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新しい日本を生み出すために

矢部宏冶『知ってはいけない2』
日本の主権はこうして失われた
「あとがき―歴史の法則は繰り返す」(要略)

 評論家の立花隆さんはその著『文明の逆説』の中で、ローマ帝国はその中で蔓延する「罪と悪徳」によって滅亡すると予言した聖ヒエロニムスの言葉を引用し、さらにこう述べています。

「しかし、考えてみると、ヒエロニムスが「罪と悪徳」ととらえたものこそ、ローマ帝国の成立・成長過程にあっては、その成功を保証した条件だった。ローマ帝国は権力、富、快楽に対するあくなき追及をよしとすることの上に建てられた帝国だった。それが成長期にはローマ帝国の活力源となり、対外発展の原動力となっていた。しかし、衰退期には、その同じものが、社会を解体させ、帝国を崩壊に導いたのである。」

 成長期には国家発展の原動力となったその同じ条件が、衰退期には今度は逆に国家を崩壊させる最大の要因になってしまう。この「文明の逆説」ほど、現代の日本人がおぼえておかねばならない歴史上の法則はないでしょう。

 「戦後日本」という国は、極貧の敗戦国としてスタートし、その後「人類史上まれな」と呼ばれるほどの急激な経済成長を経験しました。しかし、それではいったいなぜそんなことが可能だったのかといえば、その最大の原因は本書中でも触れた「軍事主権の放棄」という、密室で合意された基本方針のおかげだったといえるからです。

 米軍に軍事主権を引き渡してアメリカの警戒心をとき、経済面での優遇措置をあたえてもらう。その一方、マッカーサーが残した憲法9条をたてにとり、自衛隊の海外派兵は拒否して日本人が巻き込まれないようにする。

つまり、「戦後日本」というきわめて特殊な国家においては、
「日米安保には指一本ふれるな」という右派のテーゼと、
「憲法9条には指一本ふれるな」という左派のテーゼが、
一見はげしく対立するように見えながら、そのウラでは「軍事主権の放棄」という一点で、互いに補完しあい、支えあっていたわけです。

 表面的には矛盾するその二つのテーゼをセットにした基本方針(日米安保支持&護憲)のもとで、日本は長期の社会的安定と経済発展を実現することになったのです。

 「冷戦の時代」はすでにヨーロッパで終焉をむかえ、東アジアにおいてもその幕を閉じて、国際環境が大きく変化している。そうした状況の中、「戦後日本」は、新たな国家原理のもとで再スタートを切る必要性に迫られています。

ところが、朝鮮半島における「分断された民族の融和」や「核戦争の回避」に対して、日本は率先して協力するどころか、ただ1ヵ国だけ最後まで邪魔をしている。この「外交姿勢」は国際的にも軽蔑されており、日本の外交力はゼロどころか巨大なマイナスになっている。

 さらに、東アジアの国際環境が大きく変化し、軍事的な危機が起きた時に、日本には自国の危険を回避するための選択肢がどこにも存在しません。

 戦後日本の経済繁栄をもたらした「軍事主権の放棄」という隠された「国是」が、いま「文明の逆説」そのままに、日本に深刻な危機をもたらし始めているのです。

 私たちはいま、過去の大きな経済的成功にとらわれることなく、歴史上の客観的な事実をよく検証したうえで、先に述べた左右ふたつのテーゼを、根本から変更する時期にきているのです。

 「文明の逆説」をめぐる考察で、立花隆さんは次のような結論でしめくくっています。

「一つの文明の死は、同時にもう一つの文明の誕生となる。一つの文明の成功の条件が、同時にその文明の失敗の条件ともなるという逆説のように、一つの文明の死の苦しみは、同時に別の文明の生みの苦しみとなるというもう一つの文明の逆説もまたあるのだ」

 私はこの言葉を、いま日本の現状を憂えるすべての人たちに、なかでも、これから長い人生を歩んでいくことになる若い世代の人たちに、広く知ってほしいと心から願っています。

 一つの社会体制が滅んでも、人々の営みは絶えることなくつづいていく。だから未来は変えられる。事実を知った今日ただいまから、必ず未来は変えられる。

 新しい日本の社会を、日米関係を、そして核兵器のない平和な世界を、混迷のなかから生み出していくのは、みなさんの仕事なのです。


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