記事一覧
ディレッタント式読書論
1.知識を溜め込むのではなく、知恵を磨く経験値は、単に経験の量によっては高まらない。思考に蒸留された経験の意味が結び合い、未知の事象を捉える網として活用できる、そのことを以って「経験値がある」と云う。
経験を「経験値」として織り上げることのできる人間にとっては、どんな経験もその網の目を精細化する縦糸横糸となる。
読書もまた、経験値の網の目の一本の糸として、織り込まれてゆくことになる。ただこんな経
ディレッタント式教養講座
はじめに断っておくと、これは、アカデミックな意味でなんらかの意義を持つマッピングではなく、ディレッタント式アナロジー読書の一例、実践編です。
よく、読書は生きていくのに役に立つか、という功利主義的な質問をされることがありますが、いやもう、役に立ちまくりです!
より正確には、本質的な読書というのは、本来それ自体を目的とするもので、つまり「役に立つ」という「別の目的」に従属するような隷属的な行為では
フランツ・ボアズ『プリミティヴアート』
芸術は、社会の余剰ではない。余裕のある一部の人の手慰みではない。芸術は、むしろ人類という種の根源的な過剰性に根ざしている。いわば人類が人類であるのは、芸術に惹かれることによってなのである。
この芸術人類学の古典的著作で主張されるのは、何よりもまずそうした観点だ。だから、芸術は社会的にどんな機能を持つのか、という問いに対して、ボアズはそれについての学説を紹介しつつ、じつのところあまり興味を持っていな
海部陽介『人間らしさとは何か』
関節可動性の高さ
ヒトを含む霊長類は、関節可動性が高い。個々の関節が、可動性を高めるように設計されている。私たちは肩をぐるっと回せるし、左右の脚を開いたり、つま先を横に向けたりもできる。
私たちが四肢を自由に動かせるのは、肩関節や股関節が球関節と呼ばれる構造をしているからだ。肘関節はさらに複雑な動きができる構造になっている。
このような霊長類の高い関節可動性は、枝を握りながら樹状を動き回っていたそ
古川武士『書く瞑想』
「瞑想」とは何か。「無意識と通じるための技法」である。人は常日頃「意識的」に生きている。何かを「しよう」として、そのために思考をめぐらして生きている。この「する」モードを止める。「ある」モード、或いは「なる」モードにギアチェンジする。
そのことで、自分の身体、無意識が感じている微かな兆し、徴しに意識を向けなおし、自分が感じている「本当の感情」をすくいとっていく。
この本では、「書く」ことを通して、
どうでもいいことの記録
2022-08-01
ふと思い出す。子供の頃、マカロニサラダが好きすぎて、無くなるのがもったいないと思って一本ずつ味わって食べていたら、途中で食べるのに飽きてしまった。
2022-08-02
ふと思い出す。父はよく煙草をふかしていた。口や鼻から吐き出される煙をじっと見ていると、口をすぼめて煙で輪っかをつくって飛ばしてくれた。パァッと笑うまだ幼児のおれ。
2022-08-03
書斎においてあるウ
弱さと強さをめぐるノート
強者と弱者がいるのではなく、ただ弱者がいる。強者とは、弱者を叩く弱者でしかない。
弱者は強者になるのではなく、弱者でも強者でもない人になろうとした方がいい。コンプレックスをバネにして頑張るのではなく、コンプレックスを解体してしまうことのできる「場」を見出す方がいい。
コンプレックスを解体してしまうことのできる「場」は、どこにあるのか。
コミュニケーションのなかにある。もっと端的な言葉で言ってしま
Iとの対話① 未来から過去へと流れる時間
夜。リビングに設置したハンモックに寝転ぶと、飼い猫の胡桃が飛び乗ってくる。喉を鳴らす胡桃を撫でていると、一日の疲れが溶け出していくような心地になる。うっとりとした気分で、スマホを見ると、そのタイミングで彼女からLINEが入ってきた。
I「私たちは、未来から、過去に向かってるってほんと?」
いきなり?と思われた向きもあろうがいきなりである。ふたりの間には独自のリズムができていて、唐突な話題でもす