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【短編小説】布越しの祈り【文藝短編部門落選作】

【短編小説】布越しの祈り【文藝短編部門落選作】

 トワは、雨の日が好きだった。雨の日は街に人通りが少なくなり、やかましい人の声が聞こえなくなるのが好きだった。地面で爆ぜた水滴が靴にシミを作るのも、水滴が傘の上で結合し、自重に耐えられなくなって滑り落ちる様をビニール傘の内側から見ているのも好きだった。何より雨が上がり、光が差すと、いつもより景色が濃く、それが遠くの方まで続く。視界のはるか先にある山に目をやると、日頃、広葉樹の群がりが薄い膜で覆われ

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【短編小説】鉦鼓【阿波しらさぎ文学賞一次落選作】

【短編小説】鉦鼓【阿波しらさぎ文学賞一次落選作】

 徳島の空は色が薄くて嫌いだ。
 高く上がったライトフライは否応なくその色に吸い込まれ、落下地点を狂わせる。その後に続くのは保護者の悲鳴と監督の怒声で、相手チームの「回れ回れ」という言葉だけが嫌にハッキリ聞こえたのは、相手チームが一塁側ベンチを使っていたからという訳ではないだろう。
 何をどうしたのか分からないまま次の打者を迎えた時に、一人だけライトにポツンと取り残された錯覚に陥る。早くこの回が終

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【小説】ワークワークアンバランス 群像新人文学賞一次落ち作品

【小説】ワークワークアンバランス 群像新人文学賞一次落ち作品

耳に届くものをただ音として聞いている。机の脚が床を擦り、空気が震える。勢いよく教室の引き戸が開け放たれ、ストッパーにこれでもかと打ち付けられたドアが低く鳴る。突発的な衝撃に心拍数が上がる。半自動のドアが閉まらない。やれやれ、ドアレールから外れたらしい。ドアが開け放たれたことによって、今まで遮音されていた音が直通で届く。話し声、笑い声、泣き声。ボールが弾む音。「ベロベロベー」「コラ!」廊下を走る上靴

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【ショートストーリー】花も恥じらう

【ショートストーリー】花も恥じらう

僕は今、危機に瀕している。

生きるか死ぬか。
いやそれ以上に厳しい状況である。
高校3年生にして人生の過渡期が、
こんなに早く訪れようとは、
予想だにしていなかった。

「トイレに行きたい」

頭に浮かぶのは純白の便器ばかりだ。
いや、この際多少汚れていてもいい。
とにかくトイレに行きたかった。

僕は今病院のベッドの上にいる。
病気というわけではない。
鼻の鼻中隔という骨が曲がって成長してしま

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【ショートショート】土砂降り

【ショートショート】土砂降り

ワイパーをかけても前が見えない。
ほとんど勘に頼りながら高速道路をはしる。
梅雨の豪雨がフロントガラスに滲み広がる。

「撥水かけとけばよかった」
洗車の際にまだ大丈夫とサボったツケが回ってきた。
いつでも先延ばしにする性格が、
いつでも私に暗い影を落とす。

今日も後回しにしていた資料作成をすっかり忘れていて、
部長から大目玉を食らったばかりだった。
ため息をついた。

トンネルに入りいっときの

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【ショートショート】登山

【ショートショート】登山

「登山のなにが楽しいの?」
ぼくは頭をフル回転させた。

確かに登っている時は苦しいし、足は痛いし、汗でべちゃべちゃになるし。
なにが楽しいのだろう?

頂上で飲むコーヒーが美味しいから?
カフェでも飲めるでしょ。

登山飯が美味しいから?
時間をかけて作った料理の方が美味しいよ。

頂上の景色が綺麗だから?
スカイツリーに登ればいいよ。

登山の良さが全く思いつかない。

ジョージ・マロリーはな

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【ショートストーリー】0.3歩の前進

【ショートストーリー】0.3歩の前進

気づけば三人で遊ぶことが多かった。

和歌山にある国立大学の教育学部で教師を目指した仲間だ。

僕と寺川は体育を専攻しており、辻内は外国語を専攻していた。

どうして仲良くなったのかは覚えていないが、暇さえあればドライブをしたり登山をしたり、夜景を見に行った。

あの日は工場夜景を見に行こうという話になって、日が沈む頃に夜景スポットになっている高台に登った。寺川と辻内は一眼レフを三脚に設置し、

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【ショートショート】しわわせのかたち

【ショートショート】しわわせのかたち

「はるちゃんはまんまる

まなちゃんはカクカク

かおりちゃんはー、おほしさまかな」

「かなちゃん、それはなにの形なの?」

「しわわせのかたち」

「みんな形が違うの?」

「そうだよー。たろうくんはでんしゃのかたち」

「電車の形なんていいの!?」

「そうだよ。なんで?だめなの?」

「だめじゃないけど…」

「へんなのー」

「じゃあ、ママは何の形?」

「ママはねー、いまはかなちゃんの

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【ショートショート】いつもより濃く

【ショートショート】いつもより濃く

いつもより指先に力を込めて鉛筆を動かした。

いつもより少し濃い線が現れた。

こうして1円にもならない絵を書きながらぼんやりと遠くの山を見ている。

周囲の人たちからは、遊んでいないで早く働けと言われる。

そう言った人たちは、朝早くから満員電車に乗り、

夜遅くに不自然によじれたネクタイを揺らし帰ってくる。

こんな仕事辞めてやると愚痴をこぼしながら、

平気で人の夢を諦めさせようと、

躍起

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【ショートショート】仮想

【ショートショート】仮想

家にいながら、どの国にでも旅行に行けるようになった。

家にいながら、誰とでも会話できるようになった。

家にいながら様々なスポーツに触れられるようになった。

このVRという技術が開発されてから、人々の生活がガラリと変わった。

「いつでも誰とでもどこへでも」

CMで流れてきたそのキャッチフレーズに納得しかない。

少し課金すれば宇宙旅行へだって行ける。

地底深くを探索できることだってできる

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【ショートショート】あいまいなことば

【ショートショート】あいまいなことば

曖昧なことが嫌いだ。

何事もきっちりかっちり決めなければならない。

ツレと遊んだ時に
「何を食べたい?」
と聞いて
「なんでもいいよ。」
なんて答えが返ってこようものなら、
「じゃあその辺の草でも食べとけよ。」
っていつも返している。

何でもいいわけがない。
そんなのは生きているうちに入らない。

僕はそう思う。

「君は多趣味でいいね。僕は好きなことがないから休みは何をしたらいいのかわから

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【ショートショート】正義

【ショートショート】正義

昔ある集団が村を襲った。

奴らは村の金銀財宝を奪い、
それを止めようとした若い男たちを斬りつけた。

何人も帰らぬ人となった。

ある意味では黄泉の国に還ったのだろう。

その中に僕の爺さんもいたらしい。
僕の父さんがまだ5歳の頃の話だ。

それからこの村は今日食べるのもやっとな、貧しい村になった。

だから僕は決めたんだ、

いつか村の男たちの借りを返してやるって。

くる日もくる日も稽古に明

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【ショートショート】時間を売ってください。

【ショートショート】時間を売ってください。

そのおじさんはキャメルのスリーピースを身にまとい、蛇の金細工をあしらった杖に体重を預けて言った。

「君の時間を売ってくれないかね?」

何を言っているのか想像できなかった。
関わってはいけないヤバい人だと思った。
僕はその言葉の意図を全く読むことができなかった。

ただ僕の悪いところが出たんだ。
少しからかってやろう思った。

「いくらで?」

おじさんはニッと右側の口角を上げて言った。
「1年

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【ショートショート】会議

【ショートショート】会議

「部長!
この部署はあまりにも会議が多すぎます!
毎日のように会議会議で、それに加えて取引先へのあいさつ、新規顧客獲得への営業、レポートの作成、あげればキリがないですよ!
それなのに毎日毎日何時間も会議をして、定時にあがれるはずがないじゃないですか!
定時は帰ることができる時間じゃないんですよ!
帰らなければいけない時間ですよ!
我々のことも考えてください!

あとなんなんですか定例会議って!

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