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アンビバレンス

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どんな形容詞も邪魔だ。
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#小説

騙されてもいいや

二人で夜道を歩いていた。まんまるの満月は妙に紅く染まっていて、ドラキュラが出てきてもおかしくなかった。

きっと愛し合っていたにも関わらず、私たちは手を繋ぐでもなくキスするでもなく、お互いが以前した男とのセックスの話をしていた。

内に秘めたもので噛み付く牙を私は彼女に対して押しとどめていて、それどころかすっかり神聖な気分にさせられていた。その頃には私は好きな相手の体験談に血迷った嫉妬を禁

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清朝(成鳥)

固まった使用済みコンタクトレンズを蛇口に貼り付ける不躾さを自身に恥じるほど、彼女との生活は懐かしく馴染み、それでいて規律正しく機能していた。

洗面所を出ると、彼女が並べた机の上に寝袋を敷いて眠っている。効き過ぎた冷房を気遣って深夜に彼女の生脚にパーカーをかけたのだが、それは肌けて床に落ちている。

奇妙な寝床だった。無償で泊めてくれるキリスト協会の一室には、小学生用の机が無造作に並べられ

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一生友達。

二日間も禁酒続かなかったと照れまじれに嘆く友人は、ミルク多めのアマレットミルクを口に含む。
偶にはオシャレなバーに行きたい大学生後半戦。とはいえ醒めない酔いに屈して、未知のウイスキー等に挑戦するガッツはなかった。

キャンドルの素敵な窓側の席だからいつもの学生街が少しだけ大人びて見える、なんて魔法はかからない。

セックスとか生理とか、雰囲気に削ぐわない言葉が並んでいる気がするけど大丈夫

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マトリョーシカ

「ねえかあちゃん、星が光っているよ」
キツネのぼうやは言いました。

「そうだなあ。ぼうは、一番星を見つけるのが得意だね」

その調子でウサギをとっ捕まえるのも早いといいんだけどね、と母ギツネは皮肉を言うのも忘れませんでした。

群青色の空に、ぼうっと一番星が浮かんでいました。

だんだんと、他の星々も見えてきました。
半透明の糸で、星々が神や動物の姿を映し出します。

「ほら

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降雹

あいちゃんさっき大人のひとに足ふまれたの、そうなんかぁちゃんと謝ってくれたか、うんゴメンって言いながら足ふんだのそのひと、そうかゴメンって言ってたなら仕方ねえなあ、という電車内優先席の祖父と女の子の会話を聞く。

ごめんとリピートして許される世の中なら、私はあのときあの人をあんなに怒らせることはなかったのに、といつでも回想できてしまうあたり私はまだまだ過去を別モノに消化/昇華させることができな

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ただいま。

君のことを考えるなというのは、自分で自分の心臓を引きちぎれと言われているのと同じだ。死刑宣告だ。いっそ単細胞生物にしてくれたら、気が楽だ。

好き嫌いというワガママを言えなくなるくらい、知らぬ間に感情を超えていた。そこでは私は存在しなくなったみたい。私は宇宙に進化した。君を求めてしまうのは引力であり宿命であり自然なことだから、人間が語る理性はとっくに放棄されている。小賢しさなんて屑だ。

好きだ愛

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パエリアのためには

パエリアのためには

パリで出されたフランスパンやらコーヒーの少なくとも三倍の量はある食べ物を、途方に暮れながら凝視した。

スペインの首都マドリッドからホステル到着後、とにかく米を欲してレストランに入った結果だ。
美味そうなパエリアの写真を見つけ、格式張っていない入り口の木製扉を開けると、近所の中年男女が酒盛りをしていた。その辺のカウンター席に押しやられるのかと思いきや、髪を撫で付けた洒落たウエイターに案内され

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忠犬が病気だとしても

忠犬が病気だとしても

なぜ書くのかと問われれば、心を支配することがそれしかないから、と答えるほかない。
なぜ書かないのかと問われれば、それを書くだけの適切な言葉を見つけるのは困難で、そもそも値する言葉が世の中に漂っているとも思えないからだ、と言うだろう。

その日の待ち合わせも、渋谷だった。
狭く曇った空から儚げな太陽光が挨拶をする。スクランブル交差点に歪んだ列を作った人々は青になると無言ですれ違い、ア

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好きなだけ。

私の弱点は、君です。
病だと思っております。自覚はあるんです、ずっと前から自覚はあるんですよ、誰に言われなくたって。

君と会って別れた後が一番、喪失感に襲われて、私は虚無なのだと知るのです。自分には何もないと思い知り、今の時間は何だったのだろうと、何も握れなかった手にせめて幻影ならば残っていまいかと、じっと自分を顧みるのですけれど、やっぱり私は空っぽのままです。振り返っても改札に君の姿があ

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もう告白なんてしないよ

哀しいとか悔しいとか嫌だとか不快というわけではなくて、地中を飛行している気分だったんだ。どうしようもなく苦しく不甲斐ない。迷宮であることこそ正解で、言葉の誕生以前の、空間にも為れない、そうした場所に私は放り出されたようで。なんて言ったら、論理的な君は汚物を飲み込んだようなカカオ1000%の顔をするんだろうね、そんなことはわかってますよ。それでも好きだという逆説を私は宝物にしていたかった。地球に酸素

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サングリアに沈む果物が欲しいならご自由にどうぞ。

サングリアに沈む果物が欲しいならご自由にどうぞ。

あまりに穏やかに会話が弾んでしまうから、自分史上最高の孤独を伝えようもなかった。今後告げることもないだろう。

東京に住んだ二年間、バーカウンターで泣きじゃくった晩もあったような。粗大ゴミの方が余程ましだったろう。

数ヶ月の間であったが、自分がバーテンダー側に立って、客の色々な光景を目にした。
昨晩見たカップルは別れ話をしているようだった。割り勘した後、不自然極まりない距離をあけてその男女

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愛が旅であるから

愛が旅であるから

東京なのか神奈川なのかわからないな、と二年前にセンター直前対策で塾へ通っていた当時も思っていた。蒲田は、東京都大田区であるらしい。駅で降り立ったときの、鋭い曲線を描くモニュメントと思わず入り浸りたくなる商店街は、見覚えがあった。忙しい受験生の記憶にも残っていたのだ。

もつ刺しが人気の居酒屋で女子大生らしき人物が一人で生ビールとポテサラしか頼まない光景は、滑舌が悪いといちいち叱られている新人店員に

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優しささえも欲しくないんだと言ってサークルを全て辞める僕に、辞めても関係は断てないよと言う彼女は、好きだからこそ距離が欲しいと僕が言い出したら何て返すのだろう。

#小説 #エッセイ

貴女からの贈り物

貴女からの贈り物

よく実った良質のコーヒー豆を二年以上自然乾燥させ、熟成させたオリジナルのブレンドコーヒーを使用しております、と、和紙に似た質感の、茶色い紙に書かれている。トラファルガー色に一滴、ベージュを垂らしたような、落ち着いた茶色だ。つまり、死を告げるような冬の落ち葉色よりは、ずっと明るく穏やかだ。

その上質さ満点の説明文をひっくり返すと、そちらの面は伝票になっていた。カレーセット、コーヒーは食後、トータル

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