豊かな時間〜芝生のじゅうたん〜
自分で作ったシャボン玉を追いかけて触ってる子の隣でおじいちゃんが空を眺めていたり、学生カップルが楽しそうた話している周りを走り回る小学生の男の子たち、シートの上で集っているママ友集団とおやつを頬張る子どもたちや、ベビーカーで眠る赤ちゃん、バク転の練習をする少年と読書する女子高生。アイスを食べる小学生とボール遊びをする犬の横では、若いパパにぐるんぐるんと降り回してもらって楽しそうな兄弟の笑い声が響く。
座っても走っても、寝転んでも食べてもいい自由なみどりの絨毯。どれもがひとつの芝生の上で広がる、それぞれの豊かな楽しい時間。日常の色んなしあわせが彩られた笑顔溢れる場所は、私の憩いの場所でもある。
今日はショッピングした紙袋と桃のジュース持って好きな音楽を流しながら木陰で風にそよがれる。
先月来た時は、もう少しでちょうど一歳になる子と一緒に遊ばせてもらった。あの日は芝生が少し湿っていて、着ていたデニムのお尻の部分をその子とお揃いで汚しながら拾った落ち葉を交換し合った。帰る頃には、お揃いに汚れたズボンのお尻部分はいつの間にか乾いていた。
あの日も思ったけれど、こんなに自然と口角が緩む場所では毎日一日中でも過ごせそうだ。
男の子のつくるシャボン玉がキラキラと太陽の光で照らされてとても綺麗に光っている。風に乗って色んな人のところへ飛んでいく透明な虹色の丸はたくさんの人を簡単に笑顔にする。
首からぶら下げていたおもちゃの金メダルにも負けないくらいピカピカの笑顔はとても輝いていた。どんな功績を叩き出さなくたって、その笑顔こそ本物の優勝だと思った。こんなにすぐたくさんの人を幸せにしているんだから。
ただ純粋に楽しいという表情はこんなにも人を幸せにできる。どんな能力や才能よりも素敵なものを、みんな生まれた時から持っていたんだなということを思い出させる。
秋の芝生ほど豊かですごしやすい空間はないのかもしれない。
心が和らぐ時間は自分で動いて探しに行ける。過ごす場所は自分で選べる自由がある。私はとても豊かの中を生きていることを、五感の全てで感じている。
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