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サングリアに沈む果物が欲しいならご自由にどうぞ。

あまりに穏やかに会話が弾んでしまうから、自分史上最高の孤独を伝えようもなかった。今後告げることもないだろう。

東京に住んだ二年間、バーカウンターで泣きじゃくった晩もあったような。粗大ゴミの方が余程ましだったろう。

数ヶ月の間であったが、自分がバーテンダー側に立って、客の色々な光景を目にした。
昨晩見たカップルは別れ話をしているようだった。割り勘した後、不自然極まりない距離をあけてその男女は店を後にした。私に親しみを寄せてくれている副店長は笑いを噛み殺しながら言った。
ウチ、別れ話に使われること割とあるんだよ。以前来たカップルは男のコが先に帰っちゃって、残された女のコがヤケ酒し始めたの、独りで。どんな顔して接客すればいいかわからないよねえ。

バーは私にとってどうしようもなく特別で、かつ自然な居場所だった。カクテルを飲んだ料金は飲食費や交遊費ではなく、「旅行費」としてカウントするくらいには、バーと酒は旅そのものだった。

好きな人が好きだと言っていたカクテル、隣り合って座った席、煙草の気配、煌るグラス、どれをとっても、どうしようもなく泣きたくなるけれどアルコールと一緒に苦く甘く虚しく、時々むせ返る心地になりながらも飲み込んだ、記憶は一瞬で胎内と同化しやがて分化して尿として排出されるべきだった。
行きつけのバーなんて出来なければ、バーでバイトなんてしなければ、好きな人と一緒に飲みに行かなければ、こんなにただのリキュール相手に悶えることはなかったのに。

バーテンダーが客をナンパすることもあれば、逆もあった。

私が自分のバイト先のバーに好きな人と行ったとき、同期のバイト男性が私の好きな人に惹かれたらしかった。ドリンクをオーダーして会計するだけの、いつもなら十秒で終わる過程が一分にも及んで、私は大変もどかしかった。

身体的に同性であるその「友人」が私にとって「好きな人」であることはバー内の誰一人想像し得ないから、店長はバイト男性を揶揄って、ホラァちゃんと仕事しないとあの娘に言っちゃうぞ、とか私の好きな人の名前を出して言っていた。
私は「友人」がネタになる状況を楽しみつつも、自分の「好きな人」であるのに同期のバイト男性に狙われるのが我慢ならなくて、心は彷徨っていた。バイト終了後に飲む強めのカクテルをバイト中に決めて、飲めば救われるように勘違いしておく必要があった。


あるとき、私にとって大切すぎて恋愛感情と錯覚しかねないほど好きな女友達に、男女関係でトラブルがあったことを知った。
知ったのはバーの五分休憩中だったが、後半はもう魂が奪われたようにその友人ばかり気になって、バイト終了後にその店で一番強い70度のカクテルを一気飲みした。いつか飲もうと思っていたその強烈なカクテルを終電間近に一気飲みできるなら今しかねえ、とわかったからだ。翌朝まで気持ち悪かった。

けれどももっと気色悪かったのは、友人の一人に過ぎないその女友達に固執し過ぎている私自身であるのは明白だった。
ちょっと酔った振りをして、私は女友達に一気に伝えた。出会ってからほぼ二年、私は聞き役ばかりで自分の気持ちを相手に伝えてこなかったことに今更ながら気づいた。

どうしようもなく多分好きで好きで、「好きな人」とも違うベクトルというか世界で好きで、なんだかわけわからないけど好きなんだ。恋愛じゃないしこれが感情なのかもわからないしわかりたくもないけど。もし幸せになれるなら第三者の自分は何も口出しすることはないけれど、君を傷つける人間がいるなら殺してやるといつもどこかで思っていて、いや思うとか考えるとか動詞の入る隙がないくらいそういうのは自然なことだった。



東京の一角は、終わることのない旅だ。常に既に、これからも。

#小説 #短編小説 #エッセイ #東京



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