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偶然か、必然か。

日本語で長い文章を書くなんて、何年振り?今日、今まで全く興味もなかったこのサイトに、大学時代の先輩に勧められてサインアップした。なぜに?

偶然か、必然か。どうなんだろう。

私が、ここ、オーストラリアのクイーンズランド州の州都ブリスベンに住んで、もう13年の月日が流れる。今、私は、日系オーストラリア人だ(またこの話は後ほど)。鉛筆1ダース分を超えるお正月の数を重ねた英文ジャーナリスト、編集者としての仕事は、誇りをもってやっていたけれど、子供が生まれてすぐ、「これでは自分の娘にフォーカスしたくても身体も心もついていかん」と思い立ち、休業。そして、自分探しの旅(頭の中でね)を始めた。子供の親になることなんて、「おそろしやー!」と思っていた自分が、これまでのキャリアを完全に捨て、会社も、肩書きもない自分と向き合うことになった。

昼夜逆転、ナニーさん頼りの子育て1年目は、私の思い描いていたものとは違った。自分が着ていた、たくさんの、自分を定義づけるレイヤーを全部脱ぎ去った自分と向き合って、「本当の自分って誰?本当に大切なものって何?」と自問した。それがもう9年前のこと。

生まれたのは、とてもきれいなのに、小さい頃から、「どうも息がしにくいなあ」と感じていた、古都、京都。人権、平和教育に熱心だった公立小学校を卒業後、めちゃくちゃとんがっていた私を優しく包み込んでくれたリベラルアーツの女子校で、暴れん坊な6年間を自由奔放に過ごした。それでもやはり、京都の盆地の外、そして島国日本の先にある場所で生きてみたいという願望を止めきれず、親の大反対を押し切り、大学卒業後すぐ、渡米。アメリカの大学院へ進学、メールがまだ白黒だったあの頃、モデムをギーギー鳴らしてネットにつないでたあの頃、ジャーナリストになるためのトレーニングを受けた。ニュース中毒症(ジャンキー)になれと、鍛えられた。奨学金が切れ、貯金残額300ドルしかないという修羅場も乗り越え、古き良き時代のアメリカに育てられ、支えられ、4年間のアメリカ生活を無事に終え、東京で、記者になった。

卒業後、日本で記者の仕事をしていた頃から、強く感じていた問題、そして、編集の場を離れた今も毎日向き合っている問題がたくさんある。アイデンティティ、自分らしい生き方。社会の形、教育の形、家族の形。言語、(多)文化、国籍、人種。女性、男性、セクシュアリティ。心、身体。人権、格差、仕事。テクノロジー、幸せの定義、スピリチュアリティ。環境問題。クリティカル思考。相変わらず、気になることが多すぎる。

今日、こうして書き始めたことは、偶然ではなく、必然だったのだと思う時がくるかもしれない。そんな気がする。先輩ありがとう。


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