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紛争の二重構造(山崎雅弘『[新版]中東戦争全史』)
「一般的に、戦争や紛争は「A国対B国」や「C民族対D民族」「E教徒対F教徒」など、特定の属性を持つ集団と集団の対立図式で理解されることが多い。 本書のテーマである中東戦争も、多くの場合「イスラエル対パレスチナ」や「ユダヤ人対アラブ人」「ユダヤ 教徒対イスラム教徒」といった対立の構図で説明されてきた。
次の図は戦争や紛争の対立構造を図式したものだが、上のシンプルな「A国対B国」の図式とは別に、双方
沼尻海岸図録(4. 地層と堤防)
2011年3月11日、三陸沿岸を大津波が襲った。大谷にある沼尻海岸は、この津波によって表土を削り取られて年代の異なる古い地層が現れた。もっとも古い地層は6千年前の地層と推察されている。
上図の「H 津波地層」を発見されたのは、平川一臣北大教授(自然地理学)である。震災直後にこの地を調査、「6000年間の巨大津波の痕跡が一目で分かる海食崖は三陸中探してもほかにないだろう」と語るほど貴重な地層だ
沼尻海岸図録(3. 磯焼けとウニ)
大谷の海は、前回の「海藻」で紹介したように豊かな海藻に恵まれている。海藻はまた海中林として、海の環境や生態系を支える大切な役割を果たしている。
2000年に入る頃から、環境汚染や温暖化、酸性雨などで環境に異変が現れ始めた。大谷でも、陸では「松枯れ」が発生して、海岸の松が次々と枯れ、海中では海藻が枯れてなくなるという「磯焼け」が起こっていた。
磯焼けで海藻が消えたにもかかわらず、写真のよ
沼尻海岸図録(2. 海藻)
海の春は早い。2月にはワカメやフノリ、マツモ、ヒジキなどの磯草(海藻)が伸び、磯草採り(開口)が始まる。
沼尻海岸は遠浅の磯場で、大潮の時は沖の岩場まで歩いて渡ることができた。この岩場は海藻の宝庫ともいうべき場所だった。
だが、2011年3月11日の震災で地盤が沈下し、この岩場のほとんどは水中に沈んでしまった。
それでも、沼尻海岸は、震災後も変わらずに海藻が豊かに生い茂っている。海は、
沼尻海岸図録(1. 空から見た沼尻海岸)
沼尻海岸の全容を知っていただくために、海岸の上空から撮影した写真をご覧いただこう。震災(2011年)をはさんで前後2枚づつ掲載した。震災の前後で、この海岸の姿がどのように変化したかがお分りになるだろう。
こうして年代ごとに写真を並べてみると、堤防がいかに無機質で味気ないものであるかがよくわかる。景観と海岸の生態を壊し、震災後に回復した陸と海のつながりを断ち切ってしまった。
この堤防は、「続