降雹

あいちゃんさっき大人のひとに足ふまれたの、そうなんかぁちゃんと謝ってくれたか、うんゴメンって言いながら足ふんだのそのひと、そうかゴメンって言ってたなら仕方ねえなあ、という電車内優先席の祖父と女の子の会話を聞く。

ごめんとリピートして許される世の中なら、私はあのときあの人をあんなに怒らせることはなかったのに、といつでも回想できてしまうあたり私はまだまだ過去を別モノに消化/昇華させることができない。

一瞬で雪崩れてきた言葉や情景をすぐに書き留めなければ一分後にはドライアイス以上に鮮やかに姿が消えちゃうので、儚さに悔やみ慣れてきた私は人との会話より優先してそれらを書き留めなければならないし、そうする作業で大忙しなのだった。

私が自身のインスピレーションを相手にしている間に、その一瞬に例えば家族が死んでしまったら私はそのときを神聖視してあああのときの行動を、なんて後悔するのだろうかいや後悔しないだろう、所詮他人事なのだし、私は私の言葉や情景を抱きしめるべきだろう。けれども。

その一回性や刹那的なものをあたためるのはあくまでも自分の中だけにしなければならなかったのだ。なぜって人はそれぞれ違うから。言葉の幻想垂れ流しにするには目の前に他者を必要としちゃあいけなかったのだ。

一分後の自分ですら忘れている言葉たちをリアルタイムで他者に曝け出すことが可能なのは女子高生の駅ホームでの愚痴大会くらいで。それかせいぜい数ヶ月語には非表示にしている新歓期の莫大な混乱状態のLINE交換とか。一瞬の感情で笑ったり怒ったりできれば成功だ。

それを、その嘘で成り立つコミュニケーションを、長く続く日常に持ち込むのは空港に麻薬を持ち込むのとも比べ物にならないくらいしてはならないことで、弟の彼女を寝とるくらいタブーだった。Twitterでさえスクショされて七十五日ほど見世物になる宿命にある。幻滅させられる覚悟がなければ好きと送信することは許されないのだ。

いつ死ぬかわからないからこそ今すぐに発進したいし、いつまでも愛を謳っていたいから焦らして惹きつけなきゃならない。どっちを取っても悔やまないことはないくらい、君の存在は私にとって私そのものに成り替わるまでに大きくて、私は疼いてぶっ壊れそうだった、ただそんな事実が石化したとは言いたくないけれども。


#小説 #エッセイ

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