、かつ自分が書いてて/読んでて大して楽しいものでもないので、やはりもう一つの趣味に偏ったアカウントを主にしようかと、思ったり思わなかったり、なかとみのかまたり。
Twitterのように瞬間的な想いを発したようなものではなく、
Instagramのように自分の充実度合いをアピールするためのものでもなく、
誰かが大切に組み立てた文章だけを読みたくなる時があって、
そういう時にnoteはチョウドイイ。
【日記】若返りました(?)
今日で5月が終わります。
新生活が始まって少し経ちますが、こんな短い期間でも、私の中で沢山のことが変わった気がしています。
変わったというか、段々と昔の自分に戻ってきているような気がします。本当に幼い時の自分。
いつ何時も好奇心旺盛で、多方面に興味を持ち、あらゆることに積極的であるような、そんな感じ。
時間が無いから、とか、余裕がないから、という理由でないがしろにされがちで、
実際に私自身も
【日記】求:自分を好きになる方法
物事にはなんだって理由がありそうだけど、
自分のことを嫌いになる時だけは、そこに理由なんて存在しないように思います。
素の自分のことが普通に嫌いになる時もあれば、
誰かと接している時の自分が嫌いな時があって、
最近は後者のような気がします。
人と一緒にいるのは嫌じゃないのだけど、
相手に反射して映る自分が好きではないというか。
そういう時はひとりになりたくなって、
音楽も本も、それは誰
自分に対して優しくする理由がなくなっちゃった
自己管理の甘さを自分以外の何かのせいにするのは好きじゃないですが、
精力的に頑張ることができる期間に積み重ねた努力や、その時特有のポジティブシンキングが勢いづける創作物の彩りなんかを見ていると、
私ひょっとして日頃の甲斐あって病気治ってきたんじゃない?と嬉しい気持ちになるのですが、
大体そういった気持ちがピークに達して
「私はもう大丈夫かも」
と思うと、一気に転がり落ちるのを何度も。
調子