沼尻海岸図録(4. 地層と堤防)
2011年3月11日、三陸沿岸を大津波が襲った。大谷にある沼尻海岸は、この津波によって表土を削り取られて年代の異なる古い地層が現れた。もっとも古い地層は6千年前の地層と推察されている。
上図の「H 津波地層」を発見されたのは、平川一臣北大教授(自然地理学)である。震災直後にこの地を調査、「6000年間の巨大津波の痕跡が一目で分かる海食崖は三陸中探してもほかにないだろう」と語るほど貴重な地層だっだ。
(参照:平川一臣「地形,表層土壌(泥炭質土壌,湿性黒土)形成環境と古津波堆積物検出の着眼点」)
https://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/model/2/pdf/2.pdf
上図の「H 津波地層」は、残念ながら、波浪によって数年で消滅してしまった。貴重な地層であるだけに保存できなかったのは悔やまれる。
G地点の地層も、沼尻海岸の成り立ちを伝える貴重な地層が顕出していた。
この地層の中に白い地層があり、平川教授は5400年前に起こった十和田中掫(ちゅうせり)噴火の火山灰と推定している。十和田湖を作った巨大な噴火である。
この貴重な地層を残したいと思い、当時面識のあったいわて三陸ジオパークの職員に相談した。そして、その職員の呼びかけで、2016年6月に東北大学の土壌研究者が調査に訪れ、この地層の標本を採取している。
この研究者がこの地層の成分を分析したところ、火山灰であることを示すガラス質の結晶が見られず、火山灰ではないことが判明した。では、この地層はどのように形成されたのだろうか。この地層が堤防によって破壊されてしまった今では、確かめることもできない。
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