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「有限」実行

「不言実行」から「有言実行」ときて、
で、今度はまた、個人的に勝手に、
「『有限』実行」
なんて言葉を作ってみたんだが。
……ここまでくると元の言葉がなんだかわからなくなりますよね。(笑)

さて、そんな
「有限」実行とは?なのであるが、
(さて、何のつもりだ?って話なのであるが、笑)
一人の人間の持つ時間も体力も
絶対的に「有限である」ということを踏まえた上で、
何事も実行していきたいものだ、という
私の気持ちの表れです。――ただそれだけです。(笑)

「前借り」はできても、
それには「利息もついての返済」になって、
結局もったいないので、
あんまり無意識にホイホイしないほうがいいし、
だから「限界突破」とか無暗やたらとしないほうがいいよな~、
と、
個人的に最近思うようになった、
それをふまえて何事も動いている自分になった、
という話なのである。

「若い頃は無理も出来たのに」は、
なんとなーく、
「嘘」「勘違い」「思いこみ」
のような気すらする。

つまり、今振り返ると、ただ単に
「調子の波」を作ってしまっていただけ、という気もする。

睡眠時間を削った分は
必ずどこかでそのツケを払っていた気もするし、
(もしかしたら「今でも」その返済の途中かもしれない可能性も。)
もともと持っていない力は出せない……ハズなのに、
「持っていないと思いこんで気づいていないだけかも?」
と、「思い過ぎていた」きらいもある。
(「自分でも気づいていない力」――そういうこともあり得るし、
そう信じてやってみること自体を否定はしないのだが、しかし、
これだけ「自分の力」というものの限界を
欲張って目を凝らして見つめて探ってきた自分なのであるからして、
自分の場合はそうそうそんなこと起こり得ないよね?
なのにそればっかりになると何かしらの弊害も起きてくるんじゃない?
ということである。笑)

「無理」は、無駄な「波」を作り出してしまう。
――無論、「瞬発的に無理をする」みたいなことを
全否定はしないのであるが、しかし、
無駄に「波立てる」つまり「安定を壊す」ことになるよ?とは
自分で知っておきたいものである。
(「知ったその上でそうするなら結構」、ということである。)

歳をとって良いなと思うことは、
瞬発的な無理にも、
「イヤイヤイヤイヤ!ムリムリムリムリ!」
と、すぐに音を上げるようになったことである。(笑)

「私ができることは、たったこれだけだ」
「一日に与えられた時間も、たったこれだけだ」
そういう感覚でいたほうが、
「正確に」自分の力を使えて、且つ、
出しきれる気もまたするのである。