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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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#自分の機嫌は自分でとる

「楽しい」の花火は湿気っていたら打ちあがらない

「楽しい」の花火は湿気っていたら打ちあがらない

自分の事は
自分で責任もって
楽しくしていかないと
いけないのかもな。

せっかくの楽しい事ですらも、
自分で楽しもうとしていないと、
そんなに楽しくならない気がするし。

――自分は「楽しい」の感覚に主軸を置いた方がいいタイプの人間だ、という個人的な話。

「一切呪うな」「少しも憎むな」とまでは言えないが、でも、楽しみたい気持ちにそれらは邪魔になるので、(例えばそれが悪事に対してであっても)やっ

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自分でそうすると決めた自己犠牲以外は厳禁にした

自分でそうすると決めた自己犠牲以外は厳禁にした

てか、
「自分さえ我慢すれば」みたいなの、
客観的に見れば絶対、
そもそもあまりいいことではない。

少なくともそれは
「美談」じゃない。

自分の身は、
まず誰より
自分自身で守ろうとしなきゃ。

そして、
自分の「幸せ」もまた、
まず誰より
自分自身でつかもうとしなきゃ。
(それは我儘とは違う。)

(例えば
災害時なんかに言われることだが
「自分の身の安全の第一責任者は
自分自身である」

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ホントに損している?

ホントに損している?

うっかり人と比べて、人より得してなかったとしても。

それは別に「=損している」という事ではないのだろう。

「別に何も損はしてません。」
と、思っておいた方が、かえって精神的にお得だと思うのだが。

(――っていうのも、まあそうか、これもまた個人の価値観か。笑)

たとえこの世のほとんど全てが、終わりを迎え死に絶えたとしても。

何か食べたい炭水化物と、何か飲みたいお茶と、何か読みたい本とさえあ

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自分のいる世界くらいは上機嫌に、どんな手を使ってでも(笑)

自分のいる世界くらいは上機嫌に、どんな手を使ってでも(笑)

「自分本位」というと聞こえが悪いのだが。
しかし、「自分の人生本位」「自分の時間本位」で、人というものは本来いいのではないか、と、私は思っている。

いや、「他者本位」でも、もしもそこに全く不満が湧かないというのなら、それは素晴らしいことだし、いいのだが。
――しかし、私はやはり、自分で心から望んでそうする場合以外には、「100%のそれ」を延々と続けていても不満が全く湧かない、というようには、どう

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「気にしたいこと」を気にしよう

「気にしたいこと」を気にしよう

とはいっても、「気になること」から特に気になってしまうのが、人間というものですよね。

一例として、学生時代。

比較的どーでもいいと思っている、通常授業中の「小テスト」なんかでは、いつも通りの平常心でテストを受けられるのに。

「ここぞという時」「失敗できない時」の、例えば入試のテストの場合、「周りの人からは、盛んに筆記具を動かしている音が聞こえてくるが、自分は全然解答が進んでいない!ヤバい!」

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「嫌な人間」とわざわざ「同類」にならなくてもよくない?

「嫌な人間」とわざわざ「同類」にならなくてもよくない?

自分の内面的な部分の話で。

できるところから、少しずつでいいと思うのだが。

「こんな自分は嫌だな」と思う部分を、とにもかくにも減らすようにしようと思っている。

で、あくまで一例だけど。

――いや、そんな自分はイヤだけどさあ、でも、自分一人だけ変えても、損するばかりじゃない? やはり卑しくいかないと、奪われるばかりだからさあ。
みたいに思える部分が、例えばあったとしても。

それでも「卑しい

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「損している気がする」なら打開策をまず考える

「損している気がする」なら打開策をまず考える

「損している気がする」というのは、
なかなかどうして、
これ、「不機嫌のもと」である。

で、
もう、過ぎてしまった過去の時間のことは
どうしたって戻せないから、
そこは一切無視したほうが吉だ。
(そこを考えてもしかたないし、
そんなことをして
時間的に引き延ばして
引き摺れば引き摺る程、
更なる精神上の「損」が
無駄に嵩むだけである。)

「今後」のことだけを、まず考えて。

で、
本当に「損し

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欲望のクリスマスツリー、輝かしていこう?(笑)

欲望のクリスマスツリー、輝かしていこう?(笑)

と、上記を昨日の記事の最後に、後で書き足したのだが、――多分、タイミング的にこの部分を書き足す前に、記事を読んだ方も多くいるかもしれないから、改めて。
(と、いうわけで、昨日の記事の続きとして。)

「欲」は、明るく楽しく、持っていこ?

――欲望のクリスマスツリー、飾っていこ?
――野望のイルミネーション、輝かしていこ?
(何言ってんの??笑)

いや、でもこの寒い季節の、そのうえ長い夜の、その

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「ここから全ては始まっていくのだ」と思えばいい

「ここから全ては始まっていくのだ」と思えばいい

「ここからが挑戦なのだ」
と、思うほうがいい。

「おしまい」のほうにばかり
目を向けていることもない。

目を向けていなくても、「すべてのこと」は、自ずと、必ずいつかは、終わっていくのだしね。

「終わっていくもの」は概ね
慣性でそのまま進んでいくことも多いし、
ならば
「そっち」ばっかり凝視していても
仕方ないような気もしてきたのである。

ここまでうまくいったことも、
うまくいかなかったこと

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正解をつくるから不正解ができる

正解をつくるから不正解ができる

「全てが正解じゃなきゃ嫌」

「不正解がどうしても許せない」
というのなら、
いっそもう何も考えず、
「全部正解」にしてしまえ!と思う。

そもそも。

「正解」なんてなかったら、
「不正解」も存在しなくなるのだ。

「不正解の存在をどうしても許容できない」
という考え方は、やはり窮屈である。

――その窮屈さに耐えられる人だけが、
「正解」をどこまでも
追いかけ続けられるものなのかもしれない。

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「不快な感情」は自らの感覚を狂わす

「不快な感情」は自らの感覚を狂わす

まず、ごく一例として。

正反対であるはずの
『慢心』と『卑屈』は、
意外と同居しやすい。

心というのは
「バランス」をとりたがるものだと思う。

なので、
ある部分で「卑屈」になればなるほど、
まるでそれを埋め合わせるかのように、
違う部分でどうも
「慢心」になりたがる、
そんな習性もまたある気がしている。
(もちろんそうじゃない人もいる。
ひたすら卑屈、
あるいは、ひたすら慢心、
そういう人

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「うらやましいもの」が「本当に求めるもの」でもない気がする

「うらやましいもの」が「本当に求めるもの」でもない気がする

本日は
「私だけのメリット」
――つまりは、
「こんなことにメリットを感じるなんて
自分だけかも?」
という
「オリジナルメリット」
(と、勝手に名付けてみました。笑)
(はじめはこちらをタイトルにしたのだが、
内容がわかりにくいので変えました。)
の話である。

昨日の記事内容は、
言いかえれば、
「ブスッとした顔から始めると、
再び
ブスッとした顔で帰結することになるよ」
という
自分への警告

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「メリット」のほうが気づきにくいものなので

「メリット」のほうが気づきにくいものなので

どうも、人というものは、
(少なくとも私は、)
「長所」とか「利点」のほうが
気づきにくいもののようである。
――だって、
「既にそこにある、それで問題なし」
なわけだから。

反面、
「短所」「欠点」「難点」「デメリット」
というのは、
より、そっちのほうが、
目に留まったり気になったりしやすいのは
当然と言えば当然のことなのだ。
――「今後の課題」であり
「要改善」なわけだから。

しかしであ

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どうせなら今いるこの世界を愛せるように

どうせなら今いるこの世界を愛せるように

どうせなら、
自分が今いるこの世界を
愛せるように。

厭なものについては
厭だと認識し、
不快なものは
不快だとはじく。
――つまり
それらのものを、
自分の心の中にまでは
立ち入らせない意識を持つこともまた、
必要なことなのだと思う。

例えば「暴力」然り、
例えば「人を陥れる嘘」然り。

(それはたとえ「一時的」だとしても、)
それらを「受け入れる」こととか、
それらに「目をつぶる」ことが、

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