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ものがたり

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#小説

きみとぼくの親愛なるきみへ

きみとぼくの親愛なるきみへ

 あれは確か、夏がもうすぐそこまで迫っている中途半端に強い光の溢れる頃だった。まだ高校生だった僕らが、退屈な授業と毎日の部活動と、たまに現れるいざこざや恋なんかに一喜一憂して、同じ格好に身を包みながら同じリズムを繰り返している頃。君はいつも窓辺の席で、黄色いスニーカーを履いた足を緩く伸ばしてはぼんやりと外を見ていた。地味な制服には不釣り合いに鮮やかな黄色。少し癖のある髪が風に揺れて、眠そうな横顔を

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たわむれ

たわむれ

僕はどうして人間なんだろうと考えたことがあるか。
世界はどうして透明なんだろうと考えたことが。
或いは空の色を移したバターの味だとか、それらがトーストの上で溶けていく速度について。
愚かな君と僕の300日後については後で話そう。あっという間の50日を突破して、残りの15日は誰かにあげる計画でもいいな。

夕焼けの燃える世界の意味は。月がわざわざ満ち欠けをして、星がその遺影を夜に残し続けていく意味は

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珊瑚

珊瑚

好きになった人には、既に妻と呼ばれる人がいた。

たったそれだけの事実が、ただひとつだけの真実だ。誰かを好きになってこんなにも悔しい気持ちになるだなんて、数年前の自分にはたぶん分からなかったことだろう。私は大人になったのだ。大人になってしまったからこそ、この気持ちが分かるようになった。

「好き」だけじゃどうにもならない恋がある。

大人と呼ばれる年齢になってから、それを痛いくらいに感じてきた。昔

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反対車線の誰そ彼

反対車線の誰そ彼

 夕暮れ。小さな頃お祭りでねだったわたあめみたいな、ちょっとの嘘が見え隠れする桃色の雲が二つ三つ、並んで浮かんでいる。
 今日はそんなに良いことのない一日だった。
 正しく言えば大抵の日は、そんなに良いことなんてない一日だ。

 濃紺の制服を纏って、少女たちがきらきらと笑いながら素足を夕暮れにさらし駅のホームへ駆けてくる。とうの昔にその色を脱いだわたしの足は、薄くてまるで意味のないようなストッキン

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驟雨前

驟雨前

 雨の匂いがする。
 アスファルトの上で行儀よく手を揃えた猫が、薄桃色の鼻の頭を空に向けて目を細めていた。わたしも同じように空を仰いで、目を細めてみる。雨の匂いと、生ぬるい風。角が取れてまるくなった風はどんなに吹いても痛くはなくて、けれどその柔い肌触りが無性に心を引き攣らせた。火傷の痕を指で撫でたときみたいに、痛そうなのに、痛くはないんだという発見はもう何度目かのものだと思う。
「楓?」
 バカみ

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有象無象

有象無象

世界なんてものはひどく退屈で曖昧で、分かりやすい絶望も希望もあったもんじゃない不幸に満ち満ちている。日本人には不似合いな金髪に染めあげた髪は人形のそれみたいに感情を持たず、ツクリモノみたいなその温度はほんの少しだけ僕を救う。やわらかな黒髪なんてのは、きっと僕ら人間の最大の罪。

どこに行けるわけでもないのに、既に一日を終えようとしている街に出た。人生の何千分何万分の一の今日をどうにかして引き伸ばし

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vanilla

vanilla

黒い影が僕らを呑んだ。絶望とも恐怖ともつかないそれは単なる不安とも異なって、僕らから声を奪った。

誰のことももう信じられないと思いながら生きていた君に、僕があげられたものは一体何だったのだろう。それから、本当はあげるべきだったものは、一体何だった?

トーストの焼ける匂い。珈琲にミルクが溶けていく渦巻き。冷蔵庫でちょっと硬くなってしまったゼリーみたいな安物のジャム。

本当はそんな小さな、何てこ

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スロウ

スロウ

夜の匂いを吸い込みながら、腕時計の秒針と心音の類似性について考えていた。
眼帯でふさがれた片方の目は、真白なものを見ているはずなのに何にも見えない。清潔なシーツと、新品のガーゼに包帯。ぴんとしたものを身につけると、ほんの少しの自尊心をくすぐられるから不思議だ。
新しいパジャマを着ると違った自分になれたみたいな気持ちになる。知らないベッドで、真新しいパジャマに袖を通す瞬間。それが一番きれいな自分で居

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白昼夢

白昼夢

もう二度と会えない人がいる。
いつか交わした言葉を思い出せずにいたわたしの夢の中で、彼女が手を振ってこういった。「うそつき」。笑っていたようにも思うし、怒っていたようにも思う。わたしは彼女に何か嘘を吐いていたんだっけ。思い出そうにも、今となってはもう白い薄靄のかかった記憶ばかりが浮かぶ。

彼女のことを、忘れかけている。
最後に会ったときの彼女はどことなく疲れているようだった。昔からそんな感じの、

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05

05

 雑踏に嫌気がさして少しだけ厭世的な気分になったら、ここに来る。決めていたわけじゃないけれどいつの間にか、ある種のルーティンやおまじないのように、僕は「05」と書かれた小汚いビルの屋上に足を運ぶようになっていた。5という数字は好きだ。ぴかぴかのビルじゃない辺りもまた、僕にとっては都合が良く思えた。美人が苦手なのと一緒で、綺麗すぎるビルなんてものもあまり得意じゃない。パーカーやスニーカーが似合うくら

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残照、残影

残照、残影

 誰も居ない教室で、机に頬を引っ付けて窓の外を見ていた。木々に遮られる視界の向こうにプールが見える。ピッという耳につく笛の音、バシャバシャと水を打つ小麦色は簡単に想像がつく。グラウンドからは野球部の掛け声が微かに届き、どこかで練習しているらしい吹奏楽部の間抜けなスケールは時折止まりながら中庭や駐輪場に響いている。
 すっかり着慣れた制服は、今となっては自分のキャラクターに一番合った着こなしというも

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うららかな、台風の昼下がり。

うららかな、台風の昼下がり。

ベランダからぼんやりと、薄い曇天の空を見上げて煙草に火を点けた。流れていく銀色の空、鉛色の雲はぐんぐんと進んでいく。ゆっくりと煙を肺まで吸い込むと、なんだか子宮にまで流れてきそうな気分になる。無意識に腹式呼吸をしてしまうのは、うら若き青春時代の呪いだ。

雲が渦を巻くようにして流れていく。形を変えて、細い線を編んだだけのか弱い形をひらひらとたなびかせているようにも見える。丸いのに強い風が、激しいの

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ハッピーエンド

ハッピーエンド

透明な蜻蛉を抱いて、笑う少女がいた。

夏の青い空に照らされて、地面から雨のにおいはすっかりと消えてしまったらしい。青い鳥を肩に乗せた少年は、仄暗いトンネルの向こうへどんどんと進んでいく。



ぎざぎざに割れた空き瓶の欠片で、僕たちは緑色の血液を作った。流し込む先には、もう既にきらきらした音が待っていると知っていた。

透明な蜻蛉は日向に揺れて、もう誰も笑ったりはしなくなるけれど。



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loop and,

loop and,

眩い朝だった。

或は、それは夜だったのかもしれない。

薄っすらと目を開けた僕の視界に、大きな影が揺れた。頬を撫でる風は確かに自然な不安定さを保ち、ここが外であるということを僕に知らせる。

淡い桃色の、綿菓子のような空が見えた。

確か、僕は一人で学校からの帰り道を歩いていたんだ。

いつも通りの見慣れた景色。すれ違う友人は、僕が住むアパートの4ヶ月分くらいの値段もするロードバイクにまたがって

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