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愛が旅であるから

東京なのか神奈川なのかわからないな、と二年前にセンター直前対策で塾へ通っていた当時も思っていた。蒲田は、東京都大田区であるらしい。駅で降り立ったときの、鋭い曲線を描くモニュメントと思わず入り浸りたくなる商店街は、見覚えがあった。忙しい受験生の記憶にも残っていたのだ。

もつ刺しが人気の居酒屋で女子大生らしき人物が一人で生ビールとポテサラしか頼まない光景は、滑舌が悪いといちいち叱られている新人店員にとっても、わからないなと思う光景かもしれないが、今日も一人~と甲高い女声で流れる歌謡曲にはマッチしている。

私は、イベントを抜け出してきた。逃げてきた、のかもしれない。大好きなはずの旅に関するイベントだというのに、その場にいられなくなった。それがこの東京の果ての見知らぬ居酒屋で一人で飲む理由にはならないけれど、先程のイベントよりは自分の居場所だという気がする。肉屋のポテサラというだけあって、砕かれた肉の破片が散らばり、それだけで食べ応えがある。一口一口がほろりと、あたたかい。

ビールの泡が消えていく。じっと見る。私は一人になりたかった。なんだか訳がわからない。好きなのに、側にいられない。好きだからこそ、距離が欲しい。
旅に抱く想いと好きな人に抱く想いは内臓の中で掻き回されたようで、とにかく、苦しく、どこか此処ではない場所に行かなければならないと脅迫された心地になった。

旅の魅力を語る人たちは眩しかった。イベントは素晴らしかった。私は失明してしまう。目を閉じてさえも残像が残る、眩い光だ。どうしてだろう、旅のわくわくを語ることなら私だって負けないはずなのに、どうして、こうも。

もしかしたら、旅の捉え方が私とプレゼンテーターとは異なるからかもしれない。彼らは日常があって、それを輝かせるために旅がある、という言い方をする。帰る場所がある。それは日本であり実家であり自分自身である。

私は、どうだ。旅そのものを、生き様にしようとしている。一定期間の旅行ではなく、国籍も家族も性別も振り捨てて、ノマドな生き方を望んでいる。この身体はいらない。名前も名誉も欲しくない、それは鉛の鎖だ。人によってはダイヤモンドの輝きだが、私にとっては泥沼に沈められるほどの息苦しさだ。
愛し方だってそうなのだ。流動的で、いつ消えるかわからない。バイセクシャルかつデミセクシャルかつリスセクシャルかつポリアモリーでXジェンダー?まだ、あるのか。
そうした性質も流動的で予測不可能だ。永遠の愛の誓いをすることはできない。そんな、嘘。今を精一杯生きて踠いて気持ちを伝える、それ以上のことは望めない。

旅に出て、その後何をしたいのか。そんなこと、わからない。たった今、呼吸をするので精一杯なのに。将来のビジョン、稼ぎ、パートナー、わかるはずないことを、正々堂々言い切る自信がなくなった。

今浮かぶ人との関係を、どうしていけばいいのかもわからない。今以上に親しくなって、どうしたいというのだろう。終着地点も帰る場所もないではないか。けれど現在地点からも離れたいのだから、安住は永遠にない。闇雲に彷徨うだけだ。我武者羅に振舞って、傷ついて。

ああ、ただ一言好きだと伝えて、それでそばにいることができたら、我が物顔で魅力を語ることができたら、どれだけ楽で幸せなのだろう。

居酒屋でキレイなままの取り皿を残し、会計を済ませた。ドアを丁寧に開けてお見送りしていただく。
すると、寒いのでどうぞ、と言って店員さんが真っ白なカイロを手渡してくれた。
次の路地裏で徐々に暖まるカイロを見てみると、奇妙なイラストが描かれていた。ヤメ?あ、カメか。思わず声が出る。

彼女が側にいたら、こんなシュールな遊びをさらりとやってのけて、私を意図せず笑わせるだろう。私はまだまだ弱く、くだらない。すぐに彼女に縋り付きたくなる。
けれどそれでも、二年前に蒲田駅に降り立ったときよりは、広く深く、旅できる人になったと信じたい。カイロは、冷えて灰色に固まるまで私の手に握られていた。

#小説 #エッセイ #短編 #旅 #セクシュアリティ

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