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老後を豊かに暮らすために意識していること

私の父が、今年の春に出向から帰ってきた。

大手企業勤務の父と、長年専業主婦だった母。父の企業年金のおかげで、どうやら両親の生活はしばらくは安泰とのこと。

「このご時世に、そんなことを言えるなんて羨ましい限りだよ。お父さんが真面目に働き続けてきてくれたお陰だよ。

お母さんは、お父さんに感謝しなくちゃね」と伝えると、母は受話器の向こうで「うーん」と唸り声をあげた。

父は父で仕事ばかりしてきたせいもあってか、趣味が何もない。

家に戻ってきても、リビングでずっとゴロゴロとテレビを見ているばかり。そんな父を見て、少しうんざり気味の母。

夫婦仲も決していいとは言えず、老後に一緒に出かけるなんてことはおろか、会話すらない。

さらに、母は母で3人の子育てに必死だったため、これまた「することがない」のだそう。

夫婦ともに、老後の楽しみや生き甲斐を見つけられず、これからどう過ごしていけばいいのかわからないそうだ。

そんな母に対し、私は

「お母さん、それは贅沢な悩みだよ。

世の中には、老後の年金だけでは暮らしていけずにバイトしなければ生活ができない人がたくさんいるの。

老後を悠々自適に暮らせるだけでも、幸せだと思わなきゃ」と伝えた。

しかし、そんな母からすれば「好きな仕事をして、旦那さんとも仲良くて、毎日楽しく暮らすあなたが羨ましい」とのこと。

母は、私を妊娠していた頃、遊びや仕事ばかりで全く助けてくれなかった父と、少しずつ仲違いをするようになってしまった。

やがて2人目、3人目と子供を妊娠したにも関わらず、家事育児には非協力的だった父。

酒好きな父は、深夜に酔っ払って帰ってくることも少なくなかった。ひどい時は、玄関に嘔吐をして汚したまま早朝に出社。

アパート暮らしだったあの頃、周囲に謝りながら片付けるのも、全て母の仕事だった。そんな母に対し、父は謝ることもなかった。

2〜3年で繰り返される転勤、慣れない土地での暮らしの連続、ワンオペ育児と、やがて母は育児ノイローゼとなっていく。

子供が思い通りにならなければ癇癪を起こし、ある時は衝動的な行動にでることもあった。

3人の子供を一列に並ばせて、バケツ一杯の水をバシャーンとかける。

なぜか、私たち3人はそんな母の行為に対し、泣く、わめくということは一切しなかった。母の怒りを、からだ全身で受け止める日々だった。そうすれば、母の気が治ることを子供ながらに知っていたからだ。

そんな母に対し、父は一切無関心だった。

私も、これまで父に怒られたことは一度もない。子供の受験日すら覚えていないので「試験受かったよ」と伝えても「ああ、今日試験だったんだ」と淡々とした口調で返されるだけ。

これまで干渉されたことがないので、楽といえば楽ではあった。

ただ、ふと「この人はなぜ早く結婚して子供を3人も作ってしまったのだろう」「父にとって、私とは一体なんだったのだろうか」と思ったことは何度もある。

一般論として「親は子供の為を思っている」という考えがある。しかし、大人によっては必ずしもその定義に当てはまる人間ばかりではない。育児や家族が向いてない大人も、この世には一定数いる。

父にとって、家族や子供は人生を豊かにする存在だったのだろうか。

思い起こせば、いつも酒飲みと仕事の話ばかりで、彼の口から家族や子供に関する話を聞いたことが一度もない。

父を見ていると、彼のようなタイプは生涯独身で酒と仕事に生きて、自由に自分のお金を使えた方が幸せで、豊かな人生を送れたのではないかとさえ思ってしまう。

ヒステリーな母と、無関心の父。

子育てが進むにつれ、考え方がどんどん合わなくなった両親はすれ違いを重ね、ある日を境に母は父を全く受け付けなくなってしまった。すると父は、ますます酒と飲み屋に溺れるようになり、家に帰ってこなくなった。

「単身赴任から戻ってきたお父さんと、これからどうやって仲良く暮らしていけばいいのかわからない。

これまでずっと離れて暮らしてきた訳だし、何を話していいのかわからない。

あの人の介護なんて、とてもじゃないけど無理。老後のことを考えると、頭が真っ白になる」

受話器の向こうにいた母は、父について吐息まじりにこう答えた。

いい団地の大きな家で暮らし、何不自由ない生活をしてきた私たち家族は、これまで過ごしてきた中でお金で大きく困ることは確かになかった。

けど、どんなにお金があっても家族が仲良くなければ、本当の意味で豊かな暮らしはできないのではないだろうか。ふと、母の発言を聞いてそう思った。

「母さん、これから何をやって過ごしていけばいいんだろうねぇ。

そういえば、あんた夢はあるのかい?やりたいこととか」母は、落ち着いた声で私に言った。

「あるよ。文章書く仕事に就きたい。

というか、既に今そういう仕事しているよ。フリーライターの仕事をしている。

前に、執筆した記事をお母さんに見せたでしょ?ああいう記事をね、月に数本書いてお金を貰ってるの」と答えると

「へぇ、いいわねぇ。やることがあって。

母さんには、何もないの。ずっと子育てしかしてこなかったから」と、寂しそうに答える母。

「いや、私からすれば若いうちに結婚できて、早くに子供を何人も産んで育てることができた、お母さんの生き方の方がずっと羨ましいよ。

私も、今となってはもっと早くに結婚して、子供を沢山余裕持って育てたかったと思ってるし。私も早く結婚したかったけど、37歳と遅くなってしまったから。

それに……、

お母さん、子育ては立派な仕事だよ。

3人の子供を非行に走らせることなく、立派に育て上げたのだから、誇りに思っていいんだよ。

それから、ずっと専業主婦で子供3人育てられる経済力があるというのも羨ましい。

私たちの世代は、みんな小さな子供がいても保育園に預けて働き続けているよ。

お父さんみたいに、今の人はなかなか給料も上がらない。女の人も、ずっと働き続けている人ばかり。

単身赴任は大変だったかもしれないけど、しっかり稼いできてくれたお父さんには感謝した方がいいよ」と、私は母に伝えた。

こう伝えれば、きっと一心不乱に子育てしてきた母の奮闘が報われると思ったから。母は、私の言葉の後で少し満足そうに「それもそうね」とだけ答えた。

隣の芝生は青く見える、という言葉がある。

きっと私たちの会話は、永遠に「どちらが幸せか」を話し合い続けても、答えが出てこない問題ではあると思う。

どんな家にも、それぞれ良いところはあるし、問題もそれなりに抱えている。どんな生き方をしても、メリットもあれば、デメリットもある。

私は、確かに好きな仕事を自由な時間にできてハッピーではあると思う。しかし、老後のことを考えると「いつまでもこの仕事ができるのだろうか……」という不安はずっと尽きない。

フリーランスの人は、誰もが皆同じような不安や悩みを抱えているのではないだろうか。

だからといって、私の年齢である40歳で再就職したところで、長年事務員しかしたことのない私に正社員の仕事なんて決して回ってくることはないだろうし。

いざ仕事を見つけられたとしても、時給が良くてアクセスのいいバイトを見つけられたら関の山といったところだ。

そんな訳で、このままズルズルと定職に就くこともなくフリーランスの仕事を続けていたら、いつの間にか4〜5年が経ってしまった。

経験値を積むうちに、お客様から「ありがとう」と言われる機会が増えるようになった。OL時代は感謝されることもなかったので、仕事を通じて感謝してもらえるのが凄く嬉しい。

やり甲斐を感じられる様になってから、「出来る限り、この仕事を続けて行きたい」と思えるようになった。

また、もしライターの仕事が出来なくなったら、その時はその時で「書く作業」を趣味として楽しんでいけたらなぁと考えている。

例えば、黙々と1人で文章を書き続けてもいいし、公募にチャレンジしてみるのもいい。

もしくは、物書きのサークルに入れば、老後は気の合う仲間と楽しくワイワイ過ごせるかもしれない。

または、今のうちに色々公募にチャレンジしておいて、小さな賞でも受賞すれば、老後もずっと好きな執筆の仕事ができるかもしれない。

そう思った私は、今のうちから隙間時間にちょこちょこと公募に応募し続けている。

父母を見る限り、老後に趣味がなくなると、生き甲斐を見失いそうな気がして怖くなった。

そして、家族がいつまでも仲良く暮らし続けることも、老後の豊かさには大切なように思う。

趣味や生き甲斐があって、夫婦共に仲良く過ごせていたら。

お金がなくても、心は豊かに暮らせるのではないだろうか。

これからも、心豊かに過ごせる老後のために、夫婦仲良く手を取り合いながら過ごしていきたい。


そして「好きなこと」である今の仕事を、これから先もずっと続けて、生き甲斐と呼べる老後がくればいいなと思いつつ、今日も書き綴っている。


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