反対車線の誰そ彼
夕暮れ。小さな頃お祭りでねだったわたあめみたいな、ちょっとの嘘が見え隠れする桃色の雲が二つ三つ、並んで浮かんでいる。
今日はそんなに良いことのない一日だった。
正しく言えば大抵の日は、そんなに良いことなんてない一日だ。
濃紺の制服を纏って、少女たちがきらきらと笑いながら素足を夕暮れにさらし駅のホームへ駆けてくる。とうの昔にその色を脱いだわたしの足は、薄くてまるで意味のないようなストッキングに包まれて佇む。あの頃には、ストッキングの存在理由なんてわからなかった。すぐに伝線して破けてしまう、大人たちを守る脆弱なうすい皮膚。風が繊維の隙間を縫って肌に触れる度、わたしは無表情のままで夜を想う。
何も恐れる必要のない少女たちは守られるべき存在で、何かを恐れてばかりいるわたしは、もうとっくに誰かを守る側に身を置いているはずだった。それなのにどうしても、わたしはわたしの人生の真ん中を見据えられないままでここにいる。さらに厄介なことに、生きていくということは、求めすぎなければ然程むずかしいことではないということにもわたしは気づき始めていた。
夏の匂いがする風は、梅雨を迎え入れるための甘い湿り気を帯びて黄昏時のホームを抜ける。まだ電車の熱を走らせない冷えた線路の上を、なまなましい風が優雅に走る。その誘惑をもろともせずに、寄り添いながら、少女たちは誰かの噂話に興じていた。少女たちの柔らかな髪がそよぐのを横目に見遣る。記憶の片隅の残像を思い起こすみたいに目を細めては、教室の窓辺から降り注ぐ陽光に透ける、うなじの産毛とブラウスを思い出した。
彼女たちはきれいだ。とても。ぷるりと潤む新緑みたいに、光を浴びて夏をきちんと待ちわびることができるのだから。
ふと目を向ける反対車線のホームには人影がない。この時間帯はいつも、こちら側のホームにばかり人が集まる。
古びたベンチ。似たようなデザインの地域診療所の看板。影がさす向こう側にこそ、わたしは身を置いておくべきなんじゃないのかとふと思う。どうしてこちら側にいるんだろう。わたしは、夏を歓ぶことなんてもう長い間できていないのに。
ふっと、少女たちの噂話が一瞬途切れた。それは日暮れを待つ空白のようでもあり、彼女たちが恋をするときの繊細なひとつの合意のようにも思えた。ホームに電車が入るというアナウンスがわたしたちの世界を覆う。オレンジ色に点滅する電光掲示板が注意を促す。少女たちはまた唇を開いて噂話を始める。
ざわめきが世界を動かす。夏が待っている匂いがする。
遠く、黄昏が夜を迎え入れようと動き始めていた。
電車がホームに入る直前に、わたしは反対車線に影を見た。
甘やかな黄昏の、桃色の記憶が揺れている。買ってもらったわたあめは、夏の暑さに負けてべたりと潰れて、あの頃のわたしの白い頬を汚したのだった。
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