『四月になれば彼女は』を読んで
こんばんは。
だいぶお久しぶりになってしまいました。
過去に読んだ本の映画化が決まってから、いつ再びこの本を手に取ろうか迷っていました。
ぶっちゃけそんなにストーリーが印象に残ったわけではありませんでした。
でもあまりにも刺さる言葉が多すぎて、当時の私はどちらかというと苦しみながらページをめくっていた気がします。
本の最後に作家のあさのあつこさんの解説があります。彼女が言っていることは本当にその通りで、この本は綺麗な景色を想像しながら読むような恋愛ものではく、死ぬまで誰にも見せることの無いはずの感情、恋愛と幸せの裏にある感情を否応なしに突きつけられながら読む、揺さぶられる恋愛ものです。
自分の過去の恋愛を、好きな人といる自分が好きだったという感情を、少し嫌な感じに想起させる本です。
孤独とはなんなのか、一生一緒にいるとは何なのか。幸せですか?という質問が、この世で1番無意味な問いに感じられる本です。
映画を見てから原作を読む派の人と、原作を読んでから映画を見る派の人と、どちらもいると思います。
でもこの本は、先に読んで良かったと思います。どんなに綺麗な映像でも、どんなに素晴らしい演技でも、紙に書かれた文字を読むのが1番、嫌な感じに心に刺さると思います。
多分この本が刺さらなかった人は、誰かに愛を与え続けたことがないのでしょう。もらうばかりで、相手の孤独を知らない人かもしれません。
あるいは愛を知るからこそ、愛が怖くて目を背けたくなったのかもしれません。
よく言えば名言、わるいように言えばむき出しになっている言葉たちから少し目を背けたくなるのに、ページをめくる手は早いままでした。
もしかしたら愛を知った方がもっと孤独になるかもしれないのに、人はどうしてまた恋をするのでしょう。
あの時とは違う相手にあの時と同じ感情を描いて、また愛し愛されることを求め合う時間に身を委ねる、なぜそうしなければ幸せになれないと錯覚することがあるのでしょう。
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目の前の相手が大切であればあるほど、目の前の相手が考えていることが分からなくなった時、すごく怖くなるのかもしれません。
自分は相手にとって必要のない何かになってしまったのかもしれないと、変わってしまった関係に涙が出るのかもしれません。
でも実は何を考えているか分からない人ほど、自分のことは何も分かってないのかもしれません。
身の回りに起きる些細な変化には気づくのに、人の心の機微に簡単に触れることができるのに。
案外自分自身のことを何も分からず、自分が誰を好きなのかも分からず、悩んでいるのかもしれません。
この本の主人公は、案外自分のことを何も分からず、周りの人に大切なことを教えてもらっているのに、その人の大切さに気づくのがいつだって遅くなってしまう人のようにも思います。
この一言がどんな風に映画で表現されるのか、楽しみでありつつも少し怖いです。
映画を見終えた時、きっと私は昔の未熟だった恋とも呼べない恋に、愚かだった自分を主人公に重ねながら、傲慢な涙を流してしまうのだと思います。
また映画の感想を書きます。
四月になれば彼女は、3月22日に公開です。