![マガジンのカバー画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/49038418/7333b72e1e07841735e5b15a3ca8dc68.jpeg?width=800)
- 運営しているクリエイター
#エッセイ
空くらい見上げたらいいのだ
蒸発して水蒸気になった水が、
空へ還っていくように。
かたちのないものは皆、
空へ還っていくような気もする。
いつでもそこにあるのだから、
時々は、
空くらい見上げたらいいのだと思う。
自分もいつか、
かたちがなくなり
重さもなくなったらなら、
重力も働かないだろうから、
空へと還れるのかもしれない。
あんな美しい場所に
最期は還れるのなら、
なんて幸せなことだろう。
なんて救いのあること
書こうと思っていたのに忘れる(笑)
ま、待ってくれ!
びっくりしてしまう。
ついさっきまで「これについて書こう」と思っていたことがあったのに。
――忘れちゃったよ!!!(「これ」って何だったっけ!?笑)
そして以前にも同じようなことがあって、たぶんそれもまた、その後に思い出せてはいない。
まあ、忘れちゃうようなことだからいいのか?とも思うんだけど、それにしても、思い浮かんだそのことは、いったいどこへ消えてしまったんだろう?と、
「ニセモノ世界」と風通し
昨日の記事↓の、続きというか書き足しです。
ここからもう少しだけ続けてみたいと思うが。
「自分の感じているものが絶対」っていうのは、はっきりいって「ラク」だし「安心」なのである。
何故なら、「自分にはよくわからない感覚」というのは、不安をもたらすものでもあるから、である。
だからそのように「自分の感覚だけ信じろ」というのは、不安になりやすい人には良い側面もあるのかもしれない。
しかし、私個
「扱いづらいが鋭く尖ったもの」
「器用」になって、とりこぼしたものがある気がする。
鳥居みゆきさんって、自分、昔から何か好きなんだけど、
この文春のインタビュー記事がまたよかった。
一部抜粋↓
大人になるにつれて、自分の場合も、
「生きづらさ」は減ってきている、とは思う。
――それはそれで良いことなんだけれど。
「迎合上手」になる、つまり、
比較的何でも受け入れられるようになる、ということは、
確かにどこか「鈍く」なって
はじめから「批評目線」で見てしまう
「昔はその面白さが解らなかったのに、今は解るようになった」
みたいなことがあると、
自分は結構うれしかったりする。
が、しかし。
その反対もまたあるわけである。
つまり、
「昔は面白いと思えたものが、
今見返すと、面白いと思えない」
ということである。
そうなる理由は、いくつか、思い浮かぶものがある。
・他に比較対象に出来る作品を、それまでにたくさん知ってしまったから。
・例えば物語であれ