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「損している気がする」なら打開策をまず考える

「損している気がする」というのは、
なかなかどうして、
これ、「不機嫌のもと」である。

で、
もう、過ぎてしまった過去の時間のことは
どうしたって戻せないから、
そこは一切無視したほうが吉だ。
(そこを考えてもしかたないし、
そんなことをして
時間的に引き延ばして
引き摺れば引き摺る程、
更なる精神上の「損」が
無駄に嵩むだけである。)


「今後」のことだけを、まず考えて。

で、
本当に「損している」と
自分で思うならば、
その「打開策」を
積極的に考えたほうがいい。

――だって、
「自分ばかり損している」
というのは、
おかしなことなわけだから。


正々堂々、
状況を変えるために
ハッキリ訴えてみるのもいい。

また、
それが面倒くさいなら、
変な話、
その「損している分」を、
こっそりバレないように
「別の何かで得する」ってやり方だって
アリかもしれない。

――罪にならない程度なら、
その「こっそり補填」の
「後ろめたさ」をどこか持つことによって、
「損している」気分はそれで相殺され
ある程度の解消を見込めるはずである。



とはいえ。

「上記のようなことはとてもできない。
やろうとするとかえって
本当に気が重くなってツラい。」
という人もいるだろう。

――で、あるならば。

あとはもう、
「損はしていても、
現況を受け入れるそっちのほうが
自分にとってはまだ良い」という、
それを「やり方」として
自分で「選択」し「採用」しているのだ、
という、
認識の「方針転換」を
するのがいいのかもしれない。


そして。

「見ているようで人は見ていない」
という側面もあるけど、
「見ていないようで人は見ている」
という側面もまた、結構あって。
(私はどちらかというと、
後者のタイプだと思う。
――私の場合、
それが「良い行い」なら、
見ている・気づいていることを伝えて
積極的に感謝を述べるけど、
しかし、
その人がしている「悪い行い」は
いちいち指摘もせず、
ただただ内心で
「こいつ、ろくでもねーな」と
舌打ちしながら冷ややかに見ています。
……私、性格悪いもので。笑)
(でも、私の逆のタイプのほう、
つまり
「感謝とかはいちいち伝えない人」
のほうが、
実は多いくらいなのかも??
とも思うので、つまり、)
なので、
「損をしている」人特有の
「いい人評価」って、
漠然とはしているが、確実に、
あるものだと思うから。

そしてそれは
短期間に容易く得られるものでもなくて。
――その「損」の蓄積で
ようやく得られるもので、
その価値って、概して、
本人が思っているものより
(場合によっては周囲が思っているより)
高いもののような気が私はするので。
(「それが短期間では構築できない信用であること」は
誰にとっても想像しやすいことだと思うので、
やはりそういうものの価値は
無意識下だとしても高いものだと思う。)

――言い換えるとこれ、
ある意味、
「人として信頼を得る」
一番確実な方法のような気もまたするし。

で、あるならば、
それって、
『「損」を売って、
「信頼」を勝ち取る。』
ということに
ちゃんとなっているのではないかな?

で、それ自体を、
「やらされている」とか
「仕方なく成り行きで」とかではなくて、
「自分で選んで、狙って、
それをやっている」
と思うようにすれば、
受けている「損」のその重さも、
気持ちの中で
少しは軽くなるんじゃないかな??

――な~んて、
私は思うようにしているが、
いかがだろうか。

(と、言いつつ、
自分は最近、
「損していると感じたらハッキリ言う」
のほうに、
常に意識してシフトさせるようには
しているんですけどね。笑)