自分の「やりたい事」と「できる事」との向き合い方
この世界では人間の需要と供給のバランスが取れていない。
もしこの国の人間が全員、自分の好きなことをやるとこの国は現状を維持できなくなります。これは経済学のフリーライダー問題ということでもわかっています。
例えば全員が「YouTuberになりたい!」や「スポーツ選手になりたい!」や「歌手になりたい!」みたいな自分のやりたい事を仕事にすると、この日本という国は破綻します。
しかしながら、それでもインターネットやsnsが発達した現代となっては他人の煌びやかな世界が見え、それにインスパイアを受けていろんな夢を持っている人がいますよね。
その一方、冷静に現実を見ると夢は叶わない人の方が圧倒的に多いでしょう。
それはよくよく考えると当たり前。
YouTuberになりたい、起業したい、プロゲーマーになりたい
みたいな夢は、おそらく一度は誰しもが抱いたことがありますよね?
僕はあります、ミュージシャンになりたかったです。バンドをやっいて、みんなでメジャーデビューして、いつかは武道館とかでっかいところで自分の好きな音楽を好きなようにしたいなって。
でも、論理的に考えてそんな夢を抱いた人が全員それを具現化しているかというと、現実はほとんどの場合でそうはならない。
この様に、この世では需要と供給のバランスが保たれていない。ミュージシャンになりたいと思った人の数だけその人達が座れる椅子はこの世界に用意されていません。だからこの世には「価値」という概念が存在しているのですが。
しかしそれとは逆に「自分ができる事」も必ず存在しています。
例えばまひろ(筆者)で言うなら、10年間積み上げてきた心理学の知識や考え方は頭を強く打たない限りは、誰にも奪われる事なく存在し続ける絶対的な自分の「できる事」です。
あとはIQ140なんかも生まれ持った、どこに行っても自分が何をしようと変わらない絶対的な「できる事」
そして今僕自身、自分の「できる事」を使って仕事をしています。
まひろの「できる事」はちょっと特殊ですが「小さい頃から料理が得意で」や「人にものを教えるのがなんか上手で」や「繊細で細かい作業が上手で」という様な「自分のできる事」というものは必ず誰にでも存在しています。
しかしながらそれとは逆の「自分のやりたい事」、例えばミュージシャンなんて目指している人は、この世には星の数ほどいますがそのほとんどがなれない。そしてその中でも本気で夢を叶えるために努力をできる人間ももっと少ない。
そういう事実の中「自分のできる事」と「自分のやりたい事」はどの様にして折り合いを付ければ良いのか、という現実に多くの方が、特に20代30代男性は悩みを抱えていらっしゃる方がいらっしゃるかと思います。
という事で本日は、自分のやりたい事はどこまで突き詰めて、自分のできる事とどう折り合いをつけていけば良いのかということについてお話ししていこうと思います。
心理学歴10年、まひろです。
僕の記事では心理学を10年間勉強することによってわかった、人間の本質的な行動原理である「自然の法則」を元にビジネスメソッドの発信をしています。
要するにまひろは心理学の知識を使ってビジネスのやり方を発信している者です。
仕事には「やりたい事」と「できる事」の二種類がある
冒頭でも書いた通り僕は一昔前、ミュージシャンを目指していました。当時、大学で出会ったメンバーとバンドを組んでこいつらと絶対成功するんだって本気で。
でも、残酷なことに人間は現実とは切っても切り離せない環境、将来のこと、家族のこと、そしてリスクを考えると、このままでいいのかと。
自分が「やりたい事」と「できる事」の葛藤は誰もが体験されると思います、これまでもそしてこれからも。
その時はみなさんはどうやって自分の中で折り合いをつけますか?それもこの場合は絞って「仕事」について。
あなたは自分の「やりたい仕事」と「できる仕事」が存在していたらどちらを選びますか?
”仕事”はこの様に考えると、2種類に分けられて、その中でどちらを選択するかという自分が「やりたいことを仕事にする人」と「できることを仕事にする人」が存在します。
しかし、ここで結果を言ってしまえば「どちらが劣っている、優れている」はない。論理的に考えても別にどちらが良い悪いなんてありません。
確かに冒頭でも書きましたが「自分のやりたい事」を現実にできる者はごくわずかです。しかし、偉大な哲学者であるヘーゲルはこんな言葉を残されています。
”理性的なものは現実的なものであり。現実的なものは理性的なものである。”
この言葉は「理想」は「現実」になるために存在しているし、「現実」は「理想」になるために存在している、だから大切なのは「理想」と「現実」のどちらを重視するのかではなく、「理想」と「現実」を近づける努力をする事だ。
という意味が込められています。
理想なき現実に未来はないし、現実なき理想にも未来はありません。
だから「自分のやりたい事」は確かに必ずしも現実になるわけではないのですが、そうやって「夢」や「理想」を持たない限りは「夢」や「理想」を現実にする可能性は0です。そして「理想」なき「現実」に未来はありません。
スティーブ・ジョブズなんかは自分の「やりたい事」を仕事にして成功した人間の大きな例です。本人もこんな言葉を残されています。
”私は本当に好きなものしか続けられないと確信している。何を好きなのか探しなさい、あなたも仕事にも恋人にも。”
僕はこの言葉がとても好きです。
しかしながら、それとは反対に心理学的に考えると「自分のやりたい事」とはただの偶然でもあると捉えられます。
自分の「やりたい事」を心理学目線で見てみる
冒頭でもまひろ(筆者)は昔はミュージシャンになることが夢だったのですが、これって自分にとってそんなに優先することじゃないなって僕はある時思えたんですよね。
例えばYouTuberになりたいと言う人がいます。
確かにそれは素晴らしい夢だと思います。しかし、ここで考えてみてください、もしこの人がまだネットがなかった時代に生まれたとしたらこの人はYouTuberになりたいと思ったでしょうか?
例えばお笑い芸人になりたいという人がいます。
これも素晴らしい夢だと思うのですが、もしこの人がお笑いのない時代に生まれていたら、この人はお笑い芸人になりたいと思ったでしょうか?
例えばミュージシャンになりたいという人がいます。
確かにそれは素晴らしい夢だと思います。しかし、ここで考えてみてください、もしこの人がまだ音楽や娯楽のなかった時代に生まれていたとしたらこの人はミュージシャンになりたいと思ったでしょうか?
これで何が言いたいかと言うと
”「自分のやりたい事」というのは、自分が生まれた時代の情報や環境に影響されて、次第にその情報が自分の中で「夢」となっただけの相対なのではないか?”
ということです。
人間は普段からあらゆるものに影響を受けいきています。その最中で、自分が知っている範囲の狭い状況で相対的に決めたことだとも、心理学的に考えられます。
しかしそれに対して、それぞれの個人の「できる事」というものは絶対的なものです。
自分の「できる事」は絶対である
心理学の観点から見て、自分の「やりたい事」が”相対”だとするのなら
いつどこに生まれたとしても自分が「できる事」は”絶対”。
例えばまひろ(筆者)でいうなら、多分江戸時代に生まれていたらバンドマンになりたいなんて思わなかったのですが、僕が持っている「IQ140の思考力」や「人間という生き物への関心」というものは絶対に変わらない。
なぜならこれらは、まひろという人間が生まれながらに持った絶対的な「できる事」だからです。
だから自分の「やりたい事」は言ってしまえばたまたま自分が生まれた時代に飛び交っている情報にいつしか自分が影響されて、その時代の情報という掌の上で踊らされているだけとも言えます。
逆に、自分の「できる事」は自分がどこに言ってもいつになっても変わらない絶対的なものです。
これは深い意味はなく、あくまでこういう捉え方もできるという話。
「やりたい事」と「できる事」に優劣はない、大切な事は自分の決断を全力で楽しむ事だ
という感じで、こうして結果的にいろんな角度や視点から、捉え方や見方を変えてクリティカルシンキングをしてみても「やりたい事」と「できる事」の良い面と悪い面は同じぐらい存在しています。
それはなぜかというと、この世に存在している全ての物事にはメリットとデメリットが共存しているから。
全ての物事にはメリットもデメリットも必ず存在しています。だからどちらの方が必ず優れていて劣っているなんて事はないです。だから重要なのは、こうやってそれらのメリットやデメリットを把握した上で自分が何を選択するか。
そしてここまで話してきて一番最後に言う様なことでもないですが、結局自分が「やりたい事」と「できる事」のどちらかを選択したにしろ、別にどちらを選択するかどうかは重要なことではないです。なぜなら「やりたい事」と「できる事」に優劣はないのですから。
じゃあ本当に一番忘れてはならない事は何か言うと
それは
自分が下した決断に自信を持ち
そして自分の選択した人生を誰よりも楽しもうと全力で努力する事
人間は何も辛い事や苦しい事を体験するために生きているわけではない。それぞれの人生に、各々が持つ「楽しみ」や「面白さ」を体験して「生きてて楽しいな、幸せだな」と思うために皆生きているのですから、結局は自分が何をやろうが何を選択しようが関係ないんですよ。
大切なのは、そこにあなたが人生を楽しくしようとする姿勢があるかどうかなのですから。
だから、この記事を読んでくださったあなたが例え「やりたい事」と「できる事」のどちらの道に進むかを選択したとしても、「人生を楽しむ努力」をすることを忘れないですください。
そうすれば、どちらの道を取ってもあなたは必ず幸せになれます。
個人的な「やりたい事」と「できる事」の折り合いのつけ方
まあしかし、「やりたい事」と「できる事」のどちらを選ぶか、これに関しては今この記事を読んでくださっているあなた自身が決める事であって、まひろがあーだこーだ言うことではないと思うので、ここまで話してきた事実を含め、ご自身でじっくり考えてみてください。
ちなみに、個人的なまひろは自分の「やりたい事」と「できる事」をどの様にして折り合いをつけているのかというと、確かに「やりたい事」と「できる事」に優劣はないのだけれども、順序はあるだろうなと考えています。
もうこれに関しては個人的な意見なので、読者の皆様も聞き流してくださる程度で良いのですが、多くの人っていきなり自分の「やりたい事」からやろうとしますよね。
俺は「ミュージシャンになるんだ!だから曲を作る!」「ゲーム実況YouTuberになりたいからゲームを配信するんだ!」みたいに。
でも個人的にはもっと上手くできるよねと思っていて。
僕は「自分のできる事」をして地に足がついてきたら、その余裕を使って「自分のやりたい事」を存分にすれば良いと考えています。要するに現実を未来に投資するんですよ。
まあどうせこの世界ではお金を稼がないと生きていけないですから、結局自分の「やりたい事」を取ろうが「できる事」を取ろうが、「やるべき事」は必ず存在します。
だったら、自分の「できる事」を「やるべき事」に当てると、もっと上手に人生は遅れるんじゃないかな?って僕は思います。
だからまずは、その自分の「できる事」をどこでどのようにすれば最大限に「やるべき事」に使えるかということを考える。
「やりたい事」はその後に気が済むまで楽しめば良いと思います。
そしてこの記事でも書いているのですが、僕はそうやって自分のできることを選んで、それが時間をかけて自分にとって誇れるものになっていくことを僕は知っています。
それも僕はとても素敵な人生のあり方だと思っています。
だから個人的な見解は、まずは「自分のできる事」をやる。それで余裕ができたらそれを使って「自分のやりたい事」を思う存分する。
そして何よりも、そんな自分が選択した人生、他の誰でもない「自分自身」がいかに面白くなるように努力をするか、と言うことは日々心がけています。
本日の雑談「最近幽霊に殺されかけました。」
先日、僕が車を出して友達と大阪に行っていたんですよ。
僕の友達って結構夜行性の人が多くて、遊ぶ時も大体昼の3時からとかでそっから夜通し遊ぶみたいなことが多いのですが、最近は緊急事態宣言が出てるのもあって、もう夜遅くになっても店という店が開いていないんですよね。
だからその日は僕が車を出して「ドライブでも行こか」って言っていたのですが、天気はあいにくの雨で、景色もどんよりしているし、夜景も雨で見えないし、僕達は何をしようか迷っていました。
すると友達の一人が
「心霊スポット行こうよ!今日雨で雰囲気もええし。」
と言って、結局その夜は心霊スポットを巡ることになりました。
僕自身、自分で言うのもなんですが霊感が全くないのと、幽霊や暗闇に対しては全く恐怖心や不安がなく、むしろ幽霊に関してはいるなら会いたいぐらいで結構そういう心霊系にオープンな性格です。
そういう心霊スポットとかお化け屋敷に行くと毎回友達を脅かしたり、一人で暗闇の奥まで走って行って幽霊に取り憑かれた人の真似をしたり割とふざけることが多く。
だから「幽霊は怯えている人にとりつき易い」なんて言葉がある様に、まひろ(筆者)自身は取り憑かれた事もなければ幽霊と出会えた事すらないのです。
なんか昔、自称霊感のある友達が「ここは毎回マジで出るから気をつけて」と言ったところに一緒に行ってみると毎回出るはずが出なかくて「いや、なんやねんここ。ただの暗めの空き家やんけ」みたいなことが多々あるぐらいに、僕は霊感が疎いのです。
だからその日も、結果から言えば廃工場とか3件くらい回ったのですがまっっっっったく何もありませんでした。
でもね、なんかその次の日に車に乗ってると
「タイヤの空気減ってるわ。」
と思って、なんかタイヤの空気が少ないんですよね。いつもよりボヨボヨすると言うか。
「まあでも大丈夫か」
と思って次のある日も、また友達を乗せて普通に高速道路とか乗ったり、結構狭い山道走ったり、車通りの多い大阪とかいつもの様にドライブをしたりして。
まあでも、もう流石に空気減ってるし、それでもうまさに最近「タイヤの空気入れに行くか」とガソリンスタンドに行ってきたんですよ。
すると店員さんが
「お客さん、タイヤにネジが刺さってパンクしてますよ。」
って。
「え?」
と思って話しを聞くと
「危なかったですね。劣化してて結構亀裂も入ってるんでバーストしてたかもしれませんでしたね。」
※バースト…タイヤが破裂して、ホイールが丸出しになること。
(あ、だからなんか変やったんや。もし高速道路とか細い崖とか交通量の多い大阪でバーストしてたら俺死んどったかもしれへんかったな。良かった〜事前に見つかって。)
とひと安心した僕は
「あ、ほんまですか。パンクしてたんですね、いやバーストしなくて良かったです〜。」
って普通に答えたのですが。
いや、よう考えたらそのネジ絶対この前行った廃工場のせいやん。普通に「なんもなかったわ〜」とか言ったり、次の日高速道路とか細い崖道とか行っていたけど。
いや俺って〜霊感なくて〜、全然心霊スポットとか怖くないし〜むしろふざけちゃいますね。まじ幽霊に会いたいっすわ〜とか言ってましたけど。
いやよう考えたら知らんうちに俺わけのわからん工場の幽霊に殺されかけてるやん。
ってことが最近あってね、なんかよう考えたらめちゃくちゃ腹立ってきて。
今度工場の幽霊に絶対タイヤ代6千円請求しに行こうと心に誓いましたね。
次回:続「タイヤをパンクさせてきた幽霊に6千円請求したら殺されかけました。」
それでは、あなたの人生がより豊かになるようにまひろは心のそこから応援しています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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