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消雲堂自分史 阿武隈川

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駄目な人間の私が、どうやって生きてきたのかを再確認するマガジンです。自分のためのものですが、興味のある方はどうぞご覧下さい。
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2021年1月の記事一覧

「猪苗代湖」

「猪苗代湖」

高校時代の夏休み。福島県耶麻郡猪苗代町。

薄暗くなった夕方に猪苗代湖畔の砂浜を散歩していると、吐き気を催すほどの匂いが漂ってきた。魚でも死んで腐敗しているんだろう?と骨が見えるほどに腐った魚の死骸をイメージしながら、そのまま歩き続けると、背の高い葦原の中に黒くて大きな土盛りのようなモノが見えた。訝しながら近づいてみると、土盛りと見えたモノは大きな馬の死骸だった。大きな体の向こう側に首があるのか、

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上海くん

上海くん

僕が出版社で働いていたときのことだ。記者のなかにずば抜けた理解力と文章力を持ったIという男がいた。当時ほとんどが40歳以上のロートル社員の中にあって彼は20代後半だったから随分と若々しく見えた。

Iは石川県出身で、早稲田大学を卒業したあと五反田にある家電や電気関係に老舗新聞社であるD新聞に勤めた。D新聞社と言えば、業界では一流紙なのだが、彼はおべっかばかりの広告狙いの単純な仕事内容に飽きて、数年

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死に逝く者「煙草」

死に逝く者「煙草」

写真は我が母、我が妻、痩せている僕であります。

社会が嫌煙に流れる中で、映画やドラマを観ると、その内容に必要もないのにタバコを吸うシーンがあってイヤになります。何だか感染に効力がないとして「マスクをしない」方々の困った思考に似たイメージがあります。

2014年11月26日「破滅派」に投稿。

僕は18歳から40歳ぐらいまでタバコを吸って(ふかして)いました。当時勤めていた出版社では男性社員の多

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勧誘撃退記

勧誘撃退記

2014年6月10日、オンライン文芸誌「破滅派」に投降

その昔・・・僕が25歳の頃、池袋のデパートに勤めていた頃の話です。

埼玉に住む仕事の同僚M君が「自宅でパーティをしますからぜひ来て下さい」と言うので出かけていきました。“パーティ?”という言葉に吹き出してしまった。まだセレブなんて偽者が現れていなかった当時の日本で、パーティなんていうのは政治家ぐらいでした。でも暇だし面白そうだから出かけて

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死に逝く者「手紙」

死に逝く者「手紙」

以前勤めていた会社の元上司Mから送られた手紙を水道橋の神田川に捨てたことを思い出した。妻が乳がんの摘出手術をする前のことだった。手紙の主であるMは、僕が所属する業界新聞の副編集長だったが、大阪生まれなのに要領の悪い人で、定年過ぎまで長く会社に勤めた後に肺がんを患い、埼玉県にあるがん病院に長く入院した後、あっけなく死んでしまった。

そのMが肺がんで入院したと聞いたが僕は見舞いに行かなかった。当時、

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懐かしい女性(ひと)

懐かしい女性(ひと)

昔、ロックなんかよく知らないくせにロックのCDを購入する日記のようなブログを書いていたら、いろいろな方々からコメントがあり、返事をしているうちにコメント交流するようになった。

なかには僕が音楽関係者と勘違いした海外からの問い合わせや制作者からの売り込みもあった。もの凄い勘違いで、僕は音楽とは関係のない、しがない普通の会社員であるから「とりあえずブログで紹介するから見本盤送ってくれ」なんて翻訳サイ

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福谷たかしさんのこと(写真追加版)

福谷たかしさんのこと(写真追加版)

昭和54年(1979)に、僕は漫画専門誌「ぱふ(前身だっくす)」(*)と「ガロ」に、漫画のようなモノを高野聖(たかのひじり)というペンネームで投稿していました。4作描いて、うち1つを「ガロ」に、2つを「ぱふ」に投稿、残りの1つは未投稿という状態でした。結果は、ガロ投稿作は、そのまま返送されてきたので、腹が立って破り捨てました。ぱふ投稿作の方は、2つともに選外佳作となりました。

*1974年に清彗

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少しでも長生きするために想定外をなくす

少しでも長生きするために想定外をなくす

漫画家の梅熊さんが、僕の「餅を切って雑煮に入れている」つぶやきを紹介してくれました。ありがとうございます。

一昨年のことですが、50%オフの大きな輸入牛肉をスーパーから買ってきまして、バカだからそれをそのまま焼いて、3~5センチ角ほどに大きく切り分けて、モグモグと食べ始めたんですよ。50代までなら、よく噛んで口中で破砕せずに…なんてことをしなくてもゴックンと飲み込めたんですが、このときは油断して

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