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「大日本病」の処方箋 (中)~ 再び戦争の惨禍が起こることのないように ~

「大日本病」の再発
 戦前、「天皇を頂点とする日本の国家体制」を推し進める中心的な役割を果たしたのが「国家神道」である。地域ごとの暮らしや伝統に根差した神道とはまったくの別物だ。
 「国家神道」を山崎さんは、特定の政治思想を国民に植え付け、特定の政治的構造に国民を従わせるための「宗教的政治概念」としている。
 安倍政権以降の閣僚の多くが、「神道精神をもって日本国国政の基礎を確立する」と綱領にうたう政治団体「神道政治連盟」や、「美しい日本の再建と誇りある国づくり」を訴える運動団体「日本会議」に名を連ねている。
 彼らは、日本国憲法に基づく民主主義を「戦後レジーム(体制)」として否定し続けている。だが、「戦前・戦中レジーム」については言及せず、「戦争責任」についても論点をはぐらかし回答を避ける。これは戦前・戦中の体制を肯定し是認していることに他ならない。
 その一連の動きから見えてくるのは、国家神道的な価値観をよしとする体制への回帰である。厄介なのは、その言説が一見まともに見えるところだ。「日本会議」が目指す六項目をみてみよう。
①美しい伝統の国柄を日本へ。②新しい時代にふさわしい新憲法を。③国の名誉と国民の命を守る政治を。④日本の感性をはぐくむ教育の創造を。⑤国の安全を高め世界への平和貢献を。⑥共生共栄の心でむすぶ世界との友好を。
 だが、「新しい時代にふさわしい」と言いながら、戦前・戦中の「国体」への回帰を訴え、「世界への平和貢献」「世界との友好」とは裏腹に、隣国の中国や韓国に対する敵意をむき出しにする。実質と言説が乖離(かいり)し、論理に矛盾がある。だが「大日本病」の患者たちは、その矛盾をまったく気にかけない。
 自分たちの目標は正しい。それを達成するためには矛盾していようが嘘であろうが構わない。「正しい」ことをしているのだから、どのような手段も許されると考える。はた迷惑な話である。

人権と国民主権を否定
 人権とは普遍的なものである。肌や目や髪の毛の色の違いや、生まれた国の違い、文化や歴史や宗教の違いは関係なく、万人に等しく、生まれながらに備わっている権利、それが人権だ。人権の歴史は、私たちがこれを理想として掲げ、獲得してきた歴史でもある。
 だが「大日本病」の患者たちは人権の普遍性を理解できない。自民党の片山さつき議員が、改憲を進める理由をネットでこうつぶやいた。
「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」。
 同じ自民党の西田昌司議員もまた、テレビの討論番組で「そもそも国民に主権があることがおかしい」と主張した。
 この発言に批判が殺到したことから、西田議員は弁明したが、その弁明から図らずも「大日本病」患者の思考の粗雑さ幼稚さが露見したのだ。

「大日本病」の病理
 西田議員の「弁明」は、こんな珍妙な物言いから始まる。
「日本、韓国、北朝鮮、アメリカそれぞれに文化や伝統や歴史があり、それにふさわしいそれぞれの人権がある。しかし、人の権利は天賦で侵しがたい絶対的なものという論法からすると、外国人にも同じ権利があるわけだが、主権が日本人にあるというのが説明できない。だから、それは人権といいながら、人の権利じゃない。国民の権利である」
 論理の欠片(かけら)もないが、どうやら「国民の権利」なるものを主張したいらしい。では、この「国民の権利」は何かというと、さらに珍妙な物言いが続く。
「私たち日本人の権利は、日本の文化や伝統や歴史を継承する子孫として、祖先から相続したものだ。だから、正当な相続人となるためには、祖先がそうしたように、国をつくり、国を築き、国を守らなければならない。この義務を果たさないのであれば、正当な相続人とは認められず、権利も相続できない。」
 この言説からわかるのは、彼らの「日本の文化や伝統や歴史」が虚構であること。にもかかわらず、それを「正当」と信じこんでいることだ。この妄信こそが「大日本病」特有の病理である。
 
「右翼・保守」の正体
 「右翼・保守」の正体がこれでわかるだろう。安倍晋三元総理は「私を右翼と呼びたいなら、そう呼べばいい」と言い放ったが、この独善性もまた「大日本病」特有の症例だ。安倍政権以降、空虚で軽薄な「右翼・保守」が跋扈している。その挙句が、今のこの国の惨状である。

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